中井美穂 めくるめく演劇チラシの世界
スヌーヌー『月の入り江』
毎月連載
第86回
スヌーヌー『月の入り江』チラシ(表面)
雪が積もる海辺で、空を翔ける馬たち。それを見上げる子ども。寂しさと温かさが入り混じるようなこの絵の上には、タイトルどころか一文字も字が書かれていません。とにかくこの絵そのものを見てほしいという気持ちがあふれんばかりに伝わってくるこのチラシは、スヌーヌーの岸田國士戯曲賞受賞後第一作『月の入り江』。作・演出の笠木泉さんと、イラストを手がける牛尾千聖さんにお話を聞きました。
中井 おふたりの出会いは?
笠木 宮沢章夫さんの遊園地再生事業団で一緒で、なんとなく先輩後輩として知り合って……。
牛尾 出会ってもう10年以上になります。『ヒネミの商人』(2014)で共演して。
笠木 牛尾さんは俳優の傍ら、ずっと面白いイラストを描く人でもあったんですよ。過去に携わった公演『猫と鉄アレイ』や『牛久沼2』(共に2018)のチラシを手がけていて。だから私が自分で作・演出をやることになったときに牛尾さんが浮かんで、『長い時間のはじまり』(2022)で初めてお願いしました。できあがってきたイラストを見たとき、あまりに絵が良すぎて、ここにタイトルを入れることが私にはできなくて。
中井 本当に素敵な絵ですね。
笠木 この公演は、一度コロナで中止になったんです。翌年改めてやろうとしたら、最初はモノクロだったその絵に色をつけてくださったんですよ。それがまた素晴らしくて、色が増えたことも嬉しくて。以来、もう牛尾さんにはひとつの完成された絵としてチラシを描いてもらおうと思って、ずっと題名は入れないようにしています。興味を持ってくれたら、裏も見てくれるはずだから。
中井 チラシを作り始めるタイミングは?
牛尾 公演の4ヶ月前から3ヶ月前くらい?
笠木 そうですね、ギリギリで……。他の劇団の人からしたら怒られちゃいますけど、スヌーヌーは本当にひとりでやっているから、「空いてるから年末にやるか」と始めるくらいで。今回も上演が決まったのは今年の夏でした。
中井 チラシ作りはどう始まりますか?
牛尾 タイトルも何も決まっていない段階で「次回作をやろうと思う」ということだけは教えてもらっていて。ただ、前回もけっこう時間がなく焦ったので、とりあえず手を動かしておこうと思って、自分が気になるものをチラシっぽく描いてみるという腕ならしはその段階から始めていました。
中井 何も決まっていないのに!?
牛尾 そうです。例えば犬なら犬を1枚の絵に仕上げる。それができたら、笠木さんからお題を言われた瞬間に動きやすいかなと。自習というか、エンジンをかけておく感覚です。
中井 この判型の絵を描けるように、脳と手を一体化させる訓練をしておいたわけですね。
笠木 私のオファーが遅いので申し訳ないんですが、チラシはできればほしいし、それは牛尾さんの絵であってほしいと思いつつ。で、牛尾さんは今大阪に住んでいるので、zoomでチラシのイメージだけを伝えました。
中井 作品のプロットではなく、チラシのイメージを。
牛尾 そうです。今回は「北欧の冬」「崖」「入り江」と、「寂しい」というワードをいただきました。あと笠木さんがそのときにハマっていた海外ドラマがあって……。
笠木 『シェトランド』という、寂しい崖がある町で殺人事件が起きまくるドラマがあるんですが、そのドラマのこと、それを見ていた夜中の私のことを話しました。崖の話もしたら、牛尾さんが「2時間ドラマ的な崖ですか?」というから「船越英一郎的なのじゃなくて、フィヨルドの」と、そこのイメージのすり合わせから始まって。
中井 それだけで、もうこの絵が?
牛尾 描き始めたものの、崖に人と犬が寂しくいるようなものしか出てこなくて。「もうちょっとお言葉いただけませんか」とリクエストしたら、笠木さんから「孤独」というワードが出てきて。そのときにガチッと何かが自分の中でハマったというか。
中井 その追加の「孤独」が重要だったわけですね。
牛尾 プロットも何もないので(笑)。
笠木 申し訳ない……。
牛尾 だから、私は笠木さんに贈る絵としていつも考えているんです。今回は「寂しい」だけでは納得できなかったんですが、「孤独」と聞いた時、笠木さんは孤独でいることの強さを持っている人だなと。今までの戯曲もそうだし、これまでお付き合いしてきて、笠木さんにマイナスのイメージではなくぴったりなワードだなと思ったんです。
笠木 孤独が(笑)?
牛尾 孤独は「強い」と思っていて。それで描けた感じがしました。あとは、絵に嘘を入れたいと思ったので、最初は鳥を飛ばしていたけど、たまたま見た広告で馬が走っているのがすごくカッコよかったので馬を飛ばしました。それと、できるだけ影もなくしました。タイトルも何もない分、違和感を持ってもらいたいなと思いました。
中井 馬が空を駆けていたらファンタジーになりそうなものですけど、この絵にはファンタジーに行き過ぎない厳しさみたいなものがありますね。
チラシに励まされて戯曲が生まれる
中井 裏面はどのように作っていますか?
牛尾 実は夫がデザインの仕事をしていて、裏面は夫にやってもらっています。
中井 地図が大きいですね。
笠木 この劇場(MURASAKI PENGUIN PROJECT TOTSUKA <ムラサキペンギンプロジェクトトツカ>)は普段ダンスの上演をやったりしていますが、初めて行く方も多いと思うので、地図がいるね、と。裏面を担当してくれている旦那さんは山ちゃんという人で、前々回のチラシ作成の時、「じゃあイラストに牛尾さん、デザインに山ちゃんの名前をクレジットするよ」と伝えたら「いや、ふたりで牛尾千聖という名前にするから僕の名前は出さなくていいよ」と言われて、何その素敵な話! と思って。だから「牛尾千聖」は個人名でありユニット名なんです。
中井 夫婦で松任谷由実、ユーミンのような(笑)。
笠木 タイトルは牛尾さんが書いてくれました。
牛尾 『海まで100年』(2024)の時と同様に、タイトルは手書きにしました。表面に入れなくて本当にいいの? と何度も聞いたんですけど。
笠木 私が頑なに「表は絵だけでお願いします」と。牛尾さんの絵には絵本のような世界観があるから、家に飾ってもらえたら嬉しいなと思って。それが私の世界観と完全に一緒というわけではないんですが、拡張するイメージになればいいかなと。チラシのファンですという方もいてくださって。
中井 スヌーヌーでは、希望の方にチラシを送っていますよね? 素敵な取り組みですが、大変ではないですか?
笠木 最初にやってみたら好評で。スヌーヌーは私と数人でやっている本当に小さな芝居なので、遠方の方で「観に行けないけどチラシだけほしい」という方がメールをくださったり、そういうやりとりが嬉しすぎて。「ありがとうございます!」とかいって長いメールのラリーになってしまったりもするんですが。
中井 もらった人は、本当の舞台を見ることはできないけど、このタイトルとこの絵から自分なりの物語を紡ぐ。それはまさに拡張していく感じですよね。
笠木 私自身もそうで。『海まで100年』の時も、プロットもちゃんと伝えていなくて、キーワードだけで描いてもらったんです。できあがってきたラフを見たら、3人の人が描いてある。そこで私も「そうか」と思って戯曲に反映しました。『長い時間のはじまり』も「暗闇を動物たちが歩いてる」とは伝えたけど、その時点では動物たちが行列になっているとは思っていなくて。牛尾さんの絵に感化されて「これ、パレードになるな」と思って、そこから戯曲ができるんです。本当に助けてもらっています。毎回壁にチラシを貼って、それに励まされながら一気に戯曲を書いています。
中井 テレパシーのようですね。笠木さんの頭の中にあるものを、牛尾さんが絵として描いていく。それによって笠木さんが自分の中にあるものに気づく。
笠木 牛尾さんの絵は、スヌーヌーの作品のひとつだと思っています。だからこうして注目してもらったり、褒めてもらえることが本当に嬉しいです。チラシは宣伝ですけど、作品にしたい。そして自分も、チラシに負けないような作品にしたい、と毎回思います。チラシを見ながら、今回のチラシだったら「絵の中に描かれた、この家に何があるんだろう」とか考えるんです。引っ張られるのではなくて、共鳴できたらと。
中井 共鳴、いいですね。この絵から100人がきっと100の物語を紡げる。そういう力がある絵ですよね。
笠木 嬉しい。『海まで100年』の戯曲が単行本になった時、チラシのビジュアルをそのまま表紙にしたんです。そうしたら毎日新聞の書評欄で(ブックデザイナーの)鈴木成一さんが取り上げてくださって。表紙が素敵だと書いてくださっていて、本当に嬉しくて! 本が褒められていること以上に、この装丁が褒められたことが嬉しくて、ガッツポーズでした。
ライフステージが変わる中で続けられる共同作業を
中井 牛尾さんは元々、絵を学んでいらしたのですか?
牛尾 いえ、絵は好きで、描くのが当たり前ではありましたけど、生業にすることはあまり考えていませんでした。舞台美術に興味があって。吉本新喜劇のセットとか、細かいものを作りたかったんです。実益のあるものではなくて、終わったら捨てられるようなもの。
笠木 京都造形大にいた頃は、絵はやっていなかったでしょう?
牛尾 演劇をやっていました。維新派に手伝いに行っていたら、そこで美術への思いは燃え尽きてしまいました。舞台芸術コースで、太田省吾さんが教授としていらして。単位を取るためにいろいろやる中で役者もやるようになりました。
中井 今は役者は?
牛尾 何もやっていないです。
中井 未練はないですか?
牛尾 はい。一度離れてしまうと、皆さんのすごさがわかって。続けることが一番難しいので、自分には無理だと思いました。
笠木 もちろん俳優としても機会があればまたいつかご一緒したいと思いますけど、それぞれのライフステージが変わる中でも何かは一緒にやりたいと思って。牛尾さんは東京から離れて、お子さんを育てて充実されている中でもできることとしてチラシをお願いした面もあります。『海まで100年』の時なんて、まだ赤ちゃんだったお子さんを抱っこしながら絵を描いてくれて。
中井 お話を聞いていると、スヌーヌーのチラシ作りはおふたりの往復書簡のようでもありますね。
二人 そうですね!
中井 今回はどんな話ですか? チラシにあらすじも、笠木さんからの言葉も、何も書いていないですね。
笠木 自分がお芝居を観にいく時、想像できないものが見られる方が面白いので、チラシの段階で内容や登場人物の名前が決まっていても、書かないです。
中井 その分、かなり詳しく俳優さんのプロフィールが書かれている。
笠木 俳優を見にきてほしいから、その紹介はしっかりしたいんです。……今回は、地味な話です。私の作品はいつも地味ですけど、かつてなく地味。取るに足らない話です。
笠木 牛尾さんとは俳優として知り合って、歳を重ねて違った形でも一緒に何かができるのは、最高です。演劇ってハードだし、お金を稼ぐものではないから、何を基準に考えるかといったら、やっぱり自分がやりたいことをできるかどうかだけにかかっていると思っていて。その中で、牛尾さんの絵がいいなと思って、それを頼めるのはありがたいし、ラッキーだなと思います。
牛尾 いや、私こそラッキー。毎回大丈夫かなと思いながら、とにかく笠木さんに向けて絵を描いていて。でも毎回「楽しく描いてくれたらいい」と言われるので。
笠木 そう、毎回「楽しく描いてくれたらいいよ」と言ってミーティングが終わる。
牛尾 子育てしている中でも、創作をする時間を与えてもらえているのは嬉しい限りです。
中井 演劇は人生や生活を描くから、生活感の中から生まれるものは強い、と思います。
笠木 私たちふたりとも自己肯定感がすごく低いから「本当に大丈夫かな」と言いあいながら作っているけど。
中井 マイナスとマイナスがかけ合わさっているから、プラスのものが生まれているのかも。
笠木 そうか! そういうことかもしれません。
取材・文:青島せとか 撮影:藤田亜弓
公演情報
スヌーヌーvol.6『月の入り江』
日程:2025年12月9日(火)~13日(土)
会場:MURASAKI PENGUIN PROJECT TOTSUKA<ムラサキペンギンプロジェクトトツカ>(神奈川県)
作・演出:笠木泉
出演:渡辺梓 上村聡 踊り子あり 鳥島明
スヌーヌー公式サイト
https://snuunuu.com
プロフィール
笠木泉(かさぎ・いづみ)
1976年、福島県いわき市出身。劇作家・演出家・俳優。大学時代に宮沢章夫主宰の劇団「遊園地再生事業団」に参加。以後、同劇団を中心にペンギンプルペイルパイルズ、劇団、本谷有希子、劇団はえぎわなどの外部公演ほか、映画、ドラマにも多数出演。2018年より、自らが戯曲を書き演出するソロ演劇ユニット「スヌーヌー」の活動をスタート。2024年に上演した『海まで100年』が第69回岸田國士戯曲賞を受賞。
牛尾千聖(うしお・ちせ)
1981年、京都府出身。2004年から京都にて「マレビトの会」(主宰:松田正隆)の作品に出演し俳優を始める。太田省吾、松田正隆、宮沢章夫の作品に出演。2012年より宮沢章夫主宰の劇団「遊園地再生事業団」に参加。
中井美穂(なかい・みほ)
1965年、東京都出身(ロサンゼルス生まれ)。日大芸術学部卒業後、1987~1995年、フジテレビのアナウンサーとして活躍。1997年から2022年まで「世界陸上」(TBS)のメインキャスターを務めたほか、「鶴瓶のスジナシ」(TBS)、「タカラヅカ・カフェブレイク」(TOKYO MX)、「華麗なる宝塚歌劇の世界」(時代劇専門チャンネル)にレギュラー出演。舞台への造詣が深く、2013年より2023年度まで読売演劇大賞選考委員を務めた。
