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樋口尚文 銀幕の個性派たち

正名僕蔵、中産階級的演技の味わい

毎月連載

第17回

写真提供:大人計画

 正名僕蔵は1970年8月生まれ、川崎は多摩川のそばでのどかに育った。面白いのは、小学校の頃に家のテレビが故障し、それをいい機会に親がテレビなしの生活をはじめ、なんと10年間も家にテレビがなかったのだという。したがって当時はやっていた『オレたちひょうきん族』などの人気番組も見ることができず、なんと家電量販店の陳列用テレビで『夕焼けニャンニャン』などを追いかけていたという。

 しかしそのストイックな生活が奏功してか、中学生時代は神童と呼ばれるくらいお勉強ができた。主要五科目はいつも満点が当たり前のオール5(音楽や体育は意外やそうでもなかったらしい)だった。進学校の高校に入ると燃え尽き症候群みたいな感じになって、ちょっと反抗的にもなったというが、順調に青山学院大学の仏文科に合格する。

 ここまでの経歴を見ると、演劇などとは全く関係なく就職してメーカー勤務……などというのが、あの風貌も含めて自然ななりゆきという気がする。しかし人生どこに大きな転回点がひそんでいるかはわからない。大学3年の時に友人に連れて行かれた「大人計画」の舞台『猿ヲ放ツ』を観て、そこに気に入ったタイプの女優を発見し、彼女に会いたいがためになんと「大人計画」のオーディションを受けたのだった(それは「大人計画」に客演していた戸村由香だったのだが)。そして、演技の経験など全くなく、演出の松尾スズキにこてんぱんにやられたが、それとてそこまでの生活がずっと穏やか過ぎたので新鮮に感じられ、徐々に芝居の世界に熱中することになった。

 ちなみに「大人計画」には宮藤官九郎、阿部サダヲ、荒川良々、皆川猿時ら、本コラムに登場しそうな「個性派」が勢ぞろいしているが、正名は阿部サダヲ、猫背椿、宮崎吐夢と同期だが、その中でもごくじわじわと存在感をアピールしてきたタイプだろう(ただひじょうに面白いのは、そのいかにもアジア的な風貌がアメリカでウケると言われて、一度退団して本気でハリウッド進出を目指したことがあるという)。

 正名が「大人計画」に入団したのは1992年だが、90年代の正名は『ヘルプ!』『踊る大捜査線』『ニュースの女』『救命病棟24時』などのテレビドラマにちょこちょこと顔を出しては「あれは誰」と気づかれ始めた時期だった。しかしゼロ年代に入ると、レギュラーで「気になる脇のあの人」的なポジションが回ってきた。その初めが、2000年にスタートして大人気だったフジテレビ『ショムニ』第2シリーズで、石黒賢の右京友弘を筆頭とするエリートぞろいの海外事業部の落ちこぼれ的な存在・岡野玄蔵だった。まるで役に立たないくせにオヤツ大好きで、ボウリングだけが得意という役柄で、そんなに出番はないのだが、番組中のちょっと気になるポイントに登場することはかなった。

 おそらくこの印象をバネにして、翌2001年の木村拓哉主演のフジテレビ『HERO』では主舞台となる東京地検城西支部の守衛役に選ばれる。これも居眠り癖があってあまり役に立たない守衛なのだが、面白いのは13年後に作られた『HERO』第2シーズンではなんと(守衛から国家公務員試験2種試験にチャレンジしたという設定で!)検察事務官となって吉田羊扮する馬場礼子検事をサポートする立場に昇格、堂々の主演メンバーとしてオープニングタイトルにも登場し、ファンは驚いたに違いない。

 正名はこうしてさまざまな番組の「気になるワンポイント」を担うレギュラーとして重宝されているが、私はやはり2007年の周防正行監督『それでもボクはやってない』の前半に登場する(木谷明をモデルにしたという)東京地裁の人権派の裁判長・大森光明の演技がいまだに鮮やかに思い出される。あの紳士的かつ理知的な物腰の演技を見ながら、「え、これは『HERO』の守衛さんだ」と気づいた時はしたたかに驚いた。一方で、デフォルメしてサイコキラーみたいな役も当然こなせる正名だが、小津映画で求められるような中産階級的演技が似合う俳優はなかなかいないので、ぜひそのラインを掘り下げてほしいと思う。

 ところで「正名僕蔵」という芸名の拠って来るところは何かなと思っていたら、松尾スズキとともに『美味しんぼ』のカリスマ海原雄山みたいな重厚なひびきがいいとひねり出したものらしい。

作品紹介

『HERO』

2015年7月18日公開 配給:東宝
監督:鈴木雅之
脚本:福田靖
出演:木村拓哉/北川景子/杉本哲太/濱田岳/正名僕蔵

『探偵はBARにいる3』

2017年12月1日公開 配給:東映
監督:吉田照幸
脚本:古沢良太
出演:大泉洋/松田龍平/北川景子/前田敦子/正名僕蔵

プロフィール

樋口 尚文(ひぐち・なおふみ) 

1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』、新作『葬式の名人』が2019年に公開。