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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

アイドル育成の名手酒井政利氏、文化功労者に

不定期連載

第31回

酒井政利氏

国がおこなう芸術・文化関係の叙勲・顕彰で文化勲章に次いで重きをなすのは、文化功労者である。ことしの顔ぶれは、去る11月3日、「文化の日」に公表されたが、そのなかで私がひときわ注目したいと思ったのは、音楽プロデューサー酒井政利氏、作曲家すぎやまこういち氏、漫才師西川きよし氏の3氏であった。共通して、やや“軟派”(失礼!)の趣があるせいか。

3氏のうち知名度からすると、きよし師匠は別格だろう。すぎやまこういち氏はポピュラー音楽系の作曲家としてよく知られる。ザ・タイガース「花の首飾り」、ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」、ガロ「学生街の喫茶店」などヒット曲多数。1980年代半ば以降、「ドラゴンクエスト」シリーズのほぼ全作品の音楽を担当し、ゲーム音楽の第一人者として不動の地位をわがものとしている。そのゲーム音楽を大編成のオーケストラで演奏するコンサートが、また人気が高い。

私は、異色の3氏のうちでもとりわけ酒井氏に注目したい。きよし師匠のように芸人でもないし、ものを作る立ち場の人であっても、すぎやま氏のように表の人ではない。あくまでも裏の人である。縁の下の力持ちだ。そういうポジショニングの酒井氏にスポットが当てられた。今回はお国にしては随分粋な計らいをしたじゃありませんか。

酒井氏は、もしかすると音楽プロデューサーよりレコード・プロデューサーという肩書きのほうがよりふさわしいかもしれない。レコード会社の社員プロデューサーとして活躍した時期が長いし、その間、二度も日本レコード大賞の栄誉に輝いているのだから。日本コロムビア時代に「愛と死をみつめて」(歌・青山和子、1964)、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)時代に「魅せられて」(ジュディ・オング、1979)がその受賞作である。

2作ともレコード大賞がピッカピカに輝いていた時代の受賞だから、その重みたるや今とは比較にならないどっしりしたものがあった。受け手の側が年齢的に分断されることがなく受賞作イコール大ヒット作(あるいはその逆)という方程式がなり立った時代でもあった。

CBSソニー プロデューサー時代の酒井政利氏

酒井氏にとって途方もなく幸運だったのは、CBS・ソニーという日本で初の、海外資本との合弁レコード会社が設立されたことである。同社創業は1967年、酒井氏は、その翌年68年、第1期生として入社している。一方に世界に通用する音楽産業をと狼煙(のろし)を上げたばかりの新会社があり、もう一方に過去のしがらみを脱して自由な音楽作りを目指す若者がいた──果たして両者の邂逅はまったくの偶然だろうか。私には時代の必然だったような気がする。60年代の日本はあらゆる分野で新しい変革が始まりつつあり、大衆音楽の世界もまた例外ではなかったということだ。

酒井政利氏が築き上げた業績でとくに目立つのはアイドル育成である。今回の文化功労者としての顕彰でもそこが高く評価されたからのようだ。実際、彼が手掛けたアイドル歌手はフォーリーブス、郷ひろみ、南沙織、天地真理、山口百恵などなど数え出したらきりがない。なかでも無視できないのは南沙織の存在である。このジャンルの尖兵的役割を果たしたからだ。ソニー・ミュージックエンタテインメントが刊行した同社の“正史”「ザ・ルール・ブレイカー/CBS・ソニーの軌跡」(2001)に次のようなくだりがある。

一葉の写真によって、日本のレコード史に「アイドル」のジャンルが確立した。

長い髪、日焼けした肌に大きな瞳を持った一六歳のポートレート。化粧っけのない顔は野性的だ。それでいて知的で可憐で清潔感に溢れている。酒井政利は寺山修司に教えられた生地を、この少女に感じとった。

酒井氏が寺山に教えられた「生地」とはなにか。これについては注釈が必要だろう。先の「ザ・ルール・ブレイカー」によると、日本コロムビアからCBS・ソニーに移籍した酒井氏は、詩人でアングラ劇団「天井棧敷」を主宰する寺山修司に惹かれるものがあったらしく、彼のもとに足繁く通っていたという。その交遊を通じ酒井氏が学んだことがふたつある。「遊び心を持つこと」と「アーティストの生地を大切にすること」である。ふたつめの「生地」とはその人が持って生まれた類まれな個性であり、スターの誕生・育成はそれをどう生かすかにかかっているというのが寺山の考え方だったのだろう。

1971年6月、南沙織は自分の年齢をそのまま曲目にした「17才」でデビューし、その年の日本レコード大賞新人賞に輝いた。その後の活躍ぶりについてはつけ加えるまでもない。

「17才」を収録したファースト・アルバムは、2013年にも高品質CDで復刻されている

酒井氏と寺山修司の因縁についてもうひとこと。寺山は、アングラ劇団「天井棧敷」の主宰者であったことでも明白なようにアンダーグラウンドの芸術家という側面が際立っていた。すなわち彼の目指すところは既成の芸術をぶち壊すことにあったのだ。したがって普通は酒井氏のような商業主義のレコード会社所属のプロデューサーは近づかないだろう。その常識を破ったところに酒井氏の凄さ、新しさがある。実際に南沙織より前に、酒井氏は寺山とコラボすることでカルメン・マキの「時には母のない子のように」(1969)という大ヒット曲を生み出している。

というように酒井氏の足跡をたどっていると興味深い話題が尽きない。続きは次回に持ち越すということで──。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。