安倍寧のBRAVO!ショービジネス

大歌手の真実に迫る 映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』

不定期連載

第27回

映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』 (C)2019 Polygram Entertainment, LLC-All Rights Reserved.

ひとりの偉大なオペラ歌手が徹底的に丸裸にされる。ドキュメンタリー手法による伝記映画でこれほど芸術家の真の肖像に迫った作品はそう見当たらないのでは ──。しかも演出にあざとさがないので、覗き趣味的下品さに堕していないのがうれしい。監督は劇映画(『アポロ13』『ビューティフル・マインド』)、ドキュメンタリー(『メイド・イン・アメリカ』『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK – The Touring Years 』)の二刀流、ロン・ハワードである。

『パヴァロッティ 太陽のテノール』が成功した理由は三つある。ひとつ目は埋もれていた映像を見つけ出しそれを存分に活用したこと、ふたつ目は家族(ふたりの妻、娘たち)、関係者をシラミつぶしにインタヴューしたこと、三つ目は歌、演奏の再現に最新の録音技術を駆使したことである。ひとつ目については再婚した妻から提供を受けたものが多いらしい。またふたつ目に関しては2017年4月から18年6月までニューヨーク、ロンドン、イタリアのモデナなどで計53回もおこなわれたという。

いや待てよ、この三つのほかにもうひとつ忘れてはならない要因があった。ルチアーノ・パヴァロッティ自身の天衣無縫のキャラクターである。今回初公開のお宝映像からその飾り気ない人柄がそくそくと伝わってくる。なにより持って生まれた人間としての〝柄〟の大きさに魅せられてしまう。すなわち伝記映画には打ってつけの素材なのだ。

映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』
(C)2019 Polygram Entertainment, LLC-All Rights Reserved.

パヴァロッティ、ホセ・カレーラスとともに一大イベント〝三大テノール〟の一角を担ったプラシド・ドミンゴが、すこぶる興味深いことをいっている。

「ヴォイス(声)はスペイン語でラ・ヴォス、イタリア語でラ・ヴォーチェ、フランス語でラ・ヴォワ、みんな女性形だ、嫉妬深くわがままな女性みたいなもの」

それを受けるかのようにパヴァロッティは明言する。

「声こそわがプリマドンナ」

テノール歌手ヴィットリオ・グリゴーロによると、そもそも男性に備わっているバリトンと異なりテノールは作られるものだという。つまりトレーニングの成果である。それをいかにも生まれつき持っているもののように、ごく自然に鳴り響かすことが出来るのが、ほんとうに優れたテノール歌手ということになる。パヴァロッティのように。

そして絶対条件はhiCを出せること。パヴァロッティは、それを9連発、オペラ『連隊の娘』の「友よ、今日は楽しい日」でやってのけた。

第1回〝三大テノール〟(1990年7月7日、ローマ・カラカラ浴場)の映像は、これまで市販のDVDなどで同様なものをなんどか見てきた。しかし、この映画で改めて接すると新たな感動を覚えずにいられない。「オ・ソレ・ミオ」のぶ厚い歌いぶりは3人が本気でぶつかり合ってこそ生まれたものだ。片や「誰も寝てはならぬ」(『トゥーランドット』)は、パヴァロッティの十八番のためか他のふたりがやや遠慮がちなふしもあり、それがまた微笑ましい。

映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』
(C)2019 Polygram Entertainment, LLC-All Rights Reserved.

パヴァロッティはジャンルの垣根を越え、スティング、エリック・クラプトンらポップス界のスターたちとも積極的に交流した。彼等とともにチャリティー・コンサートを企画し、世界中の恵まれない子どもたちへの援助に力を尽くした。クラシック音楽界から売名行為と見られようともびくともしなかった。

パヴァロッティほどの大物がどうしてここまでと思うくらい、U2ボノに積極的にぶつかっていく。ダブリンのボノに自ら電話で曲を依頼し、曲作りが難渋していると知ると「イースター前には神が降りてくるから」と激励する。戦争で不幸な目に遭ったボスニア・ヘルツェゴビナの子どもたちに捧げられたバラード「ミス・サラエボ」は、こうして出来上がった。その静謐なたたずまいのなんと美しいこと!パヴァロッティの故郷イタリア・モデナのステージにそろって立ったふたりは、それぞれ自分流の熱唱を聴かせる。音楽シーンとしてきわめて希少価値が高いんじゃなかろうか。

私生活面でもっとも衝撃的な出来事は、晩年に起きた離婚、それに続く再婚だろう。相手は長年アシスタントを務めてきたニコレッタ・マントヴァーニだ。パヴァロッティが60歳を過ぎていたこと、新婦との年齢差が30歳を超えていたことなどもあり世間の批判の目に曝された。離婚に厳しいカトリック教国イタリアだけに教会での挙式が許されず、式は歌劇場でおこなわれた。すでに新婦は男女双生児を身ごもっていたが、男子は死産、女子のみ出産した。

ボノがパヴァロッティの人生を総括するような名言を吐いている。「あの声は挫折を重ねないと出せない声だ」

より正確を期すなら「あの声は成功と挫折を重ねないと出せない声だ」としたほうがいいかもしれない。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。