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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

ミスタームーンライトって誰? 同名の映画が明かすビートルズ来日公演の裏表

不定期連載

第58回

ビートルズとは何者だったのか。彼等の音楽はどこが新しかったのか。日本ではどのように広まっていったのか。彼等4人が残した足跡が数多くの生々しい証言によって明らかにされていく。とりわけ1966年、来日時の大騒動ぶりに焦点が絞られている。この映画『ミスタームーンライト~1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢~』から、私もいろいろなことをいっぱい学んだ。新しい知識や情報もたくさん入手できた。監督東考育。製作テレビマンユニオン。

当時、彼等のレコード販売権を有していた東芝音楽工業の初代担当ディレクター、高嶋弘之氏の回顧談が面白い。というか、すこぶるリアリティがある。日本発売第一弾は「抱きしめたい」(1964年2月5日)だったが、そもそも高嶋氏はこの邦題名の考案者である。スタート時点では市場、メディアでの受けは決してよくなかった。しかし、女性にはかならずしも悪くないという状況がわかってくる。ラジオの電リク(電話リクエスト番組)で受け手を務める女の子たちにさくらを頼む一幕もあったようだ。そういえば音楽ジャーナリズムでもいち早く好反応を示したのは湯川れい子さん(音楽評論家)、星加ルミ子さん(「ミュージック・ライフ」編集長、当時)であった。

映画では併せてアメリカでの事情も紹介される。メリーランド州の一少女が地元のラジオ局に「今、アメリカで必要なのはこの曲よ」と「抱きしめたい」をリクエストしたことから、すべてが始まったという。

画面に登場する証言者はゆうに50名を超える(実は私もそのひとりだが、ビートルズ以前の日本の音楽状況について語るにとどまる)。来日時、宿泊先の東京ヒルトンホテルで食事をともにした加山雄三の語るジョン・レノンの逸話が、ジョンのお茶目な人柄をほうふつとさせずにおかない。部屋に入っていき、ジョンだけいないなと思ったら、うしろからいきなり羽交い絞めにされたというのだ。

音楽、テレビ、興行、スポンサーなど直接関係者のほか、ファンクラブ会員の生の声も聞くことができる。彼等の来日便に志願して乗務した元日本航空キャビン・アテンダントを見つけ出したのはお手柄だ(実は私が知らないだけで、ビートルズ関係者の間では有名な人物なのかもしれない)。会社は彼女の望みをかなえてやる代わり、到着時、4人に日航のロゴ入りはっぴ(ハッピーコート)を着させる役割を命じたという。意外にもはっぴ姿でタラップを降りるビートルズ。あのときの有様は今も多くの人々の瞼に焼きついていることだろう。

映画『ミスタームーンライト~1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢~』
(C)「ミスタームーンライト」製作委員会

ビートルズの来日公演は、66年6月30日~7月2日、日本武道館で計5回おこなわれた。会場の総客席数約1万。もちろん毎回超満員。観客総数5万人を数える(資料によっては客席数8千5百とするものもある)。今や半世紀を超える以前の出来事なので、あの時あの会場にいた人たちはそう多くはないだろう。幸い私は初日の舞台を見ている。全館に響き渡るすさまじい歓声、嬌声があの日を思い出すたびに耳をつんざく。帰りの通路はうつぶせに倒れる女の子たちであふれていた。4人の歌、演奏、表情、身ぶり手ぶりのなにがどう彼女たちの感性を刺激し麻痺させたのか。ワン・ステージ僅か11曲、たった35分という短いものだった。

映画の題名『ミスタームーンライト』は、アルバム「ビートルズ・フォー・セール」(64)に収録されている同名の1曲に基づく。ただし、この楽曲はカバー曲(オリジナル盤はドクター・フィールグッド&ジ・インターンズ、62)である。ビートルズ・ナンバーとしてもさほど知名度が高くない。なぜそういう楽曲が映画のタイトルに選ばれたのか。念のため歌詞に当たってみると、美しい月夜に恋人を得た主人公が月への感謝を込めた歌だとわかる。だとするとこの映画の場合は、ミスタームーンライトとは私たちとビートルズを出会わせてくれた人たちを意味することになる。ビートルズが日本に紹介されるに当たっては多くの人々が力を尽くした。とりわけ来日公演が実現するまでにはさまざまな立ち場の人々の協力を必要とした。それらすべての人たちを総まとめにして、ミスタームーンライトと名づけたということか。ビートルズによって有形無形の恩恵を受けた人々からその出会いを用意してくれた人々への感謝の思い、それがこのタイトルに込められていると見る。

ビートルズという存在、その音楽はなにを私たちにもたらしたのだろう。その功績は?ラストで先の高嶋弘之氏が断固たる口調でこう述べているのがすこぶるインパクトがあった。
「若者として人間として自分の語りたいこと歌いたいことをやった——それがビートルズです。ビートルズの前にビートルズなく、ビートルズのあとにビートルズなし」

また、こう語る人たちも。
「おとなたちが作った音楽をもらうのではなく、若者たちが自分たちで自分たちの音楽を作り出すことを学んだ」あるいは、
「若者たちが自分たちの魅力、可能性を広げることができるようになった」と。

この映画に登場する証言者は、その多くが来日コンサートを実体験している人たちなので、それなりの年配者ばかりだったが、ことビートルズになると誰もが若者のように目を輝かせていた。とりわけその表情が印象深く忘れ難い。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。