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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

1960〜70年代を席巻したカリフォルニア・サウンドの裏表が赤裸々に/映画『エコー・イン・ザ・キャニオン』が滅法楽しい

不定期連載

第49回

映画『エコー・イン・ザ・キャニオン』(C)2019 Echo In The Canyon LLC ALL. RIGHTS RESERVED.

超々ベテラン、辛口、鋭い切り口で知られる映画評論家白井佳夫さんが、1960年代のロックに材を得た音楽ドキュメンタリー『エコー・イン・ザ・キャニオン』を絶讃していた(週刊新潮、5月5、12日合併号)。書き出しを引用する。

黒澤明監督に「映画は他の芸術の何に似ていますか?」と質問したら、文学でも演劇でもなく「音楽だね」と言われたことがある。それがこの、アメリカのロック音楽の聖地ローレル・キャニオンをめぐる、極めて感覚的なロック音楽誕生秘話の記録映画を見て、よく解った気がした。

ロック映画を論じるのに黒澤の秘話を引用するあたり、この大監督と親交のあった白井さんらしく興味をそそられる。しかしそれにしても、黒澤はどのあたりに映画と音楽の相似点があると考えていたのだろうか。これはあくまでも私の推測だけれど、作品に一貫した流れがあること、その流れのなかにさまざまな変化が見られることなどにある種の共通性を感じとっていたのではないか。その私の憶測は白井さんの次のような文章からもうかがわれなくもない。

ビートルズに刺激を受けて数々のアーティストがカリフォルニア・サウンドを生み出し、それがまたビートルズにも影響を与えて新作が生まれる。そしてアメリカのフォーク・ロックのアーティストたちが、互いに影響され刺激を受けて思わぬ新作を生んでいく壮観! それがよく動く画面に飛びはねるように新鮮に、証明されていくのである。

おっしゃる通り、画面の進み方に一種のテンポがあってそれが心地よい。そのテンポはこの映画が題材にしている1960年代の音楽のそれではないか。

映画『エコー・イン・ザ・キャニオン』(C)2019 Echo In The Canyon LLC ALL. RIGHTS RESERVED.

映画の背景となるローレル・キャニオンはアメリカ西部ロサンゼルスの一地域である。山に囲まれた自然豊かな土地に驕奢きょうしゃではないけれどほどほどの住宅街が広がる。60年代半ばから70年代にかけて多くの音楽家たちが住みついた。LAのそこここに点在する映画、音楽スタジオやナイトスポットなどに出掛けるのにすこぶる便利な上、コミュニティーの雰囲気が圧倒的に自由だったことが歓迎されたらしい。この地に縁のある音楽家たちはザ・ビーチ・ボーイズ、ザ・バーズ、ザ・ママス&ザ・パパス、CSN&Y他数え切れないくらい、いっぱいいる。この映画には登場しないがキャロル・キングも……。

映画『エコー・イン・ザ・キャニオン』(C)2019 Echo In The Canyon LLC ALL. RIGHTS RESERVED.

このドキュメンタリーが誕生するに当たって大黒柱役を務めた人物がふたりいる。製作・脚本・監督・アンドリュー・スレイター、製作総指揮・出演ジェイコブ・ディランである。スレイターは音楽評論家からスタートし、アーティスト・マネージメント、アルバム制作の経験もある。2001~07年、キャピトル・レコード社長兼CEOを務めた。私が魅了されたこの映画のテンポはスレイター監督の手腕にちがいない。

映画『エコー・イン・ザ・キャニオン』(C)2019 Echo In The Canyon LLC ALL. RIGHTS RESERVED.

一方のジェイコブ・ディランは、かのボブ・ディランが父親という歌手、シンガー・ソング・ライター、プロデューサーである。自身のロック・バンド、ザ・ウォールフラワーズのリード・ヴォーカルでもある。この映画『エコー・イン・ザ・キャニオン』ではインタビュアー役を引き受け、ほぼ出ずっ張りの活躍ぶりだ。父の名前と自身が音楽家だということも有利に働くのか、名だたる有名人の懐に飛び込み、次々と貴重な証言を引き出してみせる。彼なくしてはこの作品はなり立たなかったろうと思わずにいられないほど、ごく自然体でこの難しい役割を果たしている。

往年のスターたちも今やいい歳である。たとえばザ・ママス&ザ・パパスのミシェル・フィリップス。気どらぬ物腰、ざっくばらんな喋りっぷりなのにお品がよく、どこか良家のマダムの風情を漂わせる。「皆、ギターを持って友人の家を訪ねたものよ」と曲作りに励んだその昔を振り返る。往年の男女関係についても隠し立てすることなく淡々と語る。「私は恋愛に忙しい子だったのよ」

ジェイコブ・ディランらミュージシャンたちが音楽スタジオに集まっている。これから1曲録音しようというところである。曲目は「駄目な僕(I Just Wasn't Made For These Times)」。

66年のザ・ビーチ・ボーイズの名アルバム『ペット・サウンズ』に収められている名曲である。そこにふらりと初老の紳士が入ってくる。白髪、優しく人懐っこい笑顔。ジェイコブに「あなたの曲です」とうながされピアノの前にすわる。この曲を作って歌ったブライアン・ウイルソンその人だ。一瞬、曲誕生から今日に至る彼の50年余の歳月がわが胸をよぎった。

映画『エコー・イン・ザ・キャニオン』(C)2019 Echo In The Canyon LLC ALL. RIGHTS RESERVED.

映画から脱線するけれども、いったい「I Just Wasn't Made For These Times(今の時代にそぐわない僕)」という原題はなにを意味するのか。時代と自分の間にどうしようもないギャップがあることを言いたかった……。時代より先を行く自分にいら立っていたことの表れかも。ガラス細工のように繊細なこの曲のサウンドは、壊れそうだった? ブライアンの神経を連想させずに措かない。

映画『エコー・イン・ザ・キャニオン』(C)2019 Echo In The Canyon LLC ALL. RIGHTS RESERVED.

白井さんも指摘しているように、この映画の見どころのひとつは、ザ・ビートルズとカリフォルニア・サウンドが相互に影響し合ったその状況を炙り出しているところにある。

ザ・ビートルズがあまりにも偉大な存在だったので、これまで彼等の影響力ばかり強調されてきたきらいなきにしもあらず。なるほどブライアン・ウイルソンは明言している。「『ラバー・ソウル』を何度も聴き圧倒され『ペット・サウンズ』を書いた」と。しかし一方、「『ペット・サウンズ』から『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が生まれた」(ロック歌手トム・ペティ)という証言もある。音楽プロデューサーのルー・アドラーは「ポール(・マッカートニー)はブライアンの曲作りを参考にできるか考えていた」と証言している。

かと思うとザ・バーズのリーダーだったロジャー・マッギンは、ギターを爪弾きながらザ・バーズの「リムニーのベル」とザ・ビートルズの「恋をするなら」の相似性に触れこう話す。「ジョージ(・ハリソン)」は『リムニーのベル』のリフが気に入り、『恋をするなら』を作った」と。

映画『エコー・イン・ザ・キャニオン』(C)2019 Echo In The Canyon LLC ALL. RIGHTS RESERVED.

つまり、アメリカ大陸と大西洋を飛び超え、若者たちの音楽はさまざまな連鎖反応を起こしたということだろうか。そういえばこの映画の冒頭に“エコー”という単語についてこんな注釈が掲げられていた。「アイデア 感情 スタイルや出来事の類似または繰り返し」

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。