中井美穂 めくるめく演劇チラシの世界

『岸辺のアルバム』

毎月連載

第90回

『岸辺のアルバム』チラシ(表面)

4月3日(金)より東京芸術劇場シアターイーストにて上演される『岸辺のアルバム』。山田太一による名作ドラマの初舞台化です。チラシは、作中で家族を演じる4人の顔のイラストが並ぶシンプルなもの。けれど、写真とは違うその表情につい目が留まります。絶妙な色合い、幾重にも重なる筆跡。見れば見るほど気になるビジュアル。プロデューサーの長坂まき子さんと、イラストを手がけた下田昌克さんにお話を聞きました。

プロデューサーの長坂まき子さん、イラストを手がけた下田昌克さんと

中井 長坂さんはいつも、演劇のチラシをどう立ち上げていきますか?

長坂 松尾(スズキ)さんや宮藤(官九郎)くんの公演の時は、それぞれのやりたい方向性を反映して作ります。モチロンプロデュース公演は、私が「どうしようかな?」と考えますね。

中井 『岸辺のアルバム』はどういう経緯で下田さんに依頼しようと?

長坂 2024年に『ボクの穴、彼の穴。W』をモチロンプロデュースでやりました。この公演は再々演だったんですが、演出のノゾエ(征爾)くんが「衣裳・小道具は初演同様下田さんにお願いしたい」と。私もそれがいいと思って、そこで初めて下田さんにお会いしました。

中井 その時は衣裳と小道具。

長坂 はい。で、今回『岸辺のアルバム』をやるとなった時に、ドラマを知っている方は絶対に八千草薫さん、杉浦直樹さん、国広富之さん、中田喜子さんが思い浮かぶじゃないですか。だから、チラシでは「誰がこの4人家族をやるか」が伝わるように、家族を演じる4人の顔をメインに据えようと決めていました。でも、ただ写真が並んでいるだけでは、その俳優でしかない。その時に、下田さんのイラストの生命力の強さが思い浮かんで、下田さんにお願いしました。似顔絵をお願いするようなことになって、下田さんとしてはちょっと窮屈だったのではないかとは思いつつ。

下田 難しい部分はありました。似ていなかったら「似てないな」で終わっちゃうし、かといって似ていたら「似てるな」で終わっちゃう気がして。そこよりもうちょっと先にいけるといいなと思いながら描きました。

中井 チラシが動き出したのはいつ頃ですか?

長坂 最初から下田さんに描いていただこうと決めていましたけど、物事を進めるのが遅いのでなかなか発注しなくて。公演の半年前くらいにようやくお願いしました。「下田さんがこんなふうに描いてくれたらいいな」と想像しているだけの方が楽じゃないですか。でも、依頼したら断られてしまうかもしれない。だから実際に進めるのが苦痛で。(下田さんに)すみません。

下田 いやいや、お話が来た時は嬉しかったですよ。

中井 下田さんはそのオファーを受けて、何から取りかかりましたか?

下田 宣伝用のキャストの写真撮影があったので、そこに同席させてもらいました。さらにその写真を資料でもらって、描いていきました。あと、長坂さんからお話をいただいた時に「顔に水色を使ってほしい」と言われて。

長坂 え、そんなこと言いましたっけ? 全く覚えてない……。

下田 はい。だからなんとなく水辺とか、その反射光とかをイメージしているのかなと思いながら描きました。

中井 確かに、輪郭のあたりに水の反射のようなタッチがありますね。色はどうやって決めましたか? 下田さんの作品はいつもそうですが、とても不思議な色を使われますよね。

下田 適当です。その時の服装の印象とかもあるかな。

長坂 私たちには見えていないような色が下田さんに見えているのかと思っていました。

下田 僕、20代から旅行しながら、会った人の絵を描いてきたんですよ。その時は面と向かって描くので、場所や時間によって光が違って、その色が見えてくる感じでした。だから写真をもとにするときも、その感覚を思い出しながら、色を探しながら描いている感じですね。

中井 では、写真を見ながら、撮影で実際にキャストのみなさんを見た時の感触を絵に取り込みつつ描かれた?

下田 写真を見ながらだとそのまんま描きそうになっちゃうから、なるべくイメージで描くようにしていて。理想は写真を見ないで描けることなんですよ。今回は一番最初に杉本哲太さんを描いてみたんです。実はこの哲太さんは撮影前に描いたものですけど、これが一番自由に描けた気がして、結局その絵を使っています。

中井 その後描いていった順番は?

下田 若いふたり(細田佳央太、芋生悠)が難しくて後になっちゃいましたね。芋生さんの絵は鼻のところがうまく描けなかったな、失敗したかなと思って一度没にした絵を使っています。四人並べてみたらこの赤い色が面白いなと思って復活させました。

中井 これは色鉛筆ですか?

下田 クレヨンです。色鉛筆で描いていたんですけど、細かく描けるようになっちゃって、ちょっとつまらないなと思って。もっと荒い絵が描きたいと思ってクレヨンにしました。

中井 今はデジタルで描く方も増えていますよね?

下田 みんなが一方向に向かった時は絶対反対方向に行こうと思って(笑)。

長坂 デジタルにもアナログにもそれぞれ良さはあるんでしょうけど、やっぱり演劇にいるような人たちは、アナログの方が合ってるんじゃないですか?

中井 そうですね、その温度や筆圧、筆の勢いとか力加減が伝わってくるような。

長坂 間違っちゃった線が残っていたりね。デジタルだと跡形もなく消せてしまうけど。

中井 アナログは消し切れないですね。『岸辺のアルバム』の、アルバムという言葉の持つ印象も、手描きにすごく近い気がします。手にとって心で見るものというか。

文字の隙間から目がこちらを覗くチラシ

中井 このイラストは、描くのに時間はかかりましたか?

下田 かかりました。田辺誠一さんがうまく描けなくて。すごく特徴的な方だし、本当に絵になる顔だと思うんですけど、なんででしょうね、描けなかったんですよね。使っていただいたものもこれでよかったのか、まだ答えが出てなくて。

長坂 田辺さんの絵は、下田さんが一度は却下していたものを使っているんです。

下田 そう、「これでいいのかな」と思いながら。他の7人は「この1枚で」と提出できたんですけどね。申し訳ない。うまくなりたいですね。

中井 背景の色合いは長坂さんが?

長坂 はい。 「この4人でこの作品です」ということだけをシンプルに伝えたくて、「白っぽく」とお願いしました。最初は裏も白にしていましたけど、せっかくのイラストがぜんぜん見えてこないので、色をのせてもらいました。

下田 裏面、いいですよね。全員が文字の隙間からこちらを見ているようで。すばらしい。

『岸辺のアルバム』チラシ(裏面)

中井 言われてみれば、全員と目が合いますね。裏面を見た時に妙に色っぽく感じたのはそういうことかも。文字という邪魔が前に重なっているから、奥行きが生まれて、よりドラマチックな雰囲気になっている。

下田 奥に目線を感じる。デザインって面白いですね。

中井 下田さんは先日、はえぎわ『幸子というんだ本当はね』(2025)の美術で読売演劇大賞優秀スタッフ賞を受賞されました。あの公演では毎回舞台に立たれていましたよね。(編集注:下田さんは「ラクガキ」役で出演し、毎公演、墨絵のライブペインティングを披露した。)

下田 後ろ向いて絵を描いていただけですけどね。

中井 でも、物語の進行と同時にその場限りの絵を何枚も何枚も描いていくわけで。

長坂 見られてるという感覚はありましたか?

下田 ありましたけど、周りでお芝居をしてるから。そっちを見ているんだろうなと思うと、僕は後ろ向きなのでそこまで意識することなく。

長坂 集中できました?

下田 普段からあまり集中してないんですよ(笑)。だからこのときも、周りを見ながら描けるのが楽しかったです。「コーヒー」というセリフが発せられた瞬間にコーヒーの絵が描けたら「気持ちいい!」と思いながら。

中井 あれだけの絵がその場限りのものになっていくのが見ていてもったいなくて。芝居が終わったら売ればいいのに! と思っていました。

下田 周りもそんなことを言ってくれたのですが最初のうちだけで、次の回の準備をしなきゃいけないから、慣れるとみんなもうビリビリに破いて片付けてました(笑)。

長坂 あの美術はノゾエくんが考えたんですか? ノゾエくんっていつも美術のことを考えているけど。

下田 そうです。実は、ノゾエさんも全然誘ってくれなくて。『幸子〜』の時も、実際に声をかけてくれたのは稽古が半分以上終わったくらいの頃でした。

中井 そんなギリギリに!? よくスケジュールが空いていましたね。

下田 「もしかしたら声がかかるかも」という噂だけ聞いていたので、ちょっと待っていたんです(笑)。

技術の前にイメージがあることが重要

中井 下田さんは美術や衣裳といったいろんな形で演劇に関わっていますが、演劇チラシはどんな存在ですか?

下田 世代的にも、パルコなんかの広告が好きだったんですよ。だからポスターやチラシといった印刷物は元々大好きで。カルチャーの一部だと思っているし、もしかしたら生の絵よりも印刷物から強く影響を受けているかもしれない。だからポスターやチラシは仕事としても思い入れがあります。

中井 長坂さんはチラシを手がける時、どんなことを意識されますか?

長坂 例えば皆川(猿時)くんと荒川(良々)くんが主演の芝居があった時は、とにかくふたりが面白いということを、こんな感じの芝居ですということを、どうやれば伝えられるだろうと考えますね。「この人だったらそれを伝えてくれるかも」という人を見つける。この人のイラストなら伝わるんじゃないかとか、この人はこういうデザインが得意じゃないかとか。

中井 そういうイラストレーターやデザイナーは常に探していますか?

長坂 そうですね。人に意見を聞いたりもします。『Wife is miracle』(2025)の時は役者たちに「好きなイラストレーターいませんか?」と聞いて、出てきた中でmaegamimami(マエガミマミ)さんにお願いしました。その時は「出演者がほぼおばちゃんだから、似顔絵にはしないで、すごくいい女が出演している感じにしてください」とお願いしました。

maegamimamiさんの描きおろしイラストでデザインされた、平凡パンチライン『Wife is miracle~世界で一番アツい嫁~』(2025)チラシ

中井 面白いですね。チラシって、なくなると言われながらもまだ続いていますよね。

下田 作品の世界がここから始まりますもんね。

長坂 中井さんは、チラシを見て「これ行きたい!」と思います?

中井 あります。ただ、昔は小劇場のチラシって殴り書きのようなものがよくあって。そこから「絶対に見にきてほしい」という思いが伝わってきました。今は誰でも簡単に作れてしまうから、きれいなチラシが増えました。でも、見た目はきれいでもエネルギーが低いというか……。

下田 チラシを見ていて、最近は文字詰めが甘いなと感じる時がありますね。文字と文字の間隔って、その文字の形によって違って見えるんですよ。だから数値で均等にしてしまうとパラついて見える。そこをちゃんと調整する必要があるんです。僕の感覚で言うと、文字と文字の間の空気の量が同じになっているときれいに見える。

中井 そういう細かなところにきちんと手間をかけているけれど、「手なんてかけてませんよ」という顔をしているチラシが魅力的なのかも。

下田 最近は、イメージがなくても作業だけで作れてしまうでしょう。イメージがあるかないかはすごく大きい気がしますね。

長坂 俳優も、作品を作るときにイメージがあるかないかで変わってくると思います。イメージがなくて技術だけあっても、きっと面白くない。

中井 確かに。それにしても今回、よく『岸辺のアルバム』を舞台にしようと思われましたね。

長坂 『阿修羅のごとく』(2022)の舞台化も無理かなと思ったけどとても素敵な作品が出来上がったし、今回も(『阿修羅のごとく』を手掛けた)倉持(裕)さんと木野花さんが引き受けてくださったから、できるだろうなと思って。

中井 キャスティングはどうやって決めましたか?

長坂 一番最初は木野さんともご相談して、(小林)聡美さんがやってくださればできるよね、というところから始まりました。そこからは思い浮かんだ俳優の方々を木野さんにプレゼンして「いいですね」とか「任せる」とか言われながら。

中井 他ではなかなか見ないキャストの組み合わせですよね。

『岸辺のアルバム』キャストビジュアル:上段左から)細田佳央太、小林聡美、杉本哲太、芋生悠 下段左から)前原滉、、田辺誠一、伊勢志摩、夏生大湖

長坂 キャストが決まった時は「ベストキャスティング!」と思うけど、どんな芝居でもだいたい稽古初日に「あれ?」と不安になりますよ。でも今回はみなさんとても仲が良くて、自分もいつもより俳優の方達とお話をしている気がします。

中井 面白いですね。なかなかの長丁場ですが、仲がいいなら大丈夫そうですね。

長坂 長丁場に不安になった時は、ときどき劇団☆新感線のチラシを見て「新感線の1/3の公演期間だからなんとかなる」と思ったりする。あと、阿部(サダヲ)くんに「(NODA・MAPのキャストは)みんな相当な歳ですよ」とか言われて、NODA・MAPのチラシを見ながら「じゃあ大丈夫」って(笑)。

中井 そんなチラシの使い方があるとは(笑)。たった一枚の印刷物がいろんな感情を人に与えるってすごいことですよね。今回のチラシは下田さんが描かれた絵をデザイナーに委ねていますが、何か「こうしてほしい」という要望はありましたか?

下田 何も。色が変わってもいいから自由に使って下さい、と。

下田 元の絵に忠実にしてもらうより、チラシの形になったときに一番いい状態になる方がありがたいので。「色を変えないでください」とかお願いしちゃうと、絵が弱くなってしまうことがあるので、ちょっと変わってもチラシとしていい絵だったりいい色であればそれでいい。

長坂 いい絵はどう使ってもいい絵ということですよ。

中井 本当ですね。

取材・文:青島せとか 撮影:藤田亜弓

公演情報

『岸辺のアルバム』

【東京公演】
日程:2026年4月3日(金)~26日(日)
会場:東京芸術劇場 シアターイースト

【大阪公演】
日程:2026年5月1日(金)~4日(月・祝)
会場:松下IMPホール

作:山田太一
脚色:倉持裕
演出:木野花
出演:小林聡美 杉本哲太 細田佳央太 芋生悠 前原滉 伊勢志摩 夏生大湖 田辺誠一

公演公式サイト
https://mochiron-ltd.com/stage/kishibe/

プロフィール

長坂まき子(ながさか・まきこ)

1964年、東京生まれ。有限会社さておき/有限会社モチロン代表取締役社長。舞台の制作のほか、役者のマネジメント、映画・テレビドラマのプロデューサーなどを務める。著書に「大人計画社長日記」(太田出版)、「産んじゃえば?」(幻冬舎)がある。

下田昌克(しもだ・まさかつ)

1967年、兵庫県生まれ。画家、アーティスト。1994年から2年間世界中を巡り、出会った人々のポートレイトを描く。1997年、日本に持ち帰った絵で週刊誌での連載を開始。現在はイラスト、絵本などの創作活動とともに、布を使った恐竜作品の制作も行う。おもな著作に『PRIVATE WORLD』(山と渓谷社)、『恐竜がいた』(スイッチパブリッシング)など。ノゾエ征爾演出の舞台『ボクの穴、彼の穴』(2024)では衣裳・小道具デザインを、自身の絵本の舞台化となった音楽劇『死んだかいぞく』(2024)では美術・衣裳・小道具デザインを手がけた。

中井美穂(なかい・みほ)

1965年、東京都出身(ロサンゼルス生まれ)。日大芸術学部卒業後、1987~1995年、フジテレビのアナウンサーとして活躍。1997年から2022年まで「世界陸上」(TBS)のメインキャスターを務めたほか、「鶴瓶のスジナシ」(TBS)、「タカラヅカ・カフェブレイク」(TOKYO MX)、「華麗なる宝塚歌劇の世界」(時代劇専門チャンネル)にレギュラー出演。舞台への造詣が深く、2013年より読売演劇大賞選考委員を務めている。