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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

文化勲章受章の松本白鸚、再度、『ラ・マンチャの男』ファイナル公演に挑む!

不定期連載

第54回

歌舞伎俳優、二代目松本白鸚がことしの文化勲章受章者のひとりに選ばれた。朝日新聞(10月26日付け)の受章者を伝える記事に次のような数行があった。

歌舞伎で最も好きな役は、1100回以上演じた「勧進帳」の弁慶だ。主君の義経を無事に逃がし、その後を一人で追う幕切れ。

「笈(おい)を背負い、金剛杖を片手に六方で引っ込む。あの笈に、人生そのものが入っている気がします。(下略)」(10月26日、朝日新聞夕刊)

役柄と自らの人生を重ね合わせ、その胸のうちをさり気なく吐露している。さすが80歳の名優というほかない。

私には歌舞伎俳優白鸚について語れるだけの知見はない。しかしミュージカルのことだったら少し語ることができる。まずは1960年代の東宝ミュージカルでの目覚ましい活躍ぶりである。『王様と私』(1965)『心を繋ぐ六ペンス』(66)『屋根の上のヴァイオリン弾き』(67)『ラ・マンチャの男』(69)……。22歳から27歳にかけてこれらの舞台で主役を演じた。どの役も決して楽な役ではなかったが、全身全霊をもって体当たりでやってのけた。なかでも『ラ・マンチャの男』の主役ドン・キホーテは生涯の持ち役としてその後も長く演じ続けることになる。とりわけ70年にブロードウェイで10週間、この役を演じたことは特筆大書されていい。

ミュージカル『ラ・マンチャの男』2022年公演より (写真提供:東宝演劇部)

いうまでもなくミュージカルを始めたころの白鸚は六代目市川染五郎であった。その染五郎がのちのち九代目松本幸四郎を継ぎ、更に二代目白鸚を襲名する。もともと梨園の名門、高麗屋一門の家系である。なにゆえ白鸚はミュージカルの世界に足を踏み入れることになったのか。改めてそのプロセスを振り返ってみたい。

ことの起こりは、1961年(昭和36年)2月、東宝が松竹から八代目松本幸四郎一門を引っこ抜いたことであった。松竹、東宝は商業演劇における二大勢力で、松竹は歌舞伎、東宝はアチャラカ喜劇、現代劇、ミュージカルと棲み分けてきた。その暗黙の了解を突然破ったことになる。その辺りの事情は、千谷道雄「幸四郎三国志―菊田一夫との四000日」にくわしい。

移籍した一門のなかには幸四郎の長男市川染五郎、次男中村萬之助も含まれていた。というより、もしかすると東宝は初めから息子ふたりの将来性に目をつけていたのかもしれない。もっとも父幸四郎も歌舞伎の枠内にとどまることをよしとせず、前年の60年にはシェイクスピア作、福田恆存訳、演出『オセロ』のオセロ役に挑戦している。いずれにせよミュージカル俳優市川染五郎の誕生は高麗屋一門の東宝移籍がもたらした大きな副産物、いや大産物かもしれない。

60年代半ば、東宝はブロードウェイ・ミュージカル日本版の製作に積極的に打って出たが、男性俳優の不足が悩みのタネだった。若手男優陣の手駒は少なく、映画俳優でいくらか歌える宝田明、高島忠夫ぐらいしか見当たらなかった。『王様と私』で年長者の越路吹雪の相手役に染五郎が抜擢されたことが、その事態を端的に現わしている。越路41歳、染五郎22歳。しかし、思い掛けず彼にはミュージカル俳優としての適性があった。新生ミュージカル・スターの誕生である。

確かにシャム王を演じるには若過ぎたかもしれない。けれど歌舞伎の名門に生まれ育った彼には身に備わった貫禄があった。それが若さを補う大きな武器になったことは否定できない。

白鸚のミュージカル界における金字塔は『ラ・マンチャの男』である。過去に1314回、主演している。私は、白鸚と『ラ・マンチャ~』の出逢いは一種の奇蹟ではないかと思っている。そもそもこのミュージカルは商業性に乏しいと見られ、ブロードウェイにおいてさえ敬遠され、65年、オフブロードウェイからスタートした。ブロードウェイへ上がってきたのは68年だが、それ以前に東宝は上演を決めている(日本初演の初日は69年4月4日、帝国劇場)。

ミュージカル『ラ・マンチャの男』2022年公演より (写真提供:東宝演劇部)

なるほどスペインの小説「ドン・キホーテ」(ミゲル・デ・セルヴァンテス作)を原作とするこのミュージカルは、極めて文学性が高い。算盤勘定優先のはずの東宝が早々と手を挙げるなど考え難い。『ラ・マンチャ~』と白鸚がすれ違っていたとしてもなんの不思議もなかったろう。

ミュージカル『ラ・マンチャの男』2022年公演より (写真提供:東宝演劇部)

今、私はふと思い出した。誰かが云っていた。『ラ・マンチャの男』はオフブロードウェイで見て息子に是非やらせたいと云い出したのは八代目幸四郎(のちの初代白鸚)だと。機会があったら、二代目白鸚に確かめてみたい。

『ラ・マンチャの男』(台本デール・ワッサーマン、作詞ジョー・ダリオン、作曲ミッチ・リー)の時代設定は16世紀末、ところはスペインの一地方である。主人公は詩人ドン・ミゲール・セルヴァンテス。今、獄中にあり、宗教裁判への出廷を控えている。詩人はそれまでの束の間、囚人たちを俄か俳優に仕立て、自作の「ドン・キホーテ」をお目に掛けようという文字通りの大芝居に打って出る。主人公キホーテは詩人自らが演じる。

そもそも、あの無鉄砲な中世の騎士ドン・キホーテそのものが田舎郷士アロンゾ・キハーナの想像の産物なのだから、セルヴァンテス役の俳優は、ひとりでキハーナ、キホーテを含め三役を演じなくてはならない。三役を演じ分けること自体、一苦労だろう。一方、観客のほうも理解をゆき届かせるのに努力がいる。なかなか一筋縄ではいかないミュージカルなのだ。そんな難物のミュージカルが、1969年以来、今日に至るまで日本で繰り返し上演されてきた……。もちろん、染五郎、幸四郎、白鸚と芸名こそ変われども、半世紀以上にわたり一貫してこの役にとり組んできた名優の存在あってこそだろう。

ミュージカル『ラ・マンチャの男』2022年公演より (写真提供:東宝演劇部)

『ラ・マンチャの男』はミュージカル・ナンバーの宝庫である。筆頭はキホーテの絶唱「見果てぬ夢」なのは論を俟たない。タイトル曲「ラ・マンチャの男」、恋の歌「ドルシネア」ともに心をに染みる。キホーテの従者サンチョの「旦那が好きなのさ」には思わずほろっとくる。どの曲も聴くたびに新たな感興、感動を覚える。白鸚の「見果てぬ夢」が深みも重みもたっぷりなのはいうまでもない。

ミュージカル『ラ・マンチャの男』2022年公演より (写真提供:東宝演劇部)

実は白鸚主演の『ラ・マンチャの男』は、ことし2月、ファイナルと銘打たれた公演が日生劇場でおこなわれていたのだが、コロナ禍のため中止の憂き目に遭っている。全25回予定されていたが、僅か7回しか上演されなかった。ところが幸い、来年2023年4月14~24日、神奈川・よこすか芸術劇場での公演が決定し、ことし8月19日、白鸚80歳の誕生日に発表された。ポスターには〝幻のファイナル公演が奇跡の復活〟という文字が躍っている。願わくは今回こそ全回完走を!

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。