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樋口尚文 銀幕の個性派たち

尚玄、島から世界へ吹き抜ける風(後篇)

毎月連載

第83回

撮影=樋口尚文 撮影協力=神保町「猫の本棚」

グローバルな活躍を続ける俳優・尚玄が8年ごしの自らの企画を実現し、主役を果たした挑戦作『義足のボクサー』。フィリピンの名匠ブリランテ・メンドーサ監督の泰然とした演出を得て、尚玄の代表作のひとつとなった本作は、雑味のない澄みわたった仕上がりが思わず観る者を瞠目させよう。これまでの俳優人生で、尚玄はどんな思いを抱えながらこの作品にたどりついたのか。その誠実な人柄がにじむ言葉の数々を前後篇でお届けする。

モデルとしてヨーロッパで勝負

『義足のボクサー』(C)2022「義足のボクサー GENSAN PUNCH」製作委員会

── ここからは『義足のボクサー』に至るまでの尚玄さんの足どりについてお尋ねしたいと思います。まずご両親とも沖縄の方なんですか。

父も母も沖縄出身で、僕も沖縄で生まれて高校まで島で育った。生粋の沖縄人です。

── 私はたまたま尚玄さんとお母さまもご一緒にお茶を飲んだことがありますが、本当に素晴らしいお母さまですね。尚玄さんもとてもお母さま思いで、ご一緒に素敵な広告に出ておられたことも。

あれはユニクロのポスターで、カメラはレスリー・キーだったんです。

── それは最高の親子の記念写真になりました(笑)。ところで尚玄さんは沖縄返還から6年後の1978年に生まれたんですね。

親の世代だとまだ本土に出てくると差別的な出来事があったりもしたようですけど、僕らの世代ともなると沖縄のイメージはすっかりいいものに変わっているので、そんなに困った目にあったことはないんですね。でもこうして返還50年を迎えて、基地問題がフォーカスされたりすると、何のための返還だったんだろうとか考えることはあります。それにアイヌの方のように、ぼくら沖縄人も以前よりは文化や独自性が理解されるようになったとは思うんですが、それがもっと進んでくれるといいなと思います。

── 沖縄人であることが尚玄さんの生き方や俳優としての姿勢に大きく影響しているとしたら、たとえばどういうことでしょう。

やはりそういう沖縄人としてのアイデンティティと団結力の強さでしょうか。それは自分に凄く根付いていると思いますね。

── 映画に興味を持ったのはいつ頃ですか。

親が映画が好きだったので、よく映画館に連れて行かれてました。小さい頃は『グーニーズ』とか『スタンド・バイ・ミー』といった冒険旅行モノ、子どもたちが非日常的な場所に旅する映画が好きでした。『シザーハンズ』なんかもよかった。高校が国際通りの裏だったので、単館系の映画をかける劇場も近所にたくさんあって、当時は本当にいろいろ観ていました。もうかかっている映画は全部観るくらいに好きでした。それでちょうど僕が大学に入って東京に出て来たのが、渋谷のシネマライズで『トレインスポッティング』がヒットしていた頃で、ミニシアターや単館系の作品がとても元気だった頃なんですね。『バッファロー'66』なんかも凄く盛り上がっていた。

── その頃浴びるように映画を観ていて、自分も俳優をやってみたいという気持ちが芽生えたんですね。

そうですね。でも18歳の時にキャスティングの方に出会ったのがきっかけでモデルを始めまして、最初は雑誌の『POPEYE』でした。当時はファッション誌がとても勢いがあったので、けっこう仕事が舞い込んだんです。一方では大学でも体育会系でバスケをやっていましたから、その両方でいっぱいいっぱいな感じでした。

── 当時はハーフが人気だったのでは。

ちょうどハーフ・ブームだったので、僕のまわりのモデルの売れっ子はみんなハーフでしたね。

── 尚玄さんはハーフではないけれど、生粋の沖縄人としてハーフ的な雰囲気もあるので人気だったでしょう。

まさにそうですね。それに、ハーフ・ブームのうえに、ロン毛とヒゲの男子に人気が出た頃でした。

── 尚玄さんはロン毛もヒゲも似合いますものね(笑)。その後でヨーロッパへの旅に出たそうですが。

モデルの仕事をたくさんやりながら、最後にけじめとしてヨーロッパの本場でも仕事ができたらと思って、旅することにしたんですね。

── しかしヨーロッパに打って出ようという場合、実際にはどういうステップを踏むのですか。

それはもうポートフォリオを携えて事務所に飛び込みでアピールするんです。

── おお、それは凄い。

それでパリ、ミラノ、ロンドンと一か月単位でマネジメント契約を結んで、お金がたまったらバックパッカーになってヨーロッパを回ったり、エジプトまで出かけたり……本当に自由でしたね。これが23歳から24歳にかけての時期なんですが、お金がなくなったら仕事をして旅をする、という本当に気ままで楽しい季節でした。

俳優デビューとNYで学んだこと

撮影=樋口尚文

── その旅を終えて俳優になろうと志すんですね。

周りにはちょっと遅いよという人もいましたが、25歳から俳優を始めました。俳優を目指すうえではモデルをやっていたことが足かせになることもあったのですが、さっきお話しした旅を含めてモデル時代の経験や人とのつながりは、今にもつながる財産なんです。でも25歳から始めたから、よくある学園物なんかは一切やったことがないんです(笑)。それから意外とラブストーリーもないんですね。

── でも日本でやるとどうしても学園物もラブストーリーもつまらなくなりがちだから、別にいいのではないですか(笑)。そしていきなり2008年の長篇『ハブと拳骨』という映画で主演を張っていますが、その前にもいくつか映画には出ていましたね。

最初は浅野忠信さんが監督したオムニバス映画『TORI』(’04)の第二話『心の刀』でした。菊地凛子さんと宮崎将くんと共演しているんですが、浅野さんから「何か面白いことやってみて」と注文されても、いったい何をやっていいのかわからなくてダメ出しをされて途方に暮れました。この時の衣裳は北村道子さんで、後の中野裕之監督の『七人の侍』シネマクリップ(’08)で野武士をやった時の衣裳はワダエミさん。そういった凄く立派な仕事をされるベテランスタッフがいらっしゃると、本当にぼくら俳優はちゃんと応えないとまずいと気持ちが引き締まりますが、最初は気ばかり焦って何もできませんでしたね。

── でも尚玄さんはそのお人柄と個性的な風貌で、面白い役があるとプロデュースから呼ばれたのではないですか。

20代はそんなに俳優の仕事も多くはなかったのですが、個性的な役柄があるとオーディションではなく指名で起用されることが時々ありました。でもその後もなかなかつながっていかないなというモヤモヤは続きましたね。どうしても日本だと、海外のようにいいシナリオがあって、それに即してはまるキャストを探す、という流れにならないじゃないですか。だからこそ僕らが主体になって作る時は、そういうプロセスをきちんと踏んでやろうと思いました。

── 俳優を始めた後で2009年にニューヨークで演技の勉強をされていますね。

アクティング・ワークショップで有名なボビー中西さんがニューヨークにいらした時にお会いしまして、あのアクターズ・スタジオに連れて行ってもらったんです。するとモデレーターがなんとハーベイ・カイテルで、「これは凄いな」と驚きました。

── ボビー中西さんは日本で二人目のアクターズ・スタジオの生涯会員だそうですね。

そのボビーさんから、やはりアクターズ・スタジオの生涯会員のトレーナーのロベルタ・ウォラックのクラスを紹介されたんです。ニコール・キッドマンのプライベート・コーチをやっていたアクティング・ディレクターのスーザン・バトソンがニューヨークで「ブラックネクサス」という演技指導スクールをやっていて、ロベルタはそこで教鞭をとっていたんですね。ボビーさんはそのロベルタのワークショップはニューヨークでもかなり厳しいクラスだとおっしゃっていたんですが、「それならばぜひそこへ行こう」と(笑)。

── 参加してみていかがでしたか。

もうそれはキツかったです。というのも参加者のコミットメント力が高いから、自分もそのレベルに合わせていかないとまずいので大変なんです。日本と違ってディスカッションもあるので、ただテクニックが巧いだけではなく、各個人が総合的にどれほどのコミットメント力をもってその役にのぞんでいるかが評価の対象になる。でもワークショップというのは、本当はそういうふうに自分が心を開いてどのくらい成長したかということが主題のはずなんですよね。この時のクラスではそのことが達成された時は惜しみない拍手が贈られるわけですが、なかなかそういう意識を持続するのはしんどくて「ああ、今日は行きたくないな」と思う朝もありました(笑)。

── しかしそれは演技を深いところでとらえる経験にはなりますよね。

そうなんです。演技の技巧がどうこうという前にもっと大切なことがあるということ。その演技の前提というか心構えを学べたことは凄く貴重でした。そういう方針のもとで高い意識を持つ人たちの間でもまれたのは、俳優としての自分の財産です。そして究極的には「あなたでいいんだ」という教えを授かったのが大きな成果でした。「あなたが感じた内面から必ず独自のビヘイビアが外にあらわれるから、あなたのままでいい。それをつまらないクリシェにあてはめることはない」ということですね。

国境を超えて面白いことを

撮影=樋口尚文

── ここでまた『義足のボクサー』のメンドーサ監督が映画からクリシェを排除しまくっていったことにつながっていきますね。

日本だと演ずる顔ぶれは変わっていくけれど、ずっと紋切型の演技を求められ続ける。でもこのニューヨークで問われたものは「あなたの喜怒哀楽は何なの?」ということでした。さっきお話ししたスーザン・バトソンは参加者全員がそれを達成するまで、夜中の十二時になっても帰さないという(笑)。それはもう徹底した人でした。でもスーザンのクラスはインヴァイトされた人しか行けないので、僕はとても幸運でした。ちょうど30歳の時ですね。

── ただそういう得難い経験を糧として帰国すると、まるでそうではない日本の映画やテレビの世界に違和感を持たざるを得ないでしょう。

そういう現状のなかで仕事の幅を広げるために、その頃からはアジアを射程に入れてオーディションを受けたりするようになりました。英語での演技についても徐々に自信が持てるようになりましたから。それでマレーシアの連続ドラマにメインの役で招かれたり、タイの映画にも出たりしました。今や東南アジアの作品のほうが日本のインディーズ作品よりもギャラやプロフィット・シェアに関してちゃんとしているんです。

── イギリス映画の『ストリートファイター 暗殺拳』なんて作品にも出ているんですね。

あれはブルガリアで撮ったんです。主役をやっていたマイク・モーは、後にタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のブルース・リーをやっていた彼です。

── かと思えば、ホームの沖縄に戻って『ココロ、オドル』(’19)のような独特な味わいの作品にも出演されていますが、直近では中村真夕監督『親密な他人』(’22)では珍しく鬼気迫る悪役に扮して印象的でした。

中村真夕監督には「ロバート・ミッチャムみたいにやってほしい」と言われたんです(笑)。真夕さんらしい喩えだなあと。

── それはめちゃくちゃ面白いヒントですね(笑)。観た後で聞くと本当におかしい。しかし若き日にドメスティックな日本の映画プロデューサーから「個性的な風貌なので主役を張れない」と決めつけられた尚玄さんは、それに対するアンサーとして日本の枠組みを踏み出した俳優活動から映画製作にまでたどりついたわけですが、今やそれは未来を志向する日本の若き映画人たちが自然と目指す方向でもありますね。古臭い因習やら発想のクリシェから脱出してきた尚玄さんがこれからどこへ跳躍するのか、とても楽しみです。

ありがとうございます。次はどこに行って何をやろうかなと、今凄く楽しみに考えているところです。

撮影=樋口尚文

データ

TORI
2004年5月8日公開
配給:IMAGICAエンタテインメント
監督:浅野忠信

ハブと拳骨
2008年6月21日公開
配給:ナインエンタテインメント/アルゴ・ピクチャーズ
監督:中井庸友

ココロ、オドル
2019年6月22日公開
配給:ファンファーレ・ジャパン
監督・脚本:岸本司

親密な他人
2022年3月5日公開
配給:シグロ
監督・脚本:中村真夕
出演:黒沢あすか/神尾楓珠/上村侑/尚玄/佐野史郎/丘みつ子

義足のボクサー GENSAN PUNCH
2022年6月10日公開
配給:彩プロ
監督:ブリランテ・メンドーサ
製作:山下貴裕/クリスマ・マクラン・ファジャード/子尚玄
出演:尚玄/ロニー・ラザロ/ビューティー・ゴンザレス/南果歩

プロフィール

樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)

1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。新著は『秋吉久美子 調書』。『大島渚 全映画秘蔵資料集成』(編著)。

『大島渚 全映画秘蔵資料集成』監修:大島渚プロダクション 編著:樋口尚文 国書刊行会刊

【ひとこと】

2013年に他界された大島渚監督が、自宅やプロダクションの保管庫などに遺した大な資料、写真、書簡、日記などをすみずみまで精査し、詳細な解説を加える作業を重ねてきましたが、濃厚な内容と圧倒的な厚みの本書に結実しました。日本映画史に刺激的に屹立する作家の「創造の渦」をぜひ体感してください。(樋口尚文)

『葬式の名人』

『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子