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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

ホイットニーに捧げられた壮大、華麗なレクイエム、映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』

不定期連載

第56回

映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』

スターとは何者か。作るほうにとっても追い駈けるほうにとっても永遠のテーマである。答えがあるようでない。実在したスターを主人公にした映画が次々作られるのも、作ればその答えが得られると、人々が錯覚?しているからか。『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』(監督ケイシー・レモンズ)もその一本かもしれない。いや、どうしてどうして、そんなお手軽な一本ではない。ホイットニーを生け捕りにして連れてきて、スクリーン上でその一生を再現させたような迫力にあふれている。スターという存在に興味と関心のある人、必見だ。

映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』

私の見るところ、この映画を成功に導いた功績はふたりの人物が担っている。脚本のアンソニー・マクカーテンとプロデューサー陣のひとりのクライヴ・デイヴィスである。マクカーテンには『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディー・マーキュリーの内面に迫った実績がある。そしてデイヴィスはホイットニーを無名の少女から世界的スターに育て上げた当のレコード会社(アリスタ)社長で、彼以上にホイットニーを知る者はいない。映画のなかにも重要な役柄として登場するが、こちらはプロの俳優スタンリー・トゥッチが演じている。

ホイットニー・ヒューストンとその生涯にはスターとなる必要条件がすべて備わっていた。THE VOICEと呼ばれた強靭な声(のど)、それを自由に駆使し得るしたたかな表現力(すなわち歌唱力)、そしてじゅうぶんに魅力的な容姿。さらに、歌手としての先輩でよき指導者でもある母親シシー。母の姉の娘、すなわち従姉はかのディオンヌ・ワーウィックだとか。歌手としてのDNAは申し分ない。一方、母親ととうに別れていた父親は隙あらば彼女を喰いものにする。相思相愛だった同業のボビー・ブラウンとの結婚生活も長く続かなかった。恵まれているだけではなく不幸な側面もまたスターになるための必須条件である。

ホイットニーが世を去ったのは、2012年2月11日のこと。カリフォルニア州ビバリーヒルズ、ビバリーヒルズ・ホテルの一室でバスタブのお湯につかったままこと切れていた。翌12日には当地でグラミー賞授賞式がおこなわれようという最中の出来事であった。ホイットニーはクライヴ・デイヴィス主催の前夜祭でゲスト歌手をつとめる予定だったという。日頃から過度の飲酒、種々の薬物服用が噂されていた彼女だけに、死因についてもそれらとの関係が取り沙汰された。しかしそれにしても、世界的な音楽祭、恩人のパーティ、超高級ホテルと死に際までスター歌手らしいお膳立てである。ただ48歳という若さだったことが惜しまれてならない。

映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』

今回の映画ではイギリスの女優ナオミ・アッキー(1992年生まれ)が抜擢され、ヒロイン、ホイットニーを演じている。見事な化身ぶり。なんの違和感もなかった。スクリーンと相対している間は、ナオミ演じるホイットニーがまぎれもなくホイットニーその人であった。私にはナオミがホイットニーのそっくりさんとしてどれだけ真に迫っているのか、それを採点する資格はない。しかし、ゼロからトップを目指し、全力で突っ走る若き女性の歓び、苦しみ、嬉しさ、哀しさがどのくらい表現されているのかなら感じとることができる。もしもナオミ・アッキーが見つからなかったら、この映画は作られても意味がなかったろう。選定に当たった責任者は、先ほど私が「彼以上にホイットニーを知る者はいない」と断定したばかりのクライヴ・デイヴィスである。

映画のなかでホイットニー・ヒューストン役のナオミ・アッキーが歌うホイットニーのヒット曲22曲は、すべてホイットニー自身が残した音源に基づく(讃美歌などホイットニーの音源がない1、2曲のみ、例外的にナオミ本人の声で聞くことができる)。いわゆる口パクだが、歌詞と口もとが合っていれば済むと言う話ではない。歌の一節々々と表情、動作との完全なマッチングが求められる。その苛酷な要求にナオミが応えられたのは、プロフェッショナルな歌手ではないものの、相当な歌唱力を持っていたからと思われる。1991年のスーパーボウルでのアメリカ国歌斉唱といえば、ホイットニーの生涯でもひときわ輝くハイライト・シーンだが、ナオミはそれさえやってのける。全身からオーラを発散させ、そこにすっくと立っているのは、ホイットニー、それともナオミ?

映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』

ホイットニーの歌とナオミの身体的表現の一致については、もちろん第一にナオミ本人の努力があってなし遂げられたものにちがいない。しかし、監督のケイシー・レモンズを初めとしてクリエイティヴ・スタッフたちも大いに手助けした。とりわけムーヴメントおよび振付の責任者ポリー・ベネットの働きが大きい。プロデューサーのひとりジェフ・カリジェリは「ポリーとナオミはマイクを持つ手や腕の動きから笑顔まで、あらゆる動きに取り組みました。超人的な凄さです」と証言している(広報資料より)。

映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』

この映画のなかでとりわけ目を凝らしたくなるのは、ホイットニーと彼女の育ての親クライヴ・デイヴィスとの係わり合いの部分である。彼がホイットニーのライヴを初めて聞き、いっぺんで気に入ってしまうあたりは、すこぶる興味深い。音楽業界切っての〝耳のいい男〟といわれたクライヴの生き生きとした姿が、リアリティーたっぷりに描き出される。クライヴは権力者だが横暴ではない。アルバム収録の楽曲を選択するに当たってもホイットニーと膝を交えて相談する。彼女の才能に対する敬意をじゅうぶんに持っていたことが、ひしひしと伝わってくる。扮するスタンリー・トヴィッチが好演し、いい味を出しているせいもある。

実在する人物、クライヴ・デイヴィスは、1932年、ニューヨーク・ブルックリン生まれ、ハーヴァード大学出身の元弁護士で、60年、コロムビア・レコードの顧問弁護士を依頼され引き受ける。音楽業界と性が合ったらしく、以来、この世界で目覚ましい活躍を見せてきた。ホイットニーのほか世に送り出したスター歌手は、ジャニス・ジョプリン、アレサ・フランクリンほか数知らず。高齢ながら、今日なお現役プロデューサーなのは、なにより彼がこの映画の制作陣に名を連ねていること自体が証明するところだ。

この映画が描き出しているように、ホイットニー・ヒューストンの物語は彼女とクライヴの二人三脚の物語である。どんな難題もふたりで対処してきたはずだ。だが、ホイットニーのアルコールとクスリだけは、さすがの彼もなす術がなかったということだろうか。今、クライヴ・デイヴィスは、この映画を作ることによって彼にしかなし得ないホイットニーへの壮大、華麗なレクイエムを完成させたのかもしれない。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。