中井美穂 めくるめく演劇チラシの世界
木ノ下歌舞伎『心中天の網島 アクセシビリティ版』
毎月連載
第92回
木ノ下歌舞伎『心中天の網島 アクセシビリティ版』神奈川・東京公演チラシ(表面)
夜景の写真。大きな川に、両岸の建物の灯りが反射しています。川の中央から景色を臨む構図は、橋から撮ったものでしょう。よく見ると、夜空に細かな“網”が張り巡らされていることに気づきます――。木ノ下歌舞伎では再々演となる『心中天の網島』。主宰の木ノ下裕一さんと、チラシのデザインを手がけた外山央さんに、ビジュアルについて、「アクセシビリティ版」について、ふたりの共通点など、たっぷりお話しいただきました。
中井 外山さんにはいつ頃からチラシの依頼を?
木ノ下 2012年の『義経千本桜』からです。木ノ下歌舞伎(キノカブ)は演出家が毎回変わるので、演出家や、主催する劇場側の要望で例外的に他の方にお願いすることもありますが、基本的にはずっと外山さんにお願いしています。
外山 美術館やダンスパフォーマンスのチラシはそれまでも経験があったのですが、演劇は木ノ下歌舞伎が初めてです。これまで関わってこなかった世界なので、デザインするのが面白いですね。
中井 今回の『心中天の網島』は再演ですね。再演のチラシは、どんな考え方でお作りに?
木ノ下 今回は三度目の上演でして、二度目の再演の時はかなりデザインを変えました。今回まつもと市民劇場の小川(知子)プロデューサーにチラシの方向性を確認するために両方見せたら「両方とも素敵だけど、より“現代”を感じさせる初演版の方が今回の公演には合っているんじゃないか」と。 僕も、初演版のチラシがこれまで外山さんに作ってもらったチラシで1、2を争うくらい好きだったのでぜひ同じように作りましょうと。これ、一見初演と全く同じに見えますけれど、わざわざもう一度撮影しに行ってもらったんですよ。
外山 作品の舞台となった大阪の天満橋からの風景を再撮影しました。
木ノ下 よくよく見比べると、初演の2015年と街並みが少し変わっているんです。
外山 初演の時は撮影が大変でしたね。
木ノ下 当時の制作の本郷さん、カメラマンの東さんと僕ら、4人で京阪電車の終電で京都から大阪に行き、夜の景色を撮って、ファミレスで時間を潰して朝焼けも撮りましたね。もう春だったのになぜかすごく寒い日で、凍えながら。
中井 現代の建物や街の灯りがあるからこそ、作品が書かれた当時の真っ暗な橋のたもとが想像できますね。
外山 光があるということは人の気配があるということで、その気配と、ふたりの心情のギャップが際立つなと。
中井 ともすればロマンティックな写真だけれど、「心中」という言葉によってもうこの光の中には行かない人たちの話というのが切ない。今回撮り直したことで、構図は同じでも、街の変化を見比べられるわけですね。青地の部分に、初演の時にはなかった線が張り巡らされていますね。
外山 これは網のイメージで、初演の時はタイトルの文字の部分に網のような加工を入れていたので、今回は風景そのものに入れてみました。見えない網で絡め取られているような雰囲気を出したいと。わからないようになっていますが、実は「心中天の網島」という文字を変形させて作っています。
木ノ下 知らなかった!
中井 チラシはどんなふうに作り始めますか? 歌舞伎ですから古典になりますが、戯曲は読まれますか?
外山 いや、全然読まないです。あらすじを確認するくらいで。木ノ下さんと直接話すことも、そんなに多くないんです。木ノ下さんと制作さんとコンセプトや方向性を話してもらって、それを聞いて好きに作っています(笑)。
木ノ下 打ち合わせの段階ではまだ何も固まっていないから、抽象的な言葉しか言えなくて。渡海屋なら「近現代の歴史と源平の歴史が重なるような作品」とか、「歴史のレイヤーをがっとえぐるような作品にしたい」とか。それを外山さんと共有すると、具体的なビジュアルイメージに落とし込んでくださいます。だいたい一発目で「あ、いいですね」となります。
中井 それはすごいですね。
木ノ下 歌舞伎を扱うとどうしても土着的な雰囲気になったり、歌舞伎そのもののイメージに引っ張られることが多いんですよ。でも外山さんはそこをすごくうまく切り離して、既存のイメージを全部剥がしてくれる。けれども、作品とは繋がっている。外山さんのチラシは、歌舞伎に興味のある人だけではなく、その外側まで劇団を広げてくれる存在だなと思います。
外山 作る上で「歌舞伎だから」というのは全く意識していないんです。
木ノ下 そこがいいんですよね。ちなみに今回は、上演各地に合わせてチラシが8種類あります。劇場によって載せたい情報が違うので、裏面が全部違うんです。これがまた外山さんの素晴らしいところなんですが、「チラシも作品だから、裏面のデザインもちゃんとやります」と最後まで全種類調整してくださって。
中井 職人技ですね。
木ノ下 キノカブって文字情報がとても多いんですよ。なぜこの演出家か、なぜこの演目か、どんな演目なのかを載せなくてはいけないし、出演者も多めだし。今回は特に「アクセシビリティ版」としてサポート情報を掲載する必要があるのでさらに増えて。でも外山さんは文字組みがすごく上手で、この分量の文字であっても情報が分散せず、わかりやすく読める。そこも外山さんのデザインの好きなところですね。
外山 デザインって見栄えのためのものではなくて、情報が正しくわかりやすく伝わることが一番大事だと思っているので、特に文字組みは気にしています。
「アクセシビリティ版」が全ての観客にもたらす効果
中井 今回の「アクセシビリティ版」とはどういうことか、ぜひ伺わせてください。
木ノ下 今、いろんな劇団さんがアクセシビリティに取り組まれるようになっていますが、キノカブでも5年前から力を入れ始めました。せっかく劇団主催の公演でアクセシビリティが実施できても,各地の公共劇場が主催するツアーになると、予算などいろんな問題で「この公演では鑑賞サポートはできません」と言われることがある。そのたびに、悔しさがありました。ならば今回は作品の中にアクセシビリティを組み込み、切り離し不可能にしてしまおう、サポートごとツアーに持って行ける作品にしようと思ったんです。たとえば、舞台手話通訳の方(田中結夏さん)が常に舞台上にいて、俳優と同じ空間を共有しながら通訳をする。あるいは舞台装置に字幕モニターがあり、字幕が必要かそうでないかに関わらず、みんなが読める状態になっている。音声ガイドも全公演でやる。それがこのアクセシビリティ版と呼んでいるものです。
中井 そのことによって、これまでとどんな違う効果が出ると思われますか?
木ノ下 これは副産物のようなものですが、見えて聞こえる人にとってもいい側面があって。 ひとつは、手話通訳さんや字幕が全てのお客様の目に入ることで、聞こえなかったり見えなかったりする人も演劇を楽しんでいると常に可視化されること。障害のある方もない方も一緒に生きている、楽しんでいるということを自覚させられる感覚がある。もうひとつは、発見があること。手話でそう表現するのかとか、文字で見ることで「そういう意味なのか」と直感的に理解できることもあって。サポートを直接的に必要としていない人にも、理解が深まると思います。もちろん障害のある方に向けた情報保障が第一義でありつつ、それが全体にとってすごく豊かな時間になるんだなと今感じています。
中井 それはとてもいいですね。
木ノ下 外山さんが「伝わることがいちばん大事」とおっしゃいましたが、演劇もお客さんがいての芸術作品であって、伝わらないと成立しない。さらに言えばいくらかっこいい字幕を作っても、読みづらかったら意味がない。第一義はちゃんと伝えること、そのためにデザインを工夫すること。外山さんの考えと、演劇、あるいはアクセシビリティを作るというのはすごく近いところにあるなと今感じました。
中井 外山さんは今回のチラシについてアクセシビリティ版ならではの意識はありましたか?
外山 表のビジュアルについては全く意識しなかったです。ただ、裏面を組むときは少しでも文字を大きく、見やすくしようとしました。本来、「アクセシビリティ版」という言葉がなくてもいい、なくても当たり前にアクセシビリティが意識される世の中だったらいいなと思います。
木ノ下 本当は舞台手話通訳さん、字幕制作者、音声ガイド制作者とナレーターなど、アクセシビリティに関わる方全員のお名前をチラシにクレジットしたかった。さまざまな日程調整がチラシを作るタイミングに間に合わなくてとても悔いを残しています。聞こえない方にとっては誰が手話通訳するかはとても大切な情報であるはずですよね。それはもちろん、見えない方にとっても同様で。私たちが出演者や演出家のクレジットを見て見に行くかどうかを決めるように「あの人の作る字幕なら行こう」と、そういう世界にしていかないといけないと思います。今回は聴者の手話通訳さんにお願いしていますが、聾者の手話通訳の方ともご一緒してみたい。でやりたいと思っています。そのためには稽古場から通訳が必要ですし、きっかけの工夫も要る。けれども、いずれネイティブな手話で通訳をしてもらいたいんです。
チラシは作品づくりにおける先生のような存在
中井 これから、チラシはどうなると思いますか?
木ノ下 紙チラシはたぶん無くならないと思います。特にキノカブはご高齢のお客様が多いので紙のチラシは大切です。あとやっぱり物として残るというのはすごいですよ。300年前の人形浄瑠璃のチラシも今残っていますから。 僕らにとってチラシはすごく大事で。外山さんはまだ作品のイメージが固まる前に、真っ先にビジュアルに落とし込んでくれる。チラシは旗印となって、「このイメージに向かっていけばいいんだ」と作品を導いてくれるんです。迷ったときには「これを見て楽しみにしてくれる人が来るんだ」と思うと、原点に立ち戻れる。外山さんのチラシは作品を作るときの先生のような存在です。
中井 外山さんは、実際に手がけた作品をご覧になってどう感じられますか?
外山 「間違ってなかったな」と思うことが多いです。それは、その作品が持つ要素を集めてビジュアルを作ることに専念していて、自分の表現を入れるといった余計なことをしないように心がけているからだと思うんですが。
木ノ下 それはすごく共感します。作品の要素という制約があるということですよね。キノカブも制約の中でやっている面がありますから。まず古典があり、数々の上演史という前例がある。さらに演出家のカラーがある。その中で、僕はいろんな要素の最大公約数になる作品を探る作業をするわけです。自分の衝動や美意識と折り合いをつけつつ、いろんな制約や個性の中でベストな形を探るという意味では外山さんと似ているのかもしれない。
外山 そうですね。要望に応じて作ってみたら、自分からは出てこないような表現ができたり、いいものになることはよくあります。『勧進帳』(2023)のチラシも最初はもっと複雑で、カラーで作っていました。演出家の杉原邦生さんからの「もっとシンプルにしたい」という要望で作り直してみたら、今までと違う力強い感じになってとてもよくなった。そういうのは楽しいですね。
木ノ下 あのときの嬉しさったらないですよね! 僕自身、作品ごとに異なる演出家と一緒にやることにした大きな理由は、やっぱり自分だけでは出てこないものが出てくるからです。外山さんはご自分で作品を作られるアーティストでもありますが、デザイナーとして制約の中で調整をしていいものを作るのと、自身の作品を作るのとはうまく棲み分けられていますか?
外山 僕はアート作品もほとんどグループでやっているので、任せるところは任せて、自分の持ち味を出すとうまく回っていく……。誰かトップが指令を出すのではなく、みんながフラットに意見を出し合いながら作っていくのって、ちょっと京都っぽいですよね。
木ノ下 確かに! 東京に比べるとアーティストも人口も少なくて街が小さいから、距離も近くて、「何か一緒にやろう!」という空気になりやすい。 そうか、外山さんにこんなに共感するのはそういう近さもあったからかもしれません。
中井 おふたりが担っているものが似ていること、それが京都という地に育まれていること。歌舞伎と現代をつなぐ木ノ下歌舞伎の、この演目でこの公演でやりたいことを一枚のビジュアルに落とし込める発想と技術、あらゆるものが噛み合ってこのチラシができあがったわけですね。
木ノ下 そうですね。演出家や役者の言葉は残っても、チラシのデザイナーの言葉は残りづらい。でもチラシが演劇のある要を象徴していることもあるから、今回とてもいい機会でした。外山さんの話もあと2時間くらい聞きたいくらい(笑)。
中井 私もです! アフタートークやレクチャーなど、チラシの作り手の言葉が聞ける機会がもっと増えたらいいなと思います。
取材・文:青島せとか
公演情報
まつもと市民芸術館プロデュース
木ノ下歌舞伎『心中天の網島』アクセシビリティ版
【神奈川公演】
日程:2026年6月27日(土)・28日(日)
会場:KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
【愛知公演】
日程:2026年7月4日(土)
会場:穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
【長野公演】
日程:2026年7月10日(金)~12日(日)
会場:まつもと市民芸術館 小ホール
【兵庫公演】
日程:2026年7月18日(土)・19日(日)
会場:東リ いたみホール(伊丹市立文化会館)
【鳥取公演】
日程:2026年7月26日(日)
会場:エースパック未来中心(鳥取県立倉吉未来中心)
【愛知公演】
日程:2026年8月2日(日)
会場:知立市文化会館(パティオ池鯉鮒) かきつばたホール
【東京公演】
日程:2026年8月5日(水)~9日(日)
会場:吉祥寺シアター
【岩手公演】
2026年8月22日(土)
会場:北上市文化交流センターさくらホール feat.ツガワ 中ホール
【新潟公演】
日程:2026年8月29日(土)
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場
作:近松門左衛門
監修・補綴:木ノ下裕一
演出・歌詞・音楽:糸井幸之介
出演:
日髙啓介 湯川ひな 伊東沙保
西田夏奈子 武居卓 緒方壮哉 大鷹明良 田中結夏
https://www.mpac.jp/event/42736
プロフィール
外山央(とやま・ひろし)
グラフィックデザイナー、アーティスト。2005年より活動。個人活動のほか、「intext」「softpad」のメンバーとして国内外で展示やパフォーマンスを行う。グラフィックデザインでは、美術展や舞台芸術を中心に、図録、書籍、広報物などを制作。木ノ下歌舞伎、京都文学レジデンシーなどのプロジェクトに携わる。
hiroshitoyama.com
木ノ下裕一(きのした・ゆういち)
木ノ下歌舞伎主宰。まつもと市民芸術館芸術監督団
団長。古典芸能への関心を背景に、2006年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。『娘道成寺』『夏祭浪花鑑』『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』『糸井版
摂州合邦辻』などを演出・監修する。『勧進帳』で2016年度文化庁芸術祭新人賞を受賞。第38回京都府文化賞奨励賞受賞。セゾン文化財団2026年度セゾン・フェローII。
木ノ下歌舞伎
中井美穂(なかい・みほ)
1965年、東京都出身(ロサンゼルス生まれ)。日大芸術学部卒業後、1987~1995年、フジテレビのアナウンサーとして活躍。1997年から2022年まで「世界陸上」(TBS)のメインキャスターを務めたほか、「鶴瓶のスジナシ」(TBS)、「タカラヅカ・カフェブレイク」(TOKYO MX)、「華麗なる宝塚歌劇の世界」(時代劇専門チャンネル)にレギュラー出演。舞台への造詣が深く、2013年より読売演劇大賞選考委員を務めている。