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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

映画『甦る三大テノール 永遠の歌声』が描き尽くす 世紀のコンサートの表裏

不定期連載

第33回

左から、プラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラス 映画『甦る三大テノール 永遠の歌声』(C)Major Entertainment2020

いわゆる“三大テノール”、すなわちルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスが一堂に会した超人気コンサートにまつわるドキュメンタリー映画は、これまでにも作られなかったわけではない。しかし、今回の『甦る三大テノール永遠の歌声』は、過去の同様な作品とは比べものにならない中身の濃さを誇っている。よくぞここまでお宝映像を捜し出してきましたねと驚かずにいられないし、さまざまな当事者たちの声も実によく拾っている。いちばん凄いのは会場にみなぎる歓喜と興奮がじかに伝わってくることだ。

映画『甦る三大テノール 永遠の歌声』(C)Major Entertainment2020

三人はあくまでもライバル同士である。かならずしも親友、いや普通の友人関係でさえなかったらしい。なのになぜ手を握ったか。ひとつには不治の病い白血病から立ち直ったカレーラスを他のふたりが励ますためという事情もあったろう。しかし、FIFAワールドカップの前夜祭というコンサートの位置付けが大きくものをいったようだ。三人そろって熱狂的なサッカー・ファンだったことが更にその裏付けとなった。かくして1990年7月7日、ローマ・カラカラ浴場で第1回コンサートが催されることになる。

とはいってもオペラとサッカーは水と油である。観客層からして異る。両方の観客が反発し合って来場しない危険性もあった。当のパヴァロッティでさえ穴埋めのために2000席の招待券を用意させていた。それが前代未聞の大当たりとなったのはなぜ?オペラ界の超大物3人が揃い踏みをしたからか?もともとイタリア人にはオペラ好きでサッカー好きが多かったせいか?実はオペラとサッカーにはともに人生を映し出す鏡のような側面があり、その両者の特質が相乗効果を生み出したという説もある。

この映画は当の歌手3人、指揮者のズービン・メータらを初めとしステージの表裏の多くの関係者の協力なくしては出来上がらなかったろう。なかでも見落とせないのがイタリアのプロデューサー、マリオ・ドラディの存在である。彼は第1回“三大テノール”のリハーサル段階から映像を撮り溜めていた。ドラディがその貴重な記録を惜し気もなく提供してくれなかったら、この映画の歴史的価値は激減したにちがいない。

映画のなかでこの一大イベントの発案者は誰かについて、ドラディはすこぶる興味深い証言を残している。いきさつはこうだ。第1回“三大テノール”の一年前、同じカラカラ浴場で病いの癒えたカレーラスがコンサートをおこなったときのこと、ローマ市長から翌年のワールドカップに合わせてもういちどコンサートをと懇願された。それに対してのカレーラスの返答は「ローマで10回もやっている。なにか新しい趣向がないと」と気乗り薄だった。居合わせたドラディが「パヴァロッティとドミンゴを誘ったらどうだろう」と口添えをしたというのだ。

ドラディはこうもいっている。

「ラテン語にこういう諺がある。“父親は誰か不確かでも母親は誰かは確実だ”。三人が新しい音楽のジャンルの父親だったとしても母親は私なんだ」

形だけ3人に花を持たせた上で、そもそものこの企画の発案者は私なんですよとあえて念押ししたととれなくもない。念のためつけ加えておくが、彼は単なる発案者にとどまらず、90年の第1回“三大テノール”を実現させた当のプロデューサーでもある。

89年12月、初めて3人と指揮者が顔をそろえたときの映像が迫力に満ちている。ピアノを囲んで打ち合わせをする彼等。3人が3人、『トスカ』の「星は光りぬ」を歌うといい出したりする。カメラが歌っているパヴァロッティの口のなかまで映し出す場面もあって、思わずぎょっとなった。

映画『甦る三大テノール 永遠の歌声』(C)Major Entertainment2020

第2回“三大テノール”は、94年7月16日、ロサンゼルスのドジャー・スタジアムでワールドカップ前夜祭としておこなわれた。単純に観客数を比較してもローマは8000人、ロサンゼルスは5万6000人、7倍の規模にふくれ上がった。プロデューサーに名乗りを上げたティボール・ルーダスは、ハンガリー出身、もと軽業師、途轍もない商売人であった。アメリカでやるからにはとアメリカのポップスも曲目にたっぷりとり入れた。さすがの3人も『ウエスト・サイド物語』の「アメリカ」ではオペラのアリアとは勝手が違い大いに手古摺る。本番3日前、ズービン・メータが危機感を募らせ特訓に特訓を重ねる。緊張感あふれる場面だ。メータが音楽面でいかにしっかり支えていたかが、スリリングに伝わってくる。

「マイ・ウェイ」に客席のフランク・シナトラがスタンディング・オベーションする場面には思わず熱いものが込み上げてくる。アメリカ・ショウビジネスを象徴するようなひとこまである。

ポピュラー系の楽曲の編曲を受け持ったラロ・シフリンに焦点を絞った場面も興味深い。シフリンはハリウッド映画、テレビ・シリーズの作曲家として広く知られる(『ダーティハリー』『スパイ大作戦』)。彼は3人のために腕によりをかけてメドレーを編曲した。極意はごくシンプルにすること。3人それぞれにメロディ・ラインを思い切り歌わせ、全員いっしょのハーモニーは少な目に抑えた。こういうプロの技を垣間見られることがこのドキュメンタリー映画の醍醐味である。

もちろん本命のオペラのアリアも120パーセント?たんのうできる。ひとりが気張って高音部に挑戦すると他の歌手たちも精いっぱい対抗する。にこやかながらライバル意識もむき出しだ。聴くほう見るほうはぞくぞくしながらにやっとしたくなる。

極め付けの圧巻はやはり「誰も寝てはならぬ」(『トゥーランドット』)か。この曲を貫く高揚感が“三大テノール”、ワールドカップ両方の熱気、興奮と共振し合うからだろう。映画のなかで誰かがいっていたように、このアリアの歌い上げる主題が“奮戦と勝利”だとすれば、サッカー世界選手権前夜祭としておこなわれたこのコンサートにこれ以上ふさわしい曲などあるはずがない。確か「夜明けとともに勝利はわが手に」という歌詞もあったはずだ。

映画『甦る三大テノール 永遠の歌声』(C)Major Entertainment2020

FIFAとの提携コンサートは、その後も98年パリ、2002年横浜と計4回おこなわれた。それ以外にもサッカー・ワールドカップとは無関係に東京、ロンドン、ニューヨーク、ミュンヘンなどの世界中の大都市で開催されている。クラシック音楽のコンサートとしてはあまりにも大規模になり過ぎ、芸術の卑俗化だという批判がないわけではない。一方、クラシック音楽の大衆化として大きな役割りを果たしたという弁護論もある。この映画をきっかけに“三大テノール”とは何だったのか改めて考え直してみるのも、大いに意義のあることではなかろうか。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。