みうらじゅんの映画チラシ放談
メガネ野郎にとっては重要な見直すべきポイントが出てきました『パピヨン〈デジタルリマスター版〉』『ヒプノシス レコードジャケットの美学』
月2回連載
第141回



『パピヨン〈デジタルリマスター版〉』
── 今回の1枚目のチラシは、1973年の映画『パピヨン』のリバイバル上映です。
みうら これは、書かない方がいいかもしれないことですけど……。
── 最初から書けないのは困りますけど(笑)。
みうら ですよね(笑) でも、これは結構有名な話なもんで、喋りますね。
『パピヨン』のラストシーンにはあってはならないものが映っているって話。僕、この映画、中学のときに観に行ったんですけど、気付いていませんでした。後に映画雑誌に載ってた記事で知ったんじゃないかな。なんと、スティーヴ・マックイーン演じるパピヨンが、崖からバーンって海に飛び込むシーン、その海面の下に、薄っすら潜水夫らしき人が映ってるんですよ。ご存じないですか?
── 確かに聞いたことある気がします。映画の間違い特集みたいなので、よく取り上げられていたような。
みうら そうです、それです。今だったらCGで消せるんでしょうけどね。当時はそんなもん、ありませんから。
僕、昔、それを確かめたいばっかりにレーザーディスクを買ったことがあるんです。鮮明な画像だったら絶対に分かるだろうと思って。やっぱり潜水夫らしき人が映ってました。パピヨンはひとりで脱出したはずなのにねぇ(笑)。
どうなんですかね、今回の上映では消してありますかねぇ?
── おそらくデジタル修復されてますもんね。
みうら ですよね。でも、公開50周年記念ということもあって、わざとそのママかも? 僕を含めた、70年代当時映画が大好きだった少年少女が、今一番知りたいのはそこだと思うんですけど。
この監督はご存命ですか?
── フランクリン・J・シャフナー監督は1989年に亡くなられています。
みうら そうですか。僕がレーザーディスクを買うよりちょっと前ですね。さすがにレーザーディスクの時代では直せなかったのでしょう。でも、監督があえてやったことかもしれませんでしょ?
── 確かに、潜水夫がいるって知って観ると、毎回どこにいるのか気になりますよね。
みうら わざと気にならす作戦(笑)。この際、海女さんが海底で見るという妖怪“トモカヅキ”ってことにして、見るのがいいかもですね。
ま、それはさておき、『パピヨン』というと僕は、マックイーンの相棒役、ダスティン・ホフマンがかけているメガネのレンズに度があったことが何よりも嬉しかったですね。
── 前にもちょっと仰ってましたね。
みうら ここは“アウト老”のループオン・ロケンロール話として聞いてもらいたいんですがね。劇中で度がはっきりしたメガネをかけてた人って、やっぱダスティン・ホフマンだけだったんじゃないかなと。
ダスティン・ホフマンは『マラソンマン』って映画に出演したときも役作りのため本当に歯を抜いたって聞いたこともあり、スゴイんですよ。ホラ、このチラシでもレンズに度が入ってるのがよく分かるでしょ?
僕は小学校のときからメガネ野郎でね、それをとてもコンプレックスに思ってました。
当時の映画に出てくるメガネ野郎って冴えない代表格で、本当ダメな感じの人ばっかりでした。でも、ダスティン・ホフマン演じるドガは主人公の次に重要な役。本人が目が悪かったかは分からないですけど、役作りのためにわざと度の強いメガネをおかけになってたんじゃないかなと思って、感動したんです。
つまり『パピヨン』は、僕にとって最高のメガネ映画なんです。ちなみに村山さんはいつからメガネ野郎でしたか?
── 自分も小学生の高学年くらいからメガネでしたね。
みうら そのときのあだ名は何でした? 僕はすべての人格を拒否されての“メガネ”でしたけど(笑)。クラスの中には頭のいいメガネ野郎もいてね。そいつは“博士”って呼ばれてたもんですよ。
── 確かに昭和の時代は、成績の良いメガネは“博士”って呼ばれてましたね。自分のクラスにもいました。
みうら たぶん、それは漫画『オバケのQ太郎』に出てくる“ハカセ”のイメージなんだと思います。でも僕は勉強ができなかったもんで、単なる“メガネ”だったんです(笑)。
当時は薄型のレンズもありませんでしたから、牛乳瓶の底とか言われてからかわれたもんです。最も多感で青春ノイローゼが始まった頃に“メガネ”って呼ばれるのって、やっぱりキツかった。
で、その時期にアメリカン・ニューシネマが登場、ダメなキャラこそがリアルで逆にカッコイイ時代になったんです。おそらく監督のフランクリン・J・シャフナーさん、または原作者のアンリ・シェリエールさんがメガネ野郎だったのでは?
── でも、アンリ・シャリエール本人がパピヨンのモデルじゃなかったですっけ?
みうら ああ、そうでしたね。じゃ、監督の方ですね、メガネ野郎は。
ちょうど同じ時期に『ジェレミー』っていうメガネ映画があって、僕は救われた気になったんです。
── 確かに主演の人がめっちゃメガネですね。
みうら 主演はロビー・ベンソン。モロ文科系メガネでね、共感しました。
昔、『宝島』って雑誌で僕の担当編集者だった町山(智浩)くんもね、小学校のときからのメガネ野郎で、当時『ジェレミー』と『パピヨン』を見て救われたって言ってましたよ。
今では「メガネ男子」なんていう呼び名がありますがね。
── オシャレなものとして扱われるようになりましたよね。
みうら でも、『パピヨン』の時代のダスティン・ホフマンは、決してメガネ男子ではありませんから。言うならば、メガネ革命(笑)。このチラシがその証明です。
── でも、近視のレンズって目がちっちゃくなりませんか?
みうら ですよね? このチラシの写真は逆に大きくなってますよね。もしかして、これ遠視のメガネかもしれませんね。
── でも劇中では近視の役じゃなかったですっけ?
みうら 当時はそこ、あまり深く考えないで観てましたね。うーん、これは間違いなく遠視用か、老眼鏡ですね。
── チラシの裏面の写真だと、ドガのメガネが違ってませんか?
みうら 違ってますね。どういうことですか? ドガ、2個も持ってましたっけ?
── 意外にも見直すべきポイントが出てきましたね(笑)。
みうら 潜水先より、メガネ野郎にとっては重要な案件ですね。
── 映画の嘘で、演出的に目を大きく見せたかった可能性もなくはないですよね?
みうら 大きく見せたかった? 何のためでしょう? この映画はかなり長いスパンの話ですから、近視だったダスティン・ホフマンも終盤では老眼鏡をするようになっていた、なんて演出かもしれませんね。
── メガネのレンズで時間経過を表現していたってことですか?
みうら だとしたら、スゴイですね。マックイーンは途中から白髪になってましたからね。
ああ、やっぱりそこ、確認しに行くべきですね。50周年で再上映、当時観た僕らもすっかり老眼。“老ガンズ”としてちゃんと映画館のスクリーンで確かめるべきですよね。
『ヒプノシス レコードジャケットの美学』



── 2枚目のチラシは、伝説のデザイングループのドキュメンタリー『ヒプノシス ―レコードジャケットの美学ー』です。
みうら ヒプノシスといや、やっぱピンク・フロイドの革新的なレコードジャケットを思い出します。
あの頃は、僕を含めた美大のデザイン科を目指していた者はみんな、ヒプノシスのジャケットデザインに憧れ、将来はレコードジャケットのデザイナーになりたいと思ってたもんです。
僕がピンク・フロイドで一番初めに買ったのは、このチラシの裏面に載ってる『原子心母』っていう牛をあしらったレコードなんです。既にアルバムは何作か発表されてたんですけど、とりわけこの『原子心母』にグッときたんです。
このジャケットの何がすごいかと言うと、タイトルとバンド名が入ってなくて、ただ牧場にいる牛だけってとこ。僕が買ったのは日本版だったんで、帯に『原子心母』と「ピンク・フロイド」って表記はあったけど、帯を外すとただの牛。カッコイイですよね。それに「Atom Heart Mother」っていう原題を「原子心母」って訳した人もすごい。
僕は美大に入って、3年のときに『ガロ』っていう特殊漫画雑誌でデビューしたんですけど、デビュー作は『うしの日』。当然、ベースになってるのはヒプノシスの『原子心母』です。
確かその同じ頃に、松任谷由実さんが『昨晩お会いしましょう』っていうアルバムを出されたんだけど、そのジャケットデザインがヒプノシスでね。さすがユーミン、美大出身と思いました。
当然、ヒプノシスにグッときた人がレコード会社にもいたんでしょう。でもその後、レコードはCDになっていくんです。
── はい、大きな転換期でした。
みうら CDになってジャケットが小さくなったのがガッカリでした。僕らの世代のヒプノシス憧れ組は、CDが主流になったときにレコードジャケット制作の夢を諦めたんですよね。
そうそう、このチラシの裏面に載っているピンク・フロイドの『アニマルズ』ってアルバムジャケット。工場の煙突の真ん中に巨大な豚が浮かんでますが、合成ではありませんよ。実際、巨大な豚のバルーンを飛ばして撮影してるんです。
邦題は『炎』っていうアルバムでも、そのジャケットでスーツを着た男が燃えてるんですけど、これも合成ではありません。やっぱりすごいでしょ? ヒプノシスのやること。
東京の上映館はシネマート新宿みたいですけど、観客っておそらく、全員、ヒプノシスに憧れたことのある方ばかりだと思いますよ。
取材・文:村山章
(C)1973 Cinemotion N.V.
(C)Cavalier Films Ltd/(C)Hipgnosis Ltd/(C)Anton Corbijn
プロフィール
みうらじゅん
1958年生まれ。1980年に漫画家としてデビュー。イラストレーター、小説家、エッセイスト、ミュージシャン、仏像愛好家など様々な顔を持ち、“マイブーム”“ゆるキャラ”の名づけ親としても知られる。『マイ修行映画』(文藝春秋)、『みうらじゅんのゆるゆる映画劇場』『「ない仕事」の作り方』(ともに文春文庫)など著作も多数。

『マイ修行映画』
文藝春秋
1650円(税込)
