田中泰の「クラシック新発見」
バッハはライブハウスの先駆者!?
隔週連載
第107回

3月31日は“音楽の父”J.S.バッハ(1685-1750)の誕生日だ。数々の優れた音楽をこの世に遺し、後世の音楽家たちに大きな影響を与えたバッハの隠れた功績のひとつが、歴史に残る大作曲家の誰よりも早く、ライブハウス的な演奏活動を始めたことだ。生誕340年を目前に控えた今回は、その背景に迫ってみたい。
千回のキスよりも素晴らしく、マスカット・ワインよりも甘い。
ああ、コーヒーはなんて美味しいのでしょう。
1日3回、カップ1杯のコーヒーを飲ませてくれなければ、
私はがっかりして干からびた山羊の焼肉みたいになってしまいますわ
この詩は、J.S.バッハの「コーヒー・カンタータ」で歌われる歌詞の一節だ。コーヒー好きのバッハが書いたこの作品からは、バッハの知られざる一面が垣間見られる。
バッハが活躍していた1730年代のドイツ・ライプツィヒではコーヒーが大流行していて、人々は家庭で飲むばかりでなく街のコーヒーハウスに出かけてコーヒーを楽しむのが日常茶飯だったという。そのため街に存在する八軒のコーヒーハウスは大繁盛。市民の社交の場としても重要な役割を担っていたというのだから意味深だ。するとそこからコーヒーだけではなく音楽を提供する店が出始めたのだ。これはまさに今に至るライブハウスのはしりに違いない。そのなかの一軒「ツィンマーマンのコーヒーハウス」で定期的にライブ演奏を行っていたのがなんとバッハだったのだ。
当時のバッハは、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(教会音楽家)として、「教会カンタータ」などを中心とした教会のための音楽をせっせと作曲していた時期にあたる。その忙しい仕事の合間にツィンマーマンのコーヒーハウスに出没しては、ライブ活動を繰り広げてコーヒーと音楽を愛する人々から大喝采を浴びていたというのだから面白い。そのバッハが率いていたバンドならぬアンサンブルは、バッハの先輩に当たる大作曲家テレマン(1681-1767)が創設した市民や学生による民間の音楽愛好団体「コレギウム・ムジクム」だ。“今に至るオーケストラの原点”と言えるこの先鋭的なアンサンブルを率いてコーヒーハウスに乗り込んだバッハは、「教会カンタータ」などではなく、一般の聴衆に喜ばれる「チェンバロ協奏曲」や、宗教色のない「世俗カンタータ」などを数多く作曲してはコーヒーハウスで披露していたというのだから素晴らしい。
バッハ自身もコーヒーが大好きだったことは、遺品の中にコーヒー用の高級食器や銀製のポットなどが多数遺されていたことで証明済み。そのコーヒー好きが高じて書き上げられた作品が、「コーヒー・カンタータ」だったのだ。
当時ライプツィヒでは、コーヒーを飲みすぎて中毒症状になる人が続出し、コーヒー依存症が社会問題になっていたという。さらには、外貨流出を防ぐための国策として大量消費される輸入品コーヒーを禁じた「コーヒー禁止令」まで出されたことがあるいうのだから大変な時代だ。その時代背景をネタに作曲された「コーヒー・カンタータ」の正式名称は「おしゃべりをやめて、お静かに」。作品の内容は、流行りのコーヒーにウツツをぬかす娘と、それが気に入らずにあの手この手で娘のコーヒー熱を冷まそうとする父親とのやり取りを描いたドタバタ喜劇だ。作曲当時のバッハはすでに50歳。今の50歳とはわけが違うだけに、コーヒーハウスに出かけてライブ演奏を展開するバイタリティと旺盛な好奇心には頭が下がる。まさに“音楽の父”と称えられる所以だろう。
このあたりの話を更に詳しく知りたい方は、『コーヒーハウス物語〜バッハさん、コーヒーはいかが?』(ハンス=ヨアヒム・シュルツェ著、加藤博子訳、洋泉社刊)をぜひお読みいただきたい。
さて、筆者がナビゲーターを務める「JWAVEモーニングクラシック」では、3月31日(月)のバッハの誕生日に因んで、3月31日(月)から4月3日(木)までの4日間にわたってバッハを特集予定。“音楽の父”が遺した素敵な作品をご体験あれ。
「J-waveモーニングクラシック」
https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/classic/
田中泰
1957年生まれ。1988年ぴあ入社以来、一貫してクラシックジャンルを担当し、2008年スプートニクを設立して独立。J-WAVE『モーニングクラシック』『JAL機内クラシックチャンネル』などの構成を通じてクラシックの普及に努める毎日を送っている。スプートニク代表取締役プロデューサー。