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樋口尚文 銀幕の個性派たち

宝田明、銀幕の夢ともてなしを使命として

毎月連載

第81回

『世の中にたえて桜のなかりせば』(C)2021『世の中にたえて桜のなかりせば』製作委員会

ロシアがウクライナに攻め入った春、そのことへの批判をほぼ最後の作品『世の中にたえて桜のなかりせば』の完成披露に寄せる言葉として遺し、宝田明さんは天上に発った。これは敗戦直後、ソ連兵から腹に銃弾を喰らって生還した宝田さんだからこその、切実な異議申し立てだった。そして、そんな悲惨な目にあったとは思えない、銀幕スタアとしての飄々とした粋なあり方もまた素晴らしかった。

映画の夢を第一義に

ついに兵役を免れた黒澤明監督に対して『ゴジラ』の本多猪四郎監督は三度も召集されて大いなる不条理を感じながら生還した。そんな本多監督が演出した宝田さん主演の『ゴジラ』を戦争の傷痕癒えぬ「反戦・反核」映画と言いたがる論者がいるが、もともと観客としては映画に娯楽の夢を求めていた本多監督が幸運にも生き延びて、撮影所の大きな作品を撮れる機会にありついたという時に、はたして作り手としてそんな「反戦・反核」をテーマに掲げた作品を撮りたいと思うものだろうかと疑う気持ちがあった。そこで生前の本多監督にそのことをお尋ねしたら、「あらかじめそういうことをテーマにしたつもりはない」とはっきりおっしゃって、それはテープの録音にも残っている。

もちろん戦後十年も経ていないのだから、おのずから作品が戦争の痕跡を反映することはあるに違いないが、戦争の不幸をくぐり抜けた本多監督にとっては、そんなテーマや主張などよりも娯楽映画としての表現の面白さ、豊かさこそかけがえのないものであったに違いない。本多監督を最大限に敬愛する大林宣彦監督がしばしば語る「嘘から出たマコト」というもの、すなわち夢もテーマも包摂する純度高き映画表現こそが一級の映画職人である本多監督の目指したものであったはずなのだ。

『世の中にたえて桜のなかりせば』(C)2021『世の中にたえて桜のなかりせば』製作委員会

なぜここで本多監督の映画観に迂回しているのかと言えば、宝田さんも映画に対して同じような向き合い方をしていたのではないかと思うからである。すなわちソ連兵に銃撃された宝田さんは、それゆえになおさら娯楽映画の夢の貴重さを体感したのではないか。食べるために俳優を志して東宝演技研究所に入り、その甘い美貌とスマートな長身を買われて首尾よく1954年の第六期ニューフェイスに選ばれた宝田さんは、鳴り物入りの特撮スぺクタクル大作『ゴジラ』の主演に抜擢される。そして以後もシリアスな文芸作や社会派作品ではなく、肩のこらない娯楽作でいかにもフィクショナルな役柄を嬉々と引き受けていた。同じ『ゴジラ』でも暗く重厚ですらある白黒スタンダード画面の第一作よりも、10年後の東京五輪の年に公開された『モスラ対ゴジラ』の絢爛たる東宝スコープのほうが、宝田さんは居心地がよさそうである。

銀幕とファンに寄りそって

『世の中にたえて桜のなかりせば』(C)2021『世の中にたえて桜のなかりせば』製作委員会

あのマスクと長身、そして颯爽とした演技で『怪獣大戦争』のニック・アダムスや『緯度0大作戦』のジョセフ・コットンと互角に渡り合い、『100発100中』『100発100中 黄金の目』などでは和製007じみたポップな役柄を軽快に演じてみせる宝田さんは、「銀幕スタア」の糖衣で自らをしたたかにコーティングして、大衆に華やかな夢を届け続けた。もちろん1960年代前半は小津安二郎監督『小早川家の秋』、成瀬巳喜男監督『放浪記』など名匠の作品にも呼ばれて真摯な演技者ぶりも見せているが、こういう熱演よりも業界メロドラマの嚆矢と呼ぶべき鈴木英夫監督『その場所に女ありて』の甘くスマートな宝田さんのほうがしっくり来て、鮮やかな印象を残す。

そんな宝田さんが、映画興行の不振によって大きく業界が傾きつつあった1960年代半ばからは映画より舞台に軸足を移していったのは象徴的だ。くだんの東京オリンピックの年に菊田一夫演出のミュージカル『アニーよ銃をとれ』でフランク・バトラーに扮したのを皮切りに、宝田さんは以後ミュージカル・スタアに舵を切る。しばしスクリーンと距離を置き、『マイ・フェア・レディ』『キス・ミー・ケイト』『ファンタスティックス』などミュージカルの舞台で身上とするスケール感たっぷりの演技を披露した。

2005年、宝田明に招待された舞台『ルルドの奇跡』(東京芸術劇場)にて筆者。この時楽屋には病気療養中の藤木悠もいた。

邦画の黄金期に映画界に飛び込んだ宝田さんにしてみれば、70年代以降の映画はことごとく、自らのでかい「虚構力」をあてはめようがないほどに脆弱でやせ細ったものに映ったのではないか。辛うじて90年代のテンション高き伊丹十三作品との出会いが、例外的に宝田さんを銀幕に帰還させた。しかし最晩年の宝田さんは、それでも映画を見限らずささやかな作品に客演を続け、往年の出演作が上映される名画座にそっと駆けつけては無償で挨拶を買って出て、観客たちとの交流も厭わず、最後の最後まで銀幕とファンを大事にし続けた。

ご逝去の直後、SNSにはあまりにも多くのファンとのスナップが満載となり、驚かされた。そのひとつひとつにおける宝田さんの機嫌よく気前よき表情と、ファンたちの至福の表情が胸を打つ。われわれが1960年代にスクリーンで仰いだ宝田明はあまりにも遠く華やかな存在であったが、晩年は信じがたくファンの近いところに夢を抱えて降りてきてくれた。私はこんな映画スタアを他には知らない。

データ

世の中にたえて桜のなかりせば
2022年4月1日公開
配給:東映ビデオ
監督・脚本:三宅伸行
製作総指揮・出演:宝田明
出演:岩本蓮加/土居志央梨/吉行和子

ダンスウィズミー
2019年8月16日公開
配給:ワーナー・ブラザース映画
監督・脚本・原作:矢口史靖
出演:三吉彩花/やしろ優/ムロツヨシ/宝田明

ニッポニアニッポン フクシマ狂詩曲
2019年3月9日公開
配給:ラピュタ阿佐ヶ谷
監督・脚本・原案:才谷遼
出演:隆大介/寺田農/宝田明

プロフィール

樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)

1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。新著は『秋吉久美子 調書』。『大島渚 全映画秘蔵資料集成』(編著)。

『大島渚 全映画秘蔵資料集成』監修:大島渚プロダクション 編著:樋口尚文 国書刊行会刊

【ひとこと】

2013年に他界された大島渚監督が、自宅やプロダクションの保管庫などに遺した大な資料、写真、書簡、日記などをすみずみまで精査し、詳細な解説を加える作業を重ねてきましたが、濃厚な内容と圧倒的な厚みの本書に結実しました。日本映画史に刺激的に屹立する作家の「創造の渦」をぜひ体感してください。(樋口尚文)

『葬式の名人』

『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子