安倍寧のBRAVO!ショービジネス
音楽業界の内実を赤裸々に 松尾潔さん初の小説「永遠の仮眠」
不定期連載
第34回

松尾潔『永遠の仮眠』 新潮社 1870円(税込)
第一線で活躍するぱりぱりの音楽プロデューサーが長篇小説を世に問うた。音楽業界の裏側を遠慮なく描いている。面白くないはずがない。しかも楽曲の制作について教えられることが多く為になる。松尾潔さんの書き下ろし「永遠の仮眠」(新潮社)である。
松尾さんは平井堅、CHEMISTRY、東方神起、EXILE、JUJUらの音楽制作に深く携わり、そのレコード売り上げ枚数は3000万枚を超えるとか。2008年にはEXILE「Ti Amo」で第50回日本レコード大賞に輝いている。また日本におけるR&B研究の第一人者としても知られ、長らくNHK-FMで、このジャンルの音楽に特化した番組「松尾潔のメロウな夜」のホストを務めている。

小説「永遠の仮眠」の主人公、光安悟は、今、民放テレビUBCの連続ドラマ「カムバック 飛翔クラブゼロ」の主題歌「Comeback」にとり組んでいる。すでに6パターンも自信の試作品を提示しているのに、番組の独裁者、プロデューサーの多田羅俊介からOKが出ない。理由が不明のままだけにいらつく。
歌手に起用されたのはそれなりの経歴のある櫛田義人。テレビのオーディション番組で認められ参加した男性トリオでは、メガヒットも体験しているし、ソロ歌手としても実績を残してきた。ただし、このところはもうひとつぱっとしない。当然、今回のテレビドラマ主題歌はもう一花咲かせる絶好のチャンスだ。
他にUBCテレビの系列会社UBC音楽出版で制作コーディネイトを担当する澤口乙矢、義人の所属レコード会社幹部権藤雅樹、義人の事務所社長下川隆三らがからむ。男たちが己の立ち場、利益を守るべくいかに闘うか、その姿がヴィヴィッドに浮かび上がってくる。音楽界、テレビ界の裏事情をよく知らぬ読者はもちろん、その世界を知り尽くしているプロフェッショナルだって、そのスリリングなプロセスにはらはらどきどきするにちがいない。とりわけ芸能ゴシップ好きはあらゆる登場人物のモデル捜しに躍起となるのでは──。
モデル捜しといえば主人公光安からして著者の松尾さんではないかと、つい想像を逞しくしたくなる。ともかく光安はカッコいい。愛車のジャガー420Gのボディが黒なのはアイザック・ヘイズの「黒いジャガーのテーマ」にちなんだものだという。自宅は駒沢公園近くのマンション、ほかにもうひとつ渋谷区と目黒区の区境にプライベートスタジオを所有している。通称ミツスタ。私が光安イコール松尾さん?、若い人の間で松尾人気が高まるのではと野暮な質問をぶつけたら、
「いえいえ、結構誇張して書いていますから。でも音楽制作を目指す若者がふえてくれたら嬉しいですね」
と軽くかわされてしまった。
登場人物とモデルの関係については松尾さんはこんなこともいっていた。
「お汁粉にちょっと塩を加えると甘味が引き立つというでしょう。それと同じでフィクションにちょっぴり事実というお塩を振ったところもなくはありません」
音楽制作についての著者の本音かもしれないくだりがいくつか散見される。たとえば那覇のゲイバーで光安がひとりで飲んでいる場面である。そのバーの酒棚にはマダムの睾丸の入ったボトルが飾られていた。マダムと光安が交わす会話の際どいこと。
「プロデュースの領域って無限大だと思わない?役立たずの睾丸だってエンターテインメントの具にできるのがプロデュースでしょう?」
そう聞かされては悟も熱くなる。
「ぼくにとってプロデュースの肝(きも)は、まずポップであるかどうかだな」
「じゃあプロデューサーさんからみた理想の『うた』ってどんなもの?」
「うーん……勢いで言っちゃうと、頭の中ではアイディアの爆発をくり返しながら、作品はすっきり整理されて疑問なく楽しめるもの、かな」
「ふーん。頭いいのね。難しすぎて、あたし、よくわかんない」
「なんだかエラそうなこと言っちゃったかな。ごめん」
もうひとつ別の場面を──。「Comeback」の6回目の録音を済ませた光安と義人が、ミツスタで珍しくたったふたり切りになった。
「光安さんっていつも忙しそうなんだよなあ。とにかく寝ない人って印象」
「おいおい、ぼくは今年四十三だよ。不眠不休はあり得ないって。でもこの仕事を続けてる以上、熟睡できないのは仕方ないけど」
義人は悟の言葉に満足したような微笑を浮かべた。
「じゃ、永遠の仮眠ですね。ずっと疲れがとれなくないっすか。そんな感じで光安さん、気合いの入った仕事なんてできます?」
永遠の仮眠──。
なるほど、案外、音楽プロデュースという営みの本質を端的に言い表しているかもしれない。悟はまた感心して、まじまじと義人を見つめた。
松尾さんの「永遠の仮眠」は小説の中身だけではなく装幀にも捻りの利いた工夫が施されている。カバー、扉などに撮り下ろしポートレートが使われているのだが、そのモデルを超人気パフォーマー岩田剛典(EXILE/三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE)が務めているのだ。YouTubeにはその撮影現場を著者が訪れ、ふたりで語り合う画像もアップされている。
もちろん作中の櫛田義人は即岩田剛典ではない。しかし、松尾さんは岩田がデビューしたときの音楽プロデューサーでもあり、作中の光安と義人の関係とまったくダブらないわけではない。実際、ガンちゃんの熱烈なファンのなかには、義人と現実の岩田を重ねつつこの小説を読み進める人たちも多いことだろう。よくイベントや観光地のパブリシティに有名スターがアンバサダーの肩書きで起用されることがあるが、今回の岩田の役回りはそれに近いかもしれない。ゆくゆくは「永遠の仮眠」がテレビドラマ化、映画化される際、ガンちゃんが義人役を演じることになったりして……。
ところで、鮮やかな作家デビューを果たした松尾潔さんだが、今後の執筆活動は、という問い掛けに、
「五木寛之さんの『艶歌』、村松友視さんの『黒い花びら』、なかにし礼さんの『世界は俺が回してる』とか音楽の世界を題材にした名作があります。その系譜を継いでいきたいですね。そしてアメリカにハリウッド小説の伝統があるように、ひとつのジャンルとして確立されることを願っています」
いっそうの健筆を蔭ながら切に祈る。
プロフィール
あべ・やすし
1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。
