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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

歓喜と高揚感にあふれる『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』日本版。 井上芳雄“座長”の活躍ぶりが目覚ましい

不定期連載

第63回

中央:井上芳雄(クリスチャン役)、左:上川一哉(トゥールーズ=ロートレック役)、右:中井智彦(サンティアゴ役) 写真提供/東宝演劇部

物語はヒロインの死で終わるというのに、観客はダンスのステップのひとつも踏みたい気分で、劇場をあとにしたくなる。この夏のミュージカル界の話題をひとり占めにした『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』は、このくらいの矛盾などなにごとでもないかのように、歓喜と高揚感にあふれていた。これまで数多くのブロードウェイ・ミュージカル・レプリカ版を見てきたが、初お目見得の『ムーラン・ルージュ!』日本版はとりわけ超一級品の仕上がりである(6月23日~8月31日、帝国劇場。製作東宝。7月11日夜の部、所見)。

いうまでもない、バズ・ラーマン監督による映画『ムーラン・ルージュ』が原作である。映画そのものもミュージカル映画ならではのエンターテインメント性にあふれていたけれど、このネタを生かす場ということなら、映画より生の舞台が断然ふさわしい。世界一のナイトクラブ、パリのムーラン・ルージュで繰り広げられるバックステージ物ですからね。劇中劇として登場するショウひとつとっても、スクリーンよりライヴ・ステージのほうが、今、ムーランにいて世界一豪華なショウを見ているんだぞという臨場感に浸ることができる。私自身、映画より舞台版のほうが何倍か楽しかった。

中央:甲斐翔真(クリスチャン役)、左:上野哲也(トゥールーズ=ロートレック役)、右:中河内雅貴(サンティアゴ役)
写真提供/東宝演劇部

この作品は、映画も舞台も基本的にはカタログ・ミュージカル(別称ジュークボックス・ミュージカル)である。ミュージカル・ナンバーは主として既成曲に依存している。ただし、『マンマ・ミーア!』『ジャージー・ボーイズ』のように特定ミュージシャンの楽曲にのみ寄り掛かっている作品とは、まったく趣を異にする。クラシック、ミュージカル、映画音楽、ジャズ、ラテン、ロック等々広範囲なジャンルから選び抜かれた楽曲が次々と飛び出す。オペレッタ『天国と地獄』、ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』、映画『紳士は金髪がお好き』の主題曲もあれば、エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、エルトン・ジョン、マドンナらのヒット曲もある。もとより私に一瞬にして原曲の正体を見抜ける知見などあろうはずもない。あれよあれよという思いで客席にすわっていただけである。

平原綾香(サティーン役)、甲斐翔真(クリスチャン役)
写真提供/東宝演劇部

ひょっとすると元唄が即座にわからないのは、mash upという手法が用いられているせいもあるだろう。ひとつのミュージカル・ナンバーを構成するに当たって、複数の曲、それも一部を抜き出し、それらを混ぜこぜにするという新手法である。ただの編曲などとはわけが違う。新曲の作曲に負けないくらい困難な作業にちがいない。

一方、元唄一曲だけの名ナンバー、名場面だってちゃんとある。1970年、エルトン・ジョンが世に問うた「ユア・ソング」に基づく、同名の一場面は代表的な一例だろう。最初、アメリカの作家、クリスチャンは自己紹介を兼ねての習作披露というつもりで歌い出すのだが、いつの間にか曲にムーラン・ルージュの名花、サティ―ンへの思いの丈を忍び込ませずにいられなくなる。サティーンもその思いに寄り添い、曲はやがて恋の二重唱に……。私が見た回は井上芳雄、望海風斗の出演だったが、井上のリードよろしく望海もぴったりの呼吸で、舞台いっぱい愛のムードを振りまいていた。もちろん、エルトン・ジョンの声、容姿を思い浮かべる人だって、大勢いるにちがいない。それのどこが悪い? 舞台に目を凝らしつつ元唄に思いを馳せる……。これぞジュークボックス・ミュージカルの醍醐味ではないか。物語のなかでクリスチャンが作曲した設定になっているからといって、「それは違う。エルトン・ジョンが作ったんだ」などといわない、いわない。それは野暮というものだ。この歌だけだが訳詞は松任谷由実。贅沢な嬉しいおまけです。

望海風斗(サティーン役)、井上芳雄(クリスチャン役)
写真提供/東宝演劇部

19世紀末という時代設定の物語を主に20世紀のポピュラー音楽で彩るという手法は、原作の映画で監督を務めた(共同で脚本も)バズ・ラーマンの考え出したものである。幸い、この手法はうまく機能して20世紀の代表的なミュージカル映画が誕生した。けれど、舞台化の企画が実現するまでにおよそ17年間の歳月が流れた。ブロードウェイを目指してのライヴ・ミュージカル化に当たっては、その隙間を埋めるべくビヨンセ、アデルらの人気曲をとり込む努力がなされたという。『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』は、ただ、大当たりした映画に寄り掛かった舞台ではないのだ。しかし、それにしても、それぞれの場面にふさわしく、かつ全体のプロットを推し進めていくための楽曲は、どのように選ばれたのか興味深い。クリエイティヴ・スタッフ一覧から察するに、中心人物は、Music Supervision, Orchestrations, Arrangements, and Additional Lyrics というながーい肩書きのジャスティン・レヴィーンではないか? 脚本のジョン・ローガンが公演パンフレットに寄せた一文から引く。楽曲選択のプロセスも垣間見ることができる。

私には、この舞台版『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』に命が吹き込まれた、と感じた瞬間があります。それはとある週末、タイムズ・スクエアの小さく、決して魅力的とは言えないホテルの一室でのこと。アレックス・ティンバース、ジャスティン・レヴィーン(素晴らしい音楽監督)と私は自ら缶詰になり、物語と登場人物を描き出すにふさわしい楽曲のアイディアを出し合い、さまざまな可能性を話し合っていました。ジャスティンがキーボードで弾いたり、みんなでSpotifyを再生しまくることで、楽曲によってシーンがどう変わるか確かめていったのです。(中略)皆さんがお聴きになっているのは、私たちがこの“音楽キュレーション”のプロセスを繰り返した結果なのです。(アレックス・ティンバースは本作の演出家。安倍註)

左から中河内雅貴(サンティアゴ役)、平原綾香(サティーン役)、甲斐翔真(クリスチャン役)、上野哲也(トゥールーズ=ロートレック役)、松村雄基(ハロルド・ジドラー役)、K(デューク〈モンロス公爵〉役)
写真提供/東宝演劇部

同じくパンフレットに載っているバズ・ラーマンの次のような文章にも心惹かれる。

舞台化されることになった時、何年も前に私自身が作った映画を再解釈する役割に、自分が適任でないことは分かっていました。私より純粋な関係でこの映画と結ばれた若いアーティストが、今やたくさん育っています。私が自分で手掛けたら、映画でなされた一つひとつの選択を、あたかも神聖なものであるかのように守りたくなるかもしれない。それは、本来芸術があるべき姿に反していると思いました。(中略)そこで私はこのプロジェクトをあえてほかの誰かの手に委ね、生みの親ではなく、伯父のような存在になることにしたのです。

「伯父のような存在」とはなんと含蓄のある言葉だろうか。

左から中井智彦(サンティアゴ役)、望海風斗(サティーン役)、上川一哉(トゥールーズ=ロートレック役)、井上芳雄(クリスチャン役)、橋本さとし(ハロルド・ジドラー役)、伊礼彼方(デューク〈モンロス公爵〉役)
写真提供/東宝演劇部

冒頭でも触れたが、今回の日本版は完成度がすこぶる高い。心より惜しみない拍手を送る。以下、私が観劇した回の、井上クリスチャン、望海サティーン以外の主な配役を明記しておく。ムーラン・ルージュの小屋主ハロルド・ジドラー、松村雄基、売れない絵描きトゥールーズ=ロートレック、上川一哉、金に飽かしてサティーンをわがものにしようと企むデュークことモンロス公爵、K……。誰もが主役ふたりに負けない存在感にあふれていた。しかし、なににも増して驚かされたのは井上芳雄のミュージカル俳優としての成長ぶりである。歌唱力については以前から文句なしだったが、演技面でも進境著しい。いつの間にこんなに巧い役者になったの? 難しいダンスに挑む姿も微笑ましかった。

その滲み出る風格からして、今や井上芳雄は“ムーラン・ルージュ座々長”の肩書きがふさわしいかも──。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。