Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

樋口尚文 銀幕の個性派たち

板谷由夏、軽やかな無色の個性派

毎月連載

第87回

『夜明けまでバス停で』

泣きも叫びもしないところにある持ち味

ずばり銀幕の個性派と呼ぶにふさわしい女優たちが集まって、これまた若き個性派の演劇作家の舞台をもとにした『もっと超越した所へ。』の後で『夜明けまでバス停で』を観たものだから、主演の板谷由夏の「普通さ」がいっそう際立った。だが、その見るからに個性派の女優たちに勝るとも劣らず、板谷の「普通さ」はそこに徹することでごく鮮やかな印象を残すのだった。

ふと気づけば1999年に映画『avec mon mari』やドラマ『パーフェクトラブ!』で板谷を始めて知った時から、もう二十余年が過ぎているというのに、ここまでマイペースに雰囲気が変わらない女優も珍しいのではないか。その安定性が買われて、なんと日本テレビ『NEWS ZERO』のキャスターは11年も続いていたというが、ここまで危うさがなく落ち着いて見える板谷であれば、制作陣が続投を頼み続けるのもすんなり理解できる。

だが、板谷の興味深い点は、ニュースのキャスターを十年以上もやれてしまう当たり障りのない才能はおよそ演技者としてはつまらないはずなのだが、何か不思議と気になる雰囲気を放ち続けるところである。あれはおそらく2005年、板谷の主演映画『欲望』が公開された頃ではなかったかと思うが、私はさる新商品の歯ミガキのTVCMを作るにあたって、その主役となる女性のオーディションに立ち合っていた。オンエアすれば注目度の高いCMだけに大勢の女優やタレント、モデルがオーディションに入れ代わり立ち代わり現れたが、その流れが一瞬途切れてわれわれ選考側もちょっとくたびれた瞬間、突然板谷が部屋に入ってきた。その余り気がすすまないが事務所から言われて来ましたという感じの、あえて営業スマイルもしないが、決してこちらを不快にさせない自然さに好感を持った。

『夜明けまでバス停で』

当時の私はすでに板谷のことは映画やドラマでじゅうぶんに認識していたので、彼女が部屋に入って来るなり興味津々で眺めていた。そして通常こうしたオーディションではみんなどこか力の入った感を見せるのだが、板谷はまるで肩の力がぬけていた。ははあ、こういう人なのかと板谷への関心はいや増すばかりであったが、この時はCMの狙いにそって、まるで逆の大ぶりな演技をやってみせる宝塚のホープが採用された。

そのすぐ後に小池真理子原作、篠原哲雄監督『欲望』を観て、私が本人を見て抱いた印象よりはやや温度が高い、ちょっと覚悟もしたであろうハードな描写も含む力演に驚いた。だが、この作品のラストシーンで号泣して表情がくずれる板谷のアップを観ていて、もし出来ることならこういう劇的な展開のかわりに板谷がその本来の自分を淡々と見せる作品はないものだろうかと思った。ここのところ日本映画の商業作は物語の劇的な起伏や派手な感情表現に占められているが、板谷の独自の魅力は泣きもしない叫びもしないところにあるように思われたからだ。

さりげなさが呼ぶ戦慄

『夜明けまでバス停で』

そんなことを考えたことすらすっかり忘れていた17年後の今年、思わぬかたちでその妄想はかなうこととなった。しかもよりによって、あの社会を震撼させた幡ヶ谷バス停殺人事件に想を得た高橋伴明監督の『夜明けまでバス停で』という作品によって。昼は特技を活かしてアクセサリーづくりをしながら、夜は居酒屋でアルバイトする感じのいいごく普通の女性。それが板谷の役で、そんな多くを望まぬつつましい暮らしが、コロナ禍のせいで一気に壊れてゆく。孤立とか分断とかいったキーワードで抽象化するとぴんと来ないが、板谷扮する何の落ち度もない女性がいつの間にかホームレスになってしまっているという描写は静かな戦慄に満ちている。

『夜明けまでバス停で』

ここでの板谷は、こうした状況にうちひしがれるのでも、ヒステリックに吠えるのでもなく、ただただ茫然としながら理不尽な状況に巻き込まれてゆく。高橋伴明監督はかつて連合赤軍事件を題材にした『光の雨』で若き板谷と出会っているが、一見社会派的なけわしい作品になりそうな本作を板谷の視点から描くことで思いのほかさりげないものにしている。だが、そのさりげなさゆえに板谷のヒロインをめぐる展開は逆にぞっとするものになった。そしてスローガン的な怒りではなく、そんなごく普通の、やさしい女性のなかにじわじわと反権力的な怒りが育ってゆくさまが今様のリアルで描かれた。

『夜明けまでバス停で』

これまさにお仕着せの怒れるヒロイン像などを描こうとしなかった高橋伴明監督の成果であり、自然体の普通さと感じのよさを大切にし続けてきた「色のない個性派」というべき板谷のプレゼンスの賜物だろう。実は私も監督として、ずばり普通の主婦たちが「腹腹時計」を参考書にして爆弾テロを起こすコメディ風味の映画をすでに十年前に撮っていたので、このラストの軽やかな転調は大いに「共犯意識」をかきたてられ嬉しくなった。そしてこのラストをオールド左翼のひとりごとみたいに終わらせず、今を生きる女子たちにも共感あるものにしたのは、板谷のさりげなさとコメディエンヌ的な軽快さなのだった

データ

光の雨
2001年12月8日公開
配給:シネカノン
監督:高橋伴明
原作:立松和平
脚本:青島武
出演:萩原聖人/裕木奈江/山本太郎/池内万作/大杉漣/塩見三省/板谷由夏

欲望
2005年11月19日公開
配給:メディア・スーツ
監督:篠原哲雄
原作:小池真理子
脚本:大森寿美男/川崎いづみ
出演:板谷由夏/村上淳/高岡早紀/津川雅彦/大森南朋/利重剛

夜明けまでバス停で
2022年10月8日公開
配給:渋谷プロダクション
監督:高橋伴明
脚本:梶原阿貴
出演:板谷由夏/大西礼芳/三浦貴大/松浦祐也/ルビー・モレノ/片岡礼子/柄本佑/下元史朗/筒井真理子/根岸季衣/柄本明

プロフィール

樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)

1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。新著は『秋吉久美子 調書』。『大島渚 全映画秘蔵資料集成』(編著)。

『大島渚 全映画秘蔵資料集成』監修:大島渚プロダクション 編著:樋口尚文 国書刊行会刊

【ひとこと】

2013年に他界された大島渚監督が、自宅やプロダクションの保管庫などに遺した大な資料、写真、書簡、日記などをすみずみまで精査し、詳細な解説を加える作業を重ねてきましたが、濃厚な内容と圧倒的な厚みの本書に結実しました。日本映画史に刺激的に屹立する作家の「創造の渦」をぜひ体感してください。(樋口尚文)

『葬式の名人』

『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子