安倍寧のBRAVO!ショービジネス
満を持してスピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』登場
不定期連載
第44回

映画『ウエスト・サイド・ストーリー』(C)2021 20th Century Studios. All Rights Reserved.
2018年1月、製作発表がおこなわれてから、これほど待ち続け期待した映画はない。スティーヴン・スピルバーグ監督『ウエスト・サイド・ストーリー』である。スピルバーグ監督と『ウエスト・サイド~』を直接繋ぐ糸が見当たらないだけに、なぜスピルバーグが……という疑念を持ち続けてきた。ブロードウェイで初演された舞台(1957)も、それに基づいた映画(1961、ロバート・ワイズ並びにジェローム・ロビンス監督)も名作の誉れ高い。いったいどういう勝算あってのリメイクか?
そしてその結果は? さすがスピルバーグ、大画面を縦横に使いこなし、生気と新鮮味あふれる21世紀版『ウエスト・サイド~』を作り上げた。50~60年代以上に貧困、人種差別など社会の分断化が激しくなるばかりの今だからこそ、ニューヨークの若い不良グループ、ジェット(ポーランド等白人系)とシャーク(プエルトリコ系)の対立・抗争は描き尽くすだけの価値がある。その敵対関係を解消する妙薬は愛しかないという隠されたメッセージは、いささか大甘だとしても。

今回の『ウエスト・サイド・ストーリー』の観客のうち、映画でも舞台でもいい、以前、なんらかの『ウエスト・サイド』を見ている人たちと見ていない人たちとの割合は、どんな具合になるだろうか。私はその比率がとても気になる。この作品のような歴史的名作のリメイクにどれだけ新しい世代の観客が詰め掛けるか、とても興味深いからだ。当然、若い観客層が多いほうが興行成績上ではプラスに働くだろうし、白紙で見る彼等のほうがより率直な感想を語ってくれるにちがいない。
一方、私のような旧世代は、60年以上昔のワイズ&ロビンス版と出来立てほやほやのスピルバーグ版とを比較し、小うるさいことのひとつもいいたくなる。度が過ぎないよう自戒しないと──。

旧世代のひとりとして新『ウエスト・サイド』についてさすがだと思うのは、トニー・クシュナーの脚色である。スピルバーグ監督の意見を汲み入れてのことでもあろう、人物、物語の現実味を増すべくさまざまな裏付けがなされている。現代アメリカの複雑な人間関係をヴィヴィッドに描いた『エンジェルス・イン・アメリカ』3部作の劇作家だけのことはある。たとえば主役トニーのキャラクター。ジェット団のスターだった彼が、今なぜ小さなドラッグストアのしがない配達夫に身を落としているのか? 彼には一歩間違えば殺人になりかねなかった前科があることが、誰彼の科白から語られる。トニーは只の優男の二枚目ではなかった……。

新脚色でもっとも唸らされるのは、ドラッグストアの親父ドクが消え、代わりに未亡人バレンティーナ(リタ・モレノ)が登場する設定である。しかも亡きドクは白人系なのに彼女はプエルトリカンだという。おのずとジェット団とシャーク団の橋渡し役を背負わされている。演じるリタ・モレノが素晴らしいの一語に尽きる。1931年生まれ、90歳だからまぎれもないおばあちゃんだが、年老いているという感じはまったくしない。ひとことでいえばナイスおばあちゃん。ハスキー・ヴォイスがたまらない。61年のワイズ&ロビンス版でアニタを演じ、アカデミー賞助演女優賞を受賞した彼女が、こういうかたちで“復活”するとはまさに奇跡だ。エグゼクティヴ・プロデューサーとしてもクレジットされているが、この肩書きのもとに前作での体験に基づくさまざまな助言をおこなったのだろうか。
私の大好きなミュージカル・ナンバーがよりパワーフルになっているのがとても嬉しい。まずプエルトリカンの視線でアメリカ社会の矛盾を痛烈に批判する「アメリカ」。シャーク団女性陣の見せ場である。61年版の映画ではせせこましいビルの屋上で演じられたが、今回は広々とした道路に進出し、歌、踊りともにたっぷり楽しませてくれる。もうひとつはジェット団男性陣の「クラプキ巡査どの」だ。こちらはドクの店の前からなんと警察署の中へ。警察を笑いものにする意味合いも含まれるナンバーに、これ以上の場面設定はない。自分たちが病んでいるとすれば、その責任は親、警官らおとなたちにあると、強烈な批判精神が繰り広げられる。作詞はいずれも、昨年11月26日、91歳で世を去ったスティーヴン・ソンドハイム。ソンドハイムはのちに作詞家・作曲家を兼ねた存在として名をなすが、『ウエスト・サイド』『ジプシー』では作詞のみで立派な仕事を残している。
新旧ふたつの映画の原作となる舞台版『ウエスト・サイド』がブロードウェイに初お目見得したのは、1957年である。レナード・バーンスタイン(作曲)、アーサー・ローレンツ(脚本)、ジェローム・ロビンス(原案・振付・演出)が持てる力を振り絞って作り上げ世に問うた。なかでもロビンスは“我が作品”という意識が強かったとされる。もちろん今回も原作者のひとりとしてロビンスの名前はクレジットされている。しかしロビンスの影は意外に薄いように思われる。振付のジャスティン・ペックはロビンスの仕事を継承しつつ独自のカラーを打ち出そうとしたのではなかろうか。ロビンスは俳優、ダンサーたちの肉体、ダンス力を極限まで使い切ろうとしたが、ペックの振付は余裕が垣間見える。俳優、ダンサーたちに余裕を持たせ踊らせているといってもいい。その分、私は見ていて息苦しくならなかった。私は緊迫感もじゅうぶん感じたが、人によってはダンスにもっと緊迫感を求めるかもしれない。
バーンスタインの音楽が、依然として素晴らしい。格調と親近感のバランスが最高だ。気がつくと心が打ち震えている。ダンスとの親和性も申し分ない。壮大な「トゥナイト」から軽やかで可愛らしい「アイ・フィール・プリティー」まで曲調の幅広いことにも改めて驚かされる。
俳優たちはリタ・モレノを除いて知名度のある顔ぶれは見当たらない。トニーのアンセル・エルゴート、マリアのレイチェル・ゼグラー……誰ひとりとして知られていない。しかし、ブロードウェイ、オフブロードウェイでのそれなりのキャリアを誇る強者(つわもの)たちらしい。アニータのアリアナ・デボーズのようにトニー賞ミュージカル助演女優賞にノミネートされた者もいる(2017、『サマー:ザ・ドナ・サマー・ミュージカル』)。厳しいオーディションを経て役を手にしたということでは、全員変わりはない。マリアのゼグラーは3万人以上の応募者から選ばれたという。

今回の『ウエスト・サイド・ストーリー』のキャスティングが知名度にこだわらなかったのは、私は正解だと思う。物語の主人公たちがニューヨークの名も知れぬ若者たちなのだから。若者たちを演じる俳優にスターがいないことが、どれだけ登場人物、物語にリアリティーをもたらしているか、計り知れない。
スピルバーグ監督の新版を見て、早速、私はワイズ&ロビンス監督版が恋しくなり、ブルーレイ盤で久しぶりに再見した。もちろん活力あふれる傑作である。社会批判も鋭い。ただし、製作された1960年代初めのニューヨークの空気がどうしようもなく漂ってくる。それは原作の50年代という設定に通じるものでもある。しかし、スピルバーグ版は、原作の設定を踏襲しつつも今のニューヨークの空気を漂わせずに措かない。空気感のその微妙な差異がなんと興味深いことか。
結果的に私たちは2本の素晴らしい映画『ウエスト・サイド』を手にすることになった。なんという幸せ、なんという歓び。
プロフィール
あべ・やすし
1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。
