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中井美穂 めくるめく演劇チラシの世界

パラドックス定数『諜報員』

毎月連載

第65回

パラドックス定数『諜報員』チラシ(表面)

白い空間にドアが並び、そのひとつが赤く塗られています。静謐で不穏な印象を受けるパラドックス定数『諜報員』のチラシ。ハードボイルドという言葉がふさわしい作品をいくつも生み出してきたこの劇団のチラシはどのように生み出されているのか、脚本・演出の野木萌葱さんと、制作のたけいけいこさんに聞きました。

左から)中井美穂、「パラドックス定数」脚本・演出の野木萌葱さん、同制作のたけいけいこさん

中井 パラドックス定数にとって、チラシはどんな存在ですか?

野木 「チラシを見てもらいたい」という気持ちはありますね。動員に結びついてほしいけど、たとえ結びつかなくても、まずはこう(チラシを見る動作)してほしい。

中井 作品とのつながりどうこうよりも、まずチラシそのものを。

野木 はい。

中井 劇団のチラシは、決まった人がずっと作っていることが多いイメージですが、パラドックス定数の場合は?

野木 「やってみたいです」と声をかけてくれる方がいらっしゃるので、都度お願いしますという感じです。

たけい しばらく固定の時期もありました。

野木 最初の頃はデザイナーの方にお願いしていました。劇団員Nさん、Uさん、制作Aさんのときもあります。

中井 劇団員の中にできる人がいるわけですね!

たけい はい。絵を描く人と、データをさわれる人と。

中井 過去の公演の中で、「これはよかった」というチラシは?

野木 『四兄弟』(2023)です。

中井 このチラシを見たとき、これまでのものと雰囲気がだいぶ違ったので「これ、本当にパラドックス定数のチラシだよね?」とびっくりしました。

『四兄弟』(2023)チラシ(表面)

野木 このイラストはたけいさんが描いてくれたものです。

中井 たけいさんが!

たけい 最近は劇団員Uさんと私とでチラシの担当をしていて、作品のテイストによってどちらが作るかを決めています。私はデザインはできるけれど、画像を加工したりするところまではできないから、主に写真でいいときは私が。もうちょっと凝ったことがしたいときは劇団員がつくるというのがなんとなくのルーティーンです。で、この『四兄弟』のときは急に野木さんが「絵がいい」と言い出して、「何言ってるの?」と(笑)。

中井 なぜ急に?

野木 手を使ってほしい、人の手で絵を描いてほしい、と思ったんです。

たけい びっくりしました。「パラドックス定数でしょ?」と思いました。

中井 そうですよね。どういうオーダーでこの絵に?

野木 『四兄弟』は、ざっくりいうとソビエト連邦の歴史を童話のように四兄弟にして描いた作品なんですけれども、地球があって、4人の人間で喜怒哀楽とか、人間が絡んでいるものをのせてくれと。人間のかわいさ、不気味さ、どす黒さを描いてほしいと。失礼ながら、上手じゃなくていいから「ウエッ!」という感じで、と。

たけい オーダーのときに、そう言われました。

野木 力強いというか、悪く言えば「雑を恐れないでほしい」と。「書きかけ? なんなの?」という感じで。

中井 まさに「書きかけ? なんなの?」という感じがしますね。最初に見せたときの野木さんの感想は?

たけい 野木さんは最初から「すごくいい」しか言いませんでした。

野木 「通じた!」と思いました。これはもうよくなるしかないと。

たけい 私は、パラドックス定数のチラシをつくるうえで「どこかに緊張感がありたい」と思っていて。ただやりすぎると怖いものになってしまうから、これをチラシ束の中で見つけたときに目をひくポップなものにしたいと、慣れないイラストアプリで遊びながら描いていきました。

中井 「遊びながら」は重要そうですね。だから色が全部ついていなかったり、少しずれていたり。裏面は?

たけい 確か台本の冒頭か、もしくはキャッチコピーだけを読んでいて、お話がどういう方向になるのかさっぱり読めないまま作っていたんです。だから、裏面に敷く写真も大地がいいなと勝手に思っていたんですが、夢があるものがいいのか、これから終わっていくものがいいのかわからず、明るめと暗め、2種類の写真を用意して「どっちがいいですか?」と野木さんに聞いたら「暗い方が見やすい」と選ばれて。

『四兄弟』(2023)チラシ(裏面)写真

野木 私はこの写真は単純に畑、農地だと思って見ていました。

中井 たしかにソビエト連邦の国土といえば大半が農地というイメージがあります。空の部分に文章が載るのが美しいですし。この文言は野木さんが?

野木 はい。長文コピー、短文コピーは考えます。どこにどう置くかはもうお任せです。

初の変型チラシは写真とコピーを活かすため

中井 今回の『諜報員』のチラシについて聞かせてください。今回はどなたが?

たけい 写真は野木さんが選んで、私がデザインをしました。

中井 パラドックス定数には珍しい変型サイズですね。

たけい 変型は初めてですね。

野木 最初の頃はB5サイズを貫いていて、ある時A5サイズにしました。当時、「厚い紙がいい」と言ったら「A5のはがきにしたら厚くなるよ」と言われてサイズを変えたんです。

中井 なぜ厚くしたいと?

野木 「なんかあるぞ」という存在感がほしかったのかな。2003年の『731』からだったと思います。以来、何度か大きくなったりもしましたけど、厚みのあるA5サイズが多いです。

中井 私もパラドックス定数といえばA5サイズのイメージが強いですね。

たけい 今回の『諜報員』はいつもと同じ感覚で発注したら金額が倍かかってしまいましたけど、どうしてもコピーを読ませたくて、大きいサイズに。

中井 大きくして、定型にはしなかった?

たけい この写真が本当に見えている部分で完成のものなんです。野木さんが「今回のイメージは、これ」というので、「なんでチラシサイズにならないやつを持ってくるんだろう」と思って(笑)。変型って、もちろん効果があることは十分にあるんですけれども、特別素敵ではないと思っていて。束の中で、それがどこまで、そこにお金をかけたり、デザインで大変になったりすることがどこまでかっていう、費用対効果といいますか。

中井 この写真を全部使うためにはこの変型でいくしかなかったということですね。

たけい 一生懸命定型におさめようとしたものの、難しくて。写真を作り変えることも本来嫌うんです。ゲネプロの写真でも、「ここ、もう少しこういうふうに加工していい?」と聞くと、「しなくて大丈夫」と言われて。だから、今回も定型に収めるために加工するのではなく、このまま使おうと。

パラドックス定数『諜報員』チラシ(表面)

中井 野木さんはこの写真をどうやって見つけましたか?

野木 無料画像素材の中から、「扉」とか「迷路」とかそんなキーワードで見つけました。「あ、これだ」と。

中井 ひとつだけ赤い扉ですが。

野木 赤くするのだけはお願いしました。最初、横位置のチラシにしていたんですよ。赤いドアは左から3番めにしていて。それで「諜報員」とタイトルを縦にいれていました。

中井 それが、なぜ縦に?

たけい 私が縦がいいと。(本作を上演する)東京芸術劇場のサイトで「チラシは縦位置を推奨する」という一文があって。要は横幅が決まっているから、横位置のビジュアルにすると表示が小さくなってしまうんです。だからこれは絶対縦がいいなと。

野木 芸劇の、ポスターを貼る枠も縦長だったので。

中井 なにか意味があるのかと思っていました(笑)。

たけい 意味ありげですよね(笑)。

中井 でも、それもかなり重要ですよね。好き勝手作ってもいいけれど、どうせ見てもらうなら、ちゃんと大きく見てもらえるほうがいいわけですから。

すんなりと決まった裏面

中井 タイトルもとても目立ちますよね。フォントはどのように選びましたか?

たけい 私が選びがちな明朝です。私も、劇団員のデザインできる人も、「パラドックス定数の明朝体はこれ」というのをそれぞれで持っていますね。

野木 それぞれ違うの?

たけい 明朝にはものすごい種類があるから。微妙に違いますよ。

中井 裏面はまた全然趣の違う写真を選ばれていますね。

たけい これは私が勝手に選びました。普通だと2、3の選択肢から選んでもらうことが多いけれど、今回表で枠をつけるかどうか、サイズをどうするかなどかなり苦戦して。「もう先に裏をやっつけちゃおう」と。当てはめてみたら「これ、いいじゃない?」となって。

パラドックス定数『諜報員』チラシ(裏面)

中井 裏面のこの感じ、すごく好きです。

たけい このさみしげな写真を見つけたときに「もうこれにしよう!」と勝手に決めて見せたらオッケーがすぐに出ました。

中井 裏面の文章の、最後の4行が素敵です。地図もしっかり入っていて、いいですね。

たけい 昔は地図を作るの、すごく楽しくやっていましたけど、歳をとるにつれ、面倒になってきました(笑)。

野木 大昔、下北沢の東演パラータで公演をやったとき、あそこは駅から遠いんですよね。

中井 ああ、行きました! 我ながらよくたどり着いたなと思う場所でした。

野木 そう。そのとき、ちょうど目印になるところに土台しかできていない家があって、チラシの地図に「〇〇さん宅(建設中)」と書いたんです。そしたら、公演時にはもう完成していたんですよ。早くない? 大工さんすごくない? と思いました(笑)。シアター風姿花伝でやったときは、地図に「徒歩15分(早足)」と書きましたね。「徒歩20分」と書くとお客さんがちょっと「えっ」となるかなと思って。

中井 それは面白い。楽しい地図ですね。

脚本家・演出家自ら行う開演前諸注意

中井 野木さんといえば、開演前の前説ですよね。劇作家・演出家自ら前に出ていって開演前の諸注意をされる。もうプロの風格です。

野木 あれは、いちばん最初は私のよくない心からきているもので……。

たけい 反省してる(笑)。

中井 どういうことですか?

野木 かなり最初の方ですけれども、バカにしたような態度をとるお客さんたちがいて。

たけい 本当に知り合いしか来ていないような、ふだん演劇を観に来る人たちがほとんどいなかった時代の話よね。

野木 靴を脱いだりね、長椅子の座席を広く占領したり。

中井 なるほど。

野木 それで、一度やってみようと思って、客入れ中と退場中の30分ずつ、ちゃんとスーツを着て、ニコリともせず立っていたんです。だから最初は威嚇に近い気持ちでした。今もお出迎えお見送りと開演前諸注意をやっているのはその名残で。もちろん威嚇は抜くようにしていますけど。

たけい 続けていくにつれ、ちゃんと作品を観てくれるお客さんが来てくださるようになったので。

中井 たしかに、私も最初にパラドックス定数を見たとき、客席がシーンとしていたので、「ひとりできて大丈夫だったかな?」と思ったことを思い出しました。いろんな芝居を観てきたけど、なんだかすごくハードボイルドな現場ですよね。当時から、野木さんの開演前諸注意はとても的確でした。

野木 いやいや、いまだに「これ言って」とふたつ言われるとひとつ抜けちゃうような状況です(笑)。

中井 客層の変化は感じますか?

たけい 女性が多いと言われがちですが、平日は男性のほうが多くて。だから半々に近いと思いますね。

中井 パラドックス定数の作品には、かっこいい男の人がたくさん登場するから、女性が好きになる印象があるのかもしれませんね。かっこいいというのはイケメンということではなくて、居住まいが、やっていることが素敵な。私の中ではよしながふみさんやオノ・ナツメさんが描くような男性のイメージがあります。

野木 す、すごいお名前と並べてくださって……。

中井 今回も『諜報員』という名前だけでもぐっと掴まれるものがあります。脚本はいまどの程度まで?

野木 えー、「これはちょっとやばいぞ」という状況ですね。

中井 ということは、野木さんは直前でぐんと書けるタイプなんですね?

野木 いいえ。書けない。まだ怖い。

中井 ああ、まだ……。でも、楽しみにしています。とうとう今回で第49項まできましたものね。

野木 いつの間にか年齢を越えてしまいました。

中井 気が早いですが、次回は第50項ですね。なにか決まっていますか?

たけい 何をやるかは。ただ、50作目だからとか、何周年だからとか、気合を入れるのはよそうと。

野木 淡々と続けていければ。

取材・文:釣木文恵 撮影:源賀津己

公演情報

パラドックス定数 第49項『諜報員』

日程:2024年3月7日(木)〜3月17日(日)
会場:東京・東京芸術劇場シアターイースト

作・演出:野木萌葱

出演:植村宏司 西原誠吾 井内勇希 神農直隆 横道毅 小野ゆたか

プロフィール

野木萌葱(のぎ・もえぎ)

1977年、神奈川県横浜市出身。大学在学中の1998年、「パラドックス定数」をユニットとして旗揚げ。2007年の『東京裁判』初演時に劇団化する。ウォーキングスタッフプロデュースにて上演された『三億円事件』(2016)、『怪人21面相』(2017)がそれぞれ読売演劇大賞優秀作品賞を受賞。2018~2019年「パラドックス定数オーソドックス」として上演した『731』『Nf3Nf6』にて、第26回読売演劇大賞 優秀演出家賞を受賞。新国立劇場『骨と十字架』(2019)ほか、外部作品の脚本も手掛ける。

パラドックス定数(ぱらどっくすていすう)

主宰・野木萌葱により1998年にユニットとして旗揚げ。主要メンバーの固定化を受け、2007年6月に劇団化。戦後の未解決事件や、歴史上の著名人をモチーフとした、濃厚且つキレのある男性芝居が特徴。4度の再演をした『東京裁判』のDVD、台本の販売が決定。『諜報員』公演期間中、物販コーナーでの販売のみ。
https://pdx-c.com/

中井美穂(なかい・みほ)

1965年、東京都出身(ロサンゼルス生まれ)。日大芸術学部卒業後、1987~1995年、フジテレビのアナウンサーとして活躍。1997年から2022年まで「世界陸上」(TBS)のメインキャスターを務めたほか、「鶴瓶のスジナシ」(TBS)、「タカラヅカ・カフェブレイク」(TOKYO MX)、「華麗なる宝塚歌劇の世界」(時代劇専門チャンネル)にレギュラー出演。舞台への造詣が深く、2013年より2023年度まで読売演劇大賞選考委員を務めた。