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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

高まる『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』日本版への期待

不定期連載

第60回

『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』メインビジュアル

前回、とり上げた映画『エルヴィス』は、バズ・ラーマン監督のなかなかの力作であった。今回はそのラーマン監督作品、懐しの『ムーラン・ルージュ』(2001年、日本公開)を振り返ってみたい。同じラーマン監督繋がりということもあるが、ほかにもうひとつ理由がある。この映画を基にした『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』がブロードウェイで大ヒットし、更にこの夏、その日本版が上演されることになったからだ(6月24日~8月31日、帝国劇場、製作東宝)

『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』は、20年のトニー賞でミュージカル部門における最高の栄誉ある賞、最優秀ミュージカル作品賞に輝いた。この賞を含め、手にしたトロフィーは全10個。とりわけ演出、振付、装置デザインなどクリエイティヴ部門で賞を総なめにしたのが注目される(ノミネート止まりは脚本くらい)。演出家初めクリエーターたちがいかにいい仕事をしたか、その端的な証明になるからだ。

Original Broadway cast of Moulin Rouge! The Musical. Photo by Matthew Murphy.

ところでタイトルの“ムーラン・ルージュ”である。日本語に訳して“赤い風車”。これはなにを意味するのか。「そんなことぐらい知ってるよ。パリのモンマルトルにある有名なキャバレーの名前だろ。赤い風車の回る建物の写真を絵葉書で見たことあるよ」とのたまう向きも多いかもしれない。はい、その通りです。なかにはかのトゥールーズ=ロートレックが描いたポスターや、足を高く蹴り上げるダンス、フレンチ・カンカンを引き合いに出す人もいることだろう。

Original Broadway cast of Moulin Rouge! The Musical. Photo by Matthew Murphy.

ムーラン・ルージュがパリに誕生したのは1889年だという。創業以来130年を超える長い歴史がある。パリの名店というよりパリの名所のひとつに入れてもおかしくない。人は便宜的にキャバレーと呼んでいるけれど、この呼び名から連想される場所、特に日本のキャバレーとは歴史、規模、風格すべての点においてまったく別物である。ちなみにフランスの旅行案内ではディネ・スペクタクル(美味しいディナーと豪華絢爛たるショウが、いちどきに楽しめる場所)というジャンルに分類されている。

『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』日本初演への期待に胸を弾ませつつ、元ねたの映画『ムーラン・ルージュ』をDVDでもういちど見てみた。20年以上前の作品とは思えない瑞々しさに満ちあふれていた。まったく古さを感じさせない。ラーマン監督が当時から時代の最先端を行っていたということだ。その映像美は“めくるめく”のひとことに尽きる。そして音楽の使い方のうまさに舌を巻く。画面と音楽の間に一分の隙もない。見ていてはたと、そうか、ラーマンはムーラン・ル―ジュという場所を借りて新しいバックステージ物を作りたかったんだなと得心が行った。それもゴージャスなミュージカル仕立ての……。つまり映画、舞台両分野に跨った、『42ndストリート』『コーラスライン』などバックステージ・ミュージカルの系譜に連なりたかったのではないだろうか。そこで選ばれた場所が世界的に知られるムーラン・ルージュだったというのが、私の見立てである。

映画『ムーラン・ルージュ』の物語はきわめてシンプルで登場人物もさほど多くない。当然、その特色はミュージカル版にも引き継がれている。物語がシンプルな分、登場人物が少ない分、ミュージカル場面が大いに盛り上がる。ミュージカル場面を華麗に仕立て上げるために物語を単純にし、人物を最小限にしぼった……。実はバズ・ラーマンはそういう計算を最初から働かせていたのかもしれない。

左から)望海風斗、平原綾香

主要人物はムーランの名花サティーン(日本版ダブルキャスト望海風斗、平原綾香)、作家のタマゴで、偶然な出来事からムーラン・ルージュのショウに係わることになり、サティーンに一目惚れするクリスチャン(井上芳雄、甲斐翔真)のふたり。あと、物語の展開上目が離せないのはムーランのオーナーでショウをとり仕切るハロルド・ジドラー(橋本さとし、松村雄基)、若者の恋の邪魔をするデュークことモンロス公爵(伊礼彼方、K)だろうか。

左から)井上芳雄、甲斐翔真

私がブロードウェイのアル・ハーシュフェルド劇場で『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』を見たのは、コロナ禍以前、2019年8月27日だった。改めて劇場でただで配られるプレイビルをとり出してスタッフ、キャスト一覧を確かめてみる。普通、ミュージカルのパンフレットには当然ながら作詞者、作曲者の名前が記されている。しかし、このミュージカルのパンフには両方とも明記されていない。数多くの既成曲が入り乱れて使われているので表記の仕様がないのだろう。T・レックスのヒット曲「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」、エルトン・ジョンの名曲「ユア・ソング」からマリリン・モンロー主演映画「紳士は金髪がお好き」の主題歌、ナット・キング・コールの名唱で知られる「ネイチャー・ボーイ」まで、その多種多様さには驚くしかない。どの曲もそれぞれの情景もぴたりはまっている。場面ごとにそれにふさわしい楽曲を捜すという作業は想像以上の苦労を伴ったにちがいない。いったい、この困難な仕事をやってのけたのは誰?ひとりで、それとも何人かで?

ミュージカル・ナンバーを新たに作詞家、作曲家に委嘱せず既成曲で賄おうというのは、もちろん、映画『ムーラン・ルージュ』から受け継いだ手法である。だとすればこのやり方にいちばんこだわったのはバズ・ラーマン監督にほかならないだろう。

Moulin Rouge! The Musical Boston Set Photo by Matthew Murphy.

一方、映画以上に生の舞台だからこそ発揮できた特色もある。このミュージカルを上演する劇場そのものをムーラン・ルージュ化するという演出、それによって醸し出されるリアリティは、映像ではいかに工夫しようが実現不可能にちがいない。『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』の観客は、このミュージカルを上演する劇場に足を踏み入れたとたん、併せて19世紀末の巴里のキャバレー、ムーラン・ルージュを訪れたことになる。なんという贅沢な体験ではないか。

昔も今もほんもののムーラン・ルージュで日々舞台を賑わわせているのは、世界一お金をかけたレヴュウである。『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』が、その贅沢なショウをたっぷりとり込んでいないわけがない。すなわちこのミュージカルの観客は、ミュージカルとその劇中劇としてのレヴュウとふたつながらエンジョイすることになる。美味しいフルコースのフランス料理を堪能しようとしたら、コースのなかに思い掛けないお皿が幾皿か隠されていた……。

『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』日本版がますます楽しみになってきました。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。