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樋口尚文 銀幕の個性派たち

筒井真理子、こわれゆく女を突き詰めて

毎月連載

第80回

筒井真理子 近影(撮影=樋口尚文)

カンヌ、ロカルノと国際映画祭でもその演技が注目された筒井真理子は、鴻上尚史の劇団・第三舞台から出発して間もなく同劇団の人気女優となり、続いて1990年代半ばからは映画作品にも出演を開始して多彩な役柄に挑んできた。そして近年の深田晃司監督の傑作『淵に立つ』『よこがお』ではともに「こわれゆく女」を繊細な演技の積み上げでみごとに表現し、国際的な評価を獲得した。そんな麗しき異才・筒井真理子にインタビューを試みた。

いきなり第三舞台に飛びこんで

── 筒井さんは幼い頃から映画やドラマにご興味があったのですか。

小さい頃はそんなに映画やドラマの世界などに憧れや興味などなかったつもりでいたんですが、よくよく思い出すと小学生の頃に自分で書いたストーリーをお友だちに演じてもらったり、少しは自分でもやってみたりしてたんですね。自分の家では恥ずかしくてできないから、よそのお友だちの家に行って、シーツなんか使って(笑)。それはぱったりやめてしまいましたけど、そんなこともあったなあと。幼い頃には父のカブに乗せられて地元の甲府の映画館に連れて行かれたりしていましたが、当時はNHKの銀河テレビ小説などでけっこう暗いドラマをやっているとよく見ていました。なぜか暗い作品が好きだったんです。それから甲府でも『女と男のいる舗道』みたいなアートフィルムを自主上映していることがあって、そういう作品の匂いにはなんだか惹かれました。

── 舞台への関心はどうして芽生えたのでしょう。

私は姉二人とその下に兄もいて、四人きょうだいの末っ子だったんです。その二番目の姉は三歳年上なんですが、けっこうアングラにも興味があったようで、寺山修司さんや唐十郎さんの本などが本棚にあったんですね。末っ子というのは年上のきょうだいから情報がおりてくるので、ちょっと同級生より興味のめざめが早いんです。本棚を見ていて『書を捨てよ町へ出よう』とか背に書いてあるのを見て「面白い言葉だなあ」とか思っていました(笑)。そんな下地があったので、東京に出て来てから実際の舞台を観ると「こんなに面白いんだ」とうカルチャーショックがありました。

── その頃どんな舞台を観たんですか。

姉の本棚にあった天井桟敷の舞台や、唐さんの『女シラノ』とかですね。そういうのが好きだったのになんで全く毛色の違う第三舞台に入ったのか(笑)。

── もともと青山学院大に通っていた筒井さんは1982年に早稲田大学を受験して合格、早稲田の学生になります。第三舞台にあこがれて大学を移ったという風説もありますが、実は違うそうですね(笑)。

はい(笑)。ただ早稲田に高校の同級生が多かったんです。でも鴻上(尚史)さんが嬉しそうに「筒井は再受験までして第三舞台に入って来たんです」とよそで言い放っていたので、私が否定したら「もうそういうことでいいだろう」って言うんです(爆笑)。大高(洋夫)さんにまで「そんな細かい事どうでもいいじゃないか」って言われて(笑)。でも正確な順番としては早稲田に入ってから第三舞台を観て「面白い!」と思って、辛い恋愛から逃れるべく駆け込み寺に飛び込む感じで第三舞台の門をたたいたんです(笑)。

── 一説によるといきなり公演中の劇場に行って団員になりたいと申し出て、羽交い絞めにされて追い出されたとか(笑)。

それは本当です(爆笑)。第三舞台を観ていると、唐さんの芝居などとは全然違うポップな芝居だから自分でもできそうだと錯覚しちゃったんでしょうね。でも舞台のブの字も知らないものですから、公演中の楽屋がどんな聖域かもわからぬまま飛び込んでつまみ出されるわけです(笑)。「お願いです、入れてください」と言って入って行ったら、羽交い絞めにされて「落ち着け、とにかく落ち着け」と言われて(笑)。でも入団したらいきなり大きな役をつけられて、それはもうずいぶん鍛えられました。

『よこがお』(C)2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

── 当時の舞台の人の懲らしめ方は凄いんじゃないですか(笑)。

はい。みんなで「総括」して人格否定するんです(笑)。当時はどこもそんな感じで精神的に追い込むのが定番だし、身体訓練もきつかったですよね。平台(舞台)に立つ者は男女の隔てなしということで、炎天下2キロ走った後でヒンズースクワットと腕立てと腹筋を100回ずつ、さらに逆立ちにうさぎ跳びを男子と同じ回数やるんです。おかげで腰も故障するし、もうこのまま電車に飛び込んでしまいたい……なんて思うこともたびたびで。そうえいば朝から晩まで立てカンを描いていたこともありました。

── 私も筒井さんと同じ年から早稲田の学生だったので、筒井さんが描いていた立てカンを見ていたに違いないですね。

絶対ご覧になってたと思いますよ! 今思うとそういうことに費やした私の膨大な時間を、たとえば英会話とか生活のスキルを磨くことに使えばよかった!という感じで、本当に何をしてたんだろうと……(笑)。

── でも私は80年代前半にザ・スズナリに第三舞台の芝居を観に行って、舞台上から筒井さんにイジられたことさえあるのですが(笑)、当時の筒井さんはそんなお辛い感じひとつ見せず、いきのいい人気者という印象でしたが。

ええ、芝居そのものは人気もあったし活気もありましたね。ただ裏側の人間関係としては伝統として一期上での先輩でも後輩とは距離を置いて飲みにさえ行かないし、凄く年上に感じました。今考えるとそんなに年齢も離れていないのに、鴻上さんは凄く威厳がありました。その後、そういう関係もグダグダになるんですけど(笑)。

映画は皮膚感覚まで伝わる

『淵に立つ』(C)2016 映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS

── そんな舞台ひとすじの筒井さんは94年に映画『男ともだち』で主演をなさったのを皮切りに映像のお仕事も本格化するわけですが、舞台と映像の違いはどう感じましたか。

舞台は凄く熱は伝わるんだけど、映像となると皮膚感覚まで伝わるんだなと凄く面白く感じたんです。映画の大画面だといろいろなニュアンスが繊細に伝わるので、これはいいものだなと思いました。ただその最初の映画、しかも主演の作品で、記録の方が親切に「とっても良いからラッシュも観にいらっしゃい」と言ってくださって観てみたら、これがちょっとショックでしたね。自分のだめなところもごまかしようがなく映し出されていて「こんなので作品背負えるのかな」と凄く不安になりました。しかもプロデューサーの方は「あなたの双肩に億のお金がかかっているから」とか恐ろしいことをおっしゃるんです(笑)。私はもう大ショックを受けて、その足でマッサージに行って初めて会うお店の方に「すみません。何でもいいから誉めてもらえますか」って言ったんです(爆笑)。そうでもしないと、明日の撮影に行く自信もないくらいにへなへなとなりまして。そんなこともありましたが、映像は細やかなニュアンスをふんだんに映し出してくれるので、大好きになりました。

── たまに舞台原理主義の俳優さんが映画やテレビドラマの演技を「映像芝居」と揶揄することがあって私はその偏狭さに義憤を感じるわけですが、筒井さんのようにどっぷりと舞台に漬かっていた女優さんが極めて肯定的に映像の魅力を支持してくださるのは本当に嬉しく、ありがたいことですね。そしてさまざまな映画で多彩な役をこなして来られた筒井さんが深田晃司監督『淵に立つ』『よこがお』で見せた演技は、まさに映画のキャリアに屹立するツイン・ピークスという感じでした。

『よこがお』(C)2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

舞台と映画では演技にそれぞれ違う醍醐味がありますよね。『淵に立つ』の脚本を読ませていただいた時は、はたしてこの素晴らしい脚本を私がお引き受けできるのか心配になりました。それで、あの幸福な日常が一変して苛酷な八年を経た主婦をどうやったら表現できるのかと考えて、「肥ります」と提案したんです。まあやつれて痩せるという方向もあるんですが、ストレスから何から自分にためこんで行って肥ってしまうほうが、作品の意図が伝わるかなと思ったんです。夜中に担々麺を食べて、撮影中もあれこれ食べるようにして、13キロ体重を増やしました。深田監督は無理なら大丈夫ですよとおっしゃってくださったのですが、もう必死で肥りましたね。

── でも筒井さんの面立ちがシャープだから、お顔だけ観ているとそこまで肥った感じがしなかったんですね。ところが、変わり果てた娘の車いすを押して部屋の奥に消えてゆく後ろ姿が明らかに違っていて、えも言われぬどんよりとした空気がたちこめる感じが素晴らしかったです。続く『よこがお』もなかなか困難な役だと思いますが、演ずるうえでどういう工夫をされたのでしょう。

あの市子という人物は訪問看護師ですが、実際に患者さんの人生の終末にかかわっている訪問看護師の方をリサーチすると、患者さんとの距離を縮めるために皆さんけっこうフランクで気さくな「おばちゃん」ムードを醸しているんです。でも『よこがお』というフィクションから逆算すると、その現実にはとらわれないであの凛とした雰囲気で作るほうがいいのではないかと深田監督と話し合って決めました。それから大きな悩みどころだったのは、市子がある事件の犯人と自らの関係を道義的に周囲に明らかにせねばと思っているのか、あるいはもうそれは伏せて逃げたいと思っているのか。どちらのニュアンスで演じればいいのか深田監督とお話し合いをしたら、案の定後者で行きたいと。これだと日本人的な共感からは外れて、どちらかと言えばヨーロッパ的な自我を持った映画のヒロインになるわけですね。でもこれはあくまで深田監督の作品なのだから、いっそずっと嫌われているヒロインでもいいやと(笑)思って演じました。

── しかしそのことで市子は何をしでかすかわからないスリリングなヒロインになりましたし、それこそヨーロッパの映画祭でもひじょうに観客を沸かせたそうですね。

『淵に立つ』でカンヌ映画祭、『よこがお』でロカルノ映画祭にも行かせていただいて本当にありがたかったんですが、こうした映画祭で海外の方と作品を観ているとまるで国内とは反応が違って面白いんです。なにしろ悲劇的な『淵に立つ』も『よこがお』も、けっこうみんな笑って観てくれていたのが新鮮で。つまり、こういう人生に潜む悪意や毒のようなものをシニカルに笑い飛ばす文化のゆとりを感じるんです。それは私がそれぞれの作品で演じたような、どこかいびつな人間を笑って許容する寛容さにもつながっているんですね。文化がオトナだなという印象がありました。

── 筒井さんが演じてきた「こわれゆく女」は、異分子を排除しがちな日本のイントレランスからすると共感できないはぐれ者になるわけですが、欧米的な図太い視点にかかると「目が離せないアウトロー」になるのでしょうね。

そうなんです。人間はみんなそれぞれにどこか変で独特なわけですが、そんな他者を認めたり、あるいは自分の独自さを主張したりするには、そういう文化の成熟とかタフさが求められるんでしょうね。同調圧力で言いたいことも言わずして一生を終わるような、ある種の日本人の生き方が、ちょっともったいないなと思われる経験でした。

多彩な役柄をみごとにこなしてきた筒井真理子だが、近年は「こわれゆく女」を演じた諸作で、映画女優としての新たなステージを拓いた感がある。それは単に特異な役柄を熱演したということにとどまらず、日本映画史にかつてない自我を持ったヒロインを登場させた試みだったと言っても過言ではない。繊細な演技の肌理を追求してやまない筒井は、また新たな「限界突破」を見せてくれるのではないか。

データ

『男ともだち』
1994年1月10日公開
配給:フィルム・クレッセント
監督:山口巧
出演:筒井真理子/永澤俊矢/鶴見辰吾

『淵に立つ』
2016年10月8日公開
配給:エレファントハウス
監督・脚本:深田晃司
出演:浅野忠信/筒井真理子/古館寬治/大賀

『よこがお』
2019年7月26日公開
配給:KADOKAWA
監督・脚本:深田晃司
出演:筒井真理子/市川実日子/池松壮亮/吹越満

『N号棟』
2022年4月29日公開予定
配給:S・D・P
監督・脚本:後藤庸介
出演:萩原みのり/山谷花純/太倉悠貴/筒井真理子

プロフィール

樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)

1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。新著は『秋吉久美子 調書』。『大島渚 全映画秘蔵資料集成』(編著)。

『大島渚 全映画秘蔵資料集成』監修:大島渚プロダクション 編著:樋口尚文 国書刊行会刊

【ひとこと】

2013年に他界された大島渚監督が、自宅やプロダクションの保管庫などに遺した大な資料、写真、書簡、日記などをすみずみまで精査し、詳細な解説を加える作業を重ねてきましたが、濃厚な内容と圧倒的な厚みの本書に結実しました。日本映画史に刺激的に屹立する作家の「創造の渦」をぜひ体感してください。(樋口尚文)

『葬式の名人』

『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子