安倍寧のBRAVO!ショービジネス
SNS全盛の今と向き合う ミュージカル『ディア・エヴァン・ハンセン』
不定期連載
第42回
映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(C) 2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
『ディア・エヴァン・ハンセン』、直訳すれば『拝啓エヴァン・ハンセン様』か。ちょっと奇妙な題名だけれど、2016年、オフブロードウェイからブロードウェイに上がった話題作・問題作、そしてまぎれもない超ヒット作でもある。17年のトニー賞では最優秀ミュージカル作品賞初め6個のトロフィーを手にしている。コロナ蔓延で休演していたが、この12月11日から改めて公演が始まることになっている。
この注目のブロードウェイ作品を原作とした映画(監督スティーヴン・チョボスキー)が、11月26日から全国ロードショー公開される。映画で主役の高校生エヴァン・ハンセンを演じるのが、ブロードウェイ・オリジナル・キャスト、ベン・プラット(トニー賞最優秀ミュージカル男優賞)なのが嬉しい。映画化に当たってオリジナルの舞台を尊重しようという姿勢が明確に感じとれるからだ。
実際、舞台から映画へ主題も物語もしっかり受け継がれている。
主人公エヴァン・ハンセンは社交不安障害という“心の病い”を抱えていて、医師からその治療の一環として自分宛の手紙という型式で日々の出来事を記録するよう求められている。ある日、学校のパソコン室でその手紙を書いているとき、密かに思いを寄せているゾーイ・マーフィーの兄コナーにその手紙を奪われてしまう。
物語は次から次へ予想外の展開を見せる。実はコナー・マーフィーにも精神不安定のところがあり、突然暴力的になったりする。多分に孤独だったのだろう。クスリも服用していた。そして突如、自ら命を絶ってしまう。
コナーの死後、「ディア・エヴァン・ハンセン」という書き出しで始まる手紙を見つけた彼の両親は、独りぼっちだと思っていた息子にも友人がいたと想像を逞しくする。両親の思い込みを否定できず、コナーとは親友だったと嘘の上塗りを重ねるエヴァン……。コナー追悼会でのエヴァンの涙ながらのスピーチは、その映像とともに学友たちの手であっという間に拡散されていく。
エヴァンは母ハイディとふたり暮しである。ハイディは看護師として働きながら弁護士補助職員を目指し夜学に通っている。息子と意思疎通を図れるだけの時間的余裕などない。一方のゾフィーの一家は経済的には安定しているものの、コナーの予期せぬ自死によって動揺と反省に晒されている。
この映画は私たち現代社会が直面しているさまざまな困難な問題を次々に突きつけてくる。青春と孤独。親子間の確執。社会全体を覆うコミュニケーション不在など。分けてもSNSの恐ろしいほどの伝播力、影響について──。
こうした内容からも察せられるように、『ディア・エヴァン・ハンセン』は、映画も舞台も過去の王道を行くミュージカル作品とはおよそ趣を異にしている。甘い男女の出逢いの物語も幻想味たっぷりの歌とダンスのシーンも、まったく登場しないのだから。
舞台から映画へ、一貫して楽曲作りに携わってきたのはベンジ・パセック&ジャスティン・ポールである。クレジット上はふたりがそろって作詞にも作曲にも係わり合っている表記になっているが、実際の仕事の上ではベンジが作詞、ジャスティンが作曲に掛ける比重がそれぞれ大きいらしい。なお、ふたりは他の2本の映画でも大きな足跡を残している。
『ラ・ラ・ランド』では作詞家として、『グレイテスト・ショーマン』では作詞・作曲家として。『ラ・ラ・ランド』でライアン・ゴスリングとエマ・ストーンが歌った「シティ・オブ・スターズ」はアカデミー賞主題歌賞に輝いている。
ベンジ・パセック、ジャスティン・ポールは1985年生まれ、映画、舞台両方の脚本を書いたスティーヴン・レヴェンソンは86年生まれだという。3人そろって80年代半ばに生を享けた同世代にほかならない。ちなみに彼等が異色のミュージカル『ディア・エヴァン・ハンセン』について初めて話し合ったのは、2010年だと洩れ聞く。3人が20代半ばだったころのことだ。登場人物のエヴァン・ハンセンやコナー・マーフィーの兄貴分という年ごろだったからこそ、エヴァン、コナーらの心中、あるいは行動は隅々まで理解できそれを歌や科白に落し込むことができたのではないか。
ベンジ&ジャスティンが書いた『ディア・エヴァン・ハンセン』のミュージカル・ナンバーは、いずれも大仰ではない。歌詞も音楽もガラス細工のように繊細である。登場人物の魂の震えがそくそくと伝わってくる。
優れた曲がずらりと並んでいるのでどれを紹介しようか迷ってしまうが、とりあえず作品の主題との関係性が濃密な2曲を選んでみた。エヴァンの歌う「ウェイヴィング・スルー・ア・ウィンドゥ」「ユー・ウィル・ビー・ファウンド」である。前者では自己と他者とのコミュニケーションのもどかしさが切々と胸に迫る。ガラス越しに手を振るという比喩に思わず共感してしまう。後者では孤独の果てに訪れるであろう一条の希望の光が歌い上げられる。いずれの曲調にもまったく感傷性がないわけではない。しかし決して過剰ではない。両方の曲調に共通するのは磨き上げられた極めて上質なセンチメンタリズムである。
蛇足を承知で映画『ディア・エヴァン・ハンセン』のプロデューサー、マーク・プラットについてひとこと。ハリウッドの大プロデューサーである。『キューティ・ブロンド』『プリティ・ウーマン』『ラ・ラ・ランド』ほかあまたの名だたる作品を切れ目なしに世に送り続けてきた。映画プロデューサーとして特にミュージカルものが得意だったわけではないのに、ブロードウェイにも進出し、第1作目から『ウィキッド』という超々ヒット作を生み出している。映画化すべく原作を押さえ作業に入っていたところ、作曲家のスティーヴン・シュオーツに映画より舞台向きと示唆され方向転換したという裏話がある。
お気づきだと思うが、マーク・プラット、ベン・プラットは同姓である。Marc Platt、Ben Plattと綴る。実の親子である。映画『ディア・エヴァン・ハンセン』は父がプロデューサー、息子が主演で製作されたことになる。念のためブロードウェイ公演に父マークがプロデューサーとして参加しているか、「PLAYBILL」(劇場で配られる無料パンフレット)でチェックしてみたが、名前は見当たらなかった。父親はブロードウェイの段階では息子のこの舞台にあまり興味がなかったのかも……。息子主演の映画化に動き出したのはいつごろからか? その動機は? 映画『ディア・エヴァン・ハンセン』は一種の“※父子鷹”だけにそのあたりの経緯をくわしく知りたいと思う。
※おやこだかと読む。日本独自の表現で、子母澤寛(1892~1968)の時代小説の題名に由来する。父と子がともに目覚ましい活躍を示したときに用いられる。
プロフィール
あべ・やすし
1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。