安倍寧のBRAVO!ショービジネス
映画『リスペクト』が解き明かす “ソウルの女王”アレサ・フランクリンの光と影
不定期連載
第41回

映画『リスペクト』(C)2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved. /(C)2020 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Reserved
“ソウルの女王”“レディ・ソウル”と謳われたアレサ・フランクリン(1942~2018)を、ジェニファー・ハドソン(『ドリームガールズ』)が喜怒哀楽たっぷりに演じている。アレサを格別よく知るわけではない私がこういうのもなんだが、アレサがジェニファーに憑依した? そう思いたくなるくらい映画『リスペクト』(監督リーズル・トミー)のジェニファーは一世を風靡したこの大歌手になり切っている。その歌もアレサ自身の歌に負けず劣らずびんびん私の胸に響いてきた(今や、この映画のサントラ盤は私の愛聴盤である)。
映画は、幼少期の家庭内の有様、結婚生活、スターの座を得るまでの紆余曲折など公私両面にわたるさまざまな局面を過不足なく描いている。単なる成功譚に終わらせずアレサの人生の負の部分にも踏み込んでいる。その結果、人間味あふれた厚みのある伝記映画に仕上がった。ブラック・ミュージック愛好家必見だが、音楽的嗜好の枠を超えたもっと幅広い観客にもアピールすること間違いなし。

アレサが最初に契約するレコード・レーベルは名門コロムビアである。頑固一徹だった牧師の父C・L・フランクリン師(フォレスト・ウィテカー)の差配によるものだった。コロムビア時代の彼女にはヒットはない。レーベル側がアレサのもっとも得意とするジャンルがゴスペルだということを理解せず、ジャズ的風味をとり入れたポピュラー歌手路線を進ませようとしたからだろう。コロムビアという老舗故の蹉跌か?

アレサがレコード歌手として頭角を現すのはブラック・ミュージックに理解のある新興のアトランティックに移籍してのちのことだ。インターネットの時代になってレーベルの存在感はかなり薄れたけれど、アレサがデビューした60年代はそれぞれのレーベルが特色を競い合っていた。私には懐かしい時代なので、このあたりのストーリー展開には思わず膝を乗り出してしまった。
19歳のときアレサは自身のマネジャー、テッド・ホワイト(マーロン・ウェイアンズ)と結婚する。父が忌み嫌っていた男だ。マネージメント、レコード制作などで役に立つ働きをしてくれた反面、彼女が名をなすに連れ公私両面で対立が生じることになる。テッドの暴力沙汰がマスコミの嗅ぎつけるところとなるなど事態は悪化の一途をたどった。幼少期から20代にかけてのアレサは、父と夫、ふたりの近親者に振り回される局面がなにかと多かったようだ。これも一種の宿命に思える。

映画の題名にもなっている「リスペクト」は、テッドとの距離を置いたことから生まれた大ヒット曲である(1967年4月、シングル盤発売)。オーティス・レディングが歌うオリジナル曲(作詞・作曲もレディング)のカヴァーで、レコーディングはアレサの固い意志によって推し進められた。コーラスに姉、妹が参加していることもあり、このカヴァー曲は「ここは女性軍にまかせてよ」という強いメッセージを発信しているかのように聴こえる。
改めてオーティス・レディングの歌で聴いてみる。妻に偉そうにリスペクトを求めるなんてカッコ悪くないか。そんな男は女性の目にどのように映るのかわからないのか。そう思えてしまう。発売された1965年当時の男性が抱いていた対女性観、自己認識のレベルが知れようというものだ。このオーティス版に対し、わずか2年後の67年にカヴァーされたアレサ版は、歌詞においても歌いぶりにおいても女性優位を堂々と誇示している。そのスタンスは彼女の憤まんやる方ない個人的体験と無関係であるはずがない。

アレサ・フランクリンは希に見る強靱なノドの持ち主としてこの世に生を享けた。父は黒人教会の牧師であった。幼少期から教会でゴスペルを歌うチャンスに恵まれたわけだが、その際、天から授かりもののそのノドが強力な武器となったことはいうまでもない。
一方、ブラック・ミュージックの歴史におけるR&Bからソウルへの文脈をたどる際、しばしばゴスペルの多大な影響が指摘される。いきおいゴスペル歌手になるべく生まれてきたアレサの重要さに思いを致さずにいられない。アレサ個人と黒人音楽史のとうとうたる流れとは、どこでどう交叉するのだろう。この道のプロに教えを乞いたい。

アレサの音楽人生でひときわ輝くゴスペル・コンサートがある。ゴスペルはその発祥の場、教会で聖歌隊や会衆とともに歌われてこそ意味があると、72年1月、2日間にわたりロサンゼルスの教会でおこなわれたコンサートである。いわばゴスペルの原点に立ち戻った試みで、アレサは全身全霊をもってゴスペルに立ち向い、その神髄を明らかにしてみせた。そのライヴ盤「Amazing Grace」は彼女の数多いアルバムのなかでもひときわ評価が高く、またよく売れたという。『リスペクト』のなかにもこのコンサートを再現した場面が登場する。
実はこの教会コンサートは録音だけでなく映像も残されていた。ただ技術的に不備があって活用できず、倉庫に眠り続けたままだった。ところが昨今の技術革新のお蔭だろうか、その全篇を見ることができるようになり、それを基に一本のドキュメンタリー映画が誕生した。『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』(監督ロン・ハワード)である。日本でもことし5月、公開された。ブルーレイもリリースされている。
私たちと同時代の偉大な歌手、アレサ・フランクリンが世を去ったのは、2018年8月16日、それほど昔ではない。享年76。生前から、もし自分の伝記映画が製作されるなら主演はジェニファー・ハドソンと決めていたという。天国の彼女に本作の仕上がりをどう見るか尋ねる手立てはないものか。
プロフィール
あべ・やすし
1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。
