安倍寧のBRAVO!ショービジネス
見事カムバックを果たした加山雄三/ plus 名曲「君といつまでも」の思い出
不定期連載
第48回

病いで倒れた加山雄三の復帰が目覚ましい。85歳(1937年〈昭和12年〉4月11日生まれ)という年齢からすると奇蹟に等しい。いくつかの新聞雑誌の記事・グラビア、テレビ番組でその逞しいカムバックぶりを知って、人知れず大喜びしている。映画俳優からのスタートだったが、彼には歌えるという“武器”がある。しかもレパートリーの作曲はことごとく自ら手掛けるという希有の才能の持ち主でもある。いつまでも“若大将”の看板を掲げて第一線で活躍してもらいたい。
文藝春秋4月号所載の記事『若大将八十五歳の「幸せだなあ」』によると、彼が脳梗塞を起こしたのは3年前(2019年11月)だという。「寿司屋で寿司を食べようとしたら、急に手が勝手に動き出したんだよ。(中略)あれは不気味な体験でしたね」
このときは後遺症もなく幸いことなきを得たが、翌20年8月、こんどは小脳出血を発症する。「その時もカミさんが、いち早く異変に気付いて救急車を呼んでくれた。そのままICUに入りました。あとからマネジャーに聞いたら、医師からは『出血が止まらなければ、今日の夜が峠かもしれない』とまで告げられていたらしい」
加山は文春4月号の巻頭グラビア“日本の顔”にも登場している。2021年12月11日、ビルボードライブ東京でのステージから友人たちと300gのビーフステーキを平らげる姿まで、計8頁のカラー写真を見る限り、九死に一生を得た80歳過ぎの“老スター”とは、到底思えない。そのたたずまいはまぎれもなく“永遠のスター”である。
テレビ・ドキュメンタリー『復活!若大将~加山雄三、音楽を愛して~』(NHKBSプレミアム/BS4K、4月2日21:00~22:29、89分)が、去年夏から暮のそのライヴに向け着々と準備を進める加山及びその周辺を追って、見応えある番組に仕上がっていた。なにより加山の病いを乗り超え再起を目指す不屈の精神、常にオプティミスティックな生き様が的確に捉えられていたのが収穫であった。
加山の音楽歴は長い。幼い頃から父親(往年の二枚目映画スター上原謙)の影響もあり、クラシック音楽が身近にあったらしい。8歳のとき見よう見真似でピアノ教則本「バイエル」を弾いてみせたというエピソードもある。中学時代を過ごした茅ヶ崎市の自宅のすぐそばにピアノの巨匠レオニード・クロイツァーが住んでいて、塀越しにそのピアノの音色に聴き惚れたとか。後年、ピアノ協奏曲(第1番ニ短調K213「父に捧げるピアノコンチェルト」)を作曲したのも決して伊達じゃない。
近頃は忘れられてしまったきらいもあるが、作曲家としてのペンネーム弾厚作はクラシック音楽界の大先達に因んだものだ。そこにはふたりの高名な作曲家山田耕筰、團伊玖磨の名前が見え隠れしている。加山がクラシック音楽に対し畏敬の念を持っていることの端的な表われと見る。
加山が自ら作曲した「君といつまでも」で一気に“歌う映画スター”としての地歩を固めた1966年のことだが、テレビ朝日「題名のない音楽会」が“日曜作曲家”という主題のもとに番組を作った回があった。日曜作曲家とは一般的に流布していた日曜画家、日曜大工のもじりであろう。日曜だけ絵筆をとったりトンカチやったりする日曜画家、日曜大工同様、日曜作曲家はほかに本業があって休日のみ五線紙に向う人々を指す。実はこの回のゲストはふたりいて、作家の大岡昇平、そして加山であった。
大岡は1909年生まれ、50歳を超えてのち作曲の勉強を始め、中原中也の詩に曲をつけるなど日曜作曲家ぶりが話題になっていた。ただ作曲は小説より手間がかかるらしく、番組のなかでも司会の黛敏郎に「5、6分のピアノ曲に1月苦吟する」と語っていた。一方の加山は「5、6分でできてしまう」とあっさり答え、その対照の妙がなんともおかしかった。この番組は公開録画なのだが、客席の爆笑を誘っていた。それ故か、50数年前のひとこまなのに今もって忘れ難い。
それにしても日曜作曲家特集にのこのこ出てくるとは、加山自身も作曲は余技と自認していたということか。今更、本人の気持は確かめるべくもないけれど、聴く側の私たちには、職業作曲家にない自由で鮮度の高い作品だと感じられたものだった。弾厚作ブームはいい意味でのアマチュアリズムの成果だったにちがいない。
ちなみに66年(昭和41年)のわが大衆歌謡界ではどんな曲がはやったか、ざっと見渡してみると、片や千昌夫「星影のワルツ」、高倉健「唐獅子牡丹」、美空ひばり「悲しい酒」、片や加山雄三「君といつまでも」「お嫁においで」、マイク眞木「バラが咲いた」と新旧ふたつの流れが混在している。洋楽曲ではボブ・ディラン「風に吹かれて」がじわじわと浸透し始めていた。いわゆる御三家も、橋幸夫「霧氷」、舟木一夫「絶唱」、西郷輝彦「星のフラメンコ」とそろい踏みで、すこぶる元気がよかった。
この年の第8回日本レコード大賞では、グランプリを巡って旧勢力代表橋幸夫「霧氷」、新勢力代表加山「君といつまでも」の一騎打ちがおこなわれた。レコード会社間でいえば老舗日本ビクター、新興東芝音楽工業との“戦争”だった。グランプリは「霧氷」が獲った。「君といつまでも」は“自作自演の一連の歌によって幅広く大衆の支持を得た”というただし書き付きで特別賞に回わり、作詞賞(岩谷時子)、編曲賞(森岡賢一郎)にも輝いた。一種の痛み分けか。もっとも、戦いは加山のあずかり知らぬところでおこなわれたであろうから、どういう結末になろうが、本人はあまり関心がなかったかもしれない。
話を今の時代に戻す。NHKBSプレミアム『復活!若大将~加山雄三、音楽を愛して~』でもそのいきさつが詳しく紹介されていたが、病気療養中、自宅の倉庫を整理していたところ、60年代に録音されたと覚しいオープンリールが見つかったという。そのテープには作詞作曲弾厚作、歌加山雄三の未発表曲が複数収録されていた。伸びやかな旋律、心弾むリズムなど所謂加山お得意の湘南サウンズ満載、いわばお宝の山といっていい。そのなかから選ばれて、去年4月11日、加山84歳の誕生日に配信リリースされたのが「紅いバラの花」(ドリーミュージック)である。

「紅いバラの花」では若き日の加山と80歳を過ぎた今の加山とのデュエットも聴くことができる。「Aメロには当時(60年代)の加山が、Bメロは今(2021年)の加山が、戻ったAメロは当時の加山に今の加山がハモをつけ新旧二人の加山雄三によるコラボレーションが実現し、新曲として生まれ変わった」(ドリーミュージック・オフィシャルサイト)。
締めに文藝春秋4月号の記事から本人の談話を引く。「最近、歌手のトニー・ベネットがレディー・ガガとコラボしたことが話題になったでしょう。九十五歳、史上最高齢でアルバムを出したことも、ギネスに認定された。格好よくて、憧れますよ。でもね、トニー・ベネットは自分で曲は作ってないはずなんだよな(笑)」(傍点安倍)。
この意気軒昂ぶりやよし!
プロフィール
あべ・やすし
1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。
