田中泰の「クラシック新発見」
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲
隔週連載
第112回

「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン2025」
「気持ちの合ったともだちが、四、五人集まって話し合うことはまたとなく楽しいことである。話題がつきると興に乗った一人がうたいだす。すると、他のものがこれに和して、知らず知らず合唱ができ上がる。室内楽はちょうどそんな感じのする音楽である」。こう表現したのは、評論家の草分け神保璟一郎氏だ。
室内楽は、今から400年程前、17世紀前半に当時の貴族の邸宅で行われ始めた形式だ。もともと貴族のサロンを中心に発達したものであるだけに規模も小さく、二重奏から八重奏くらいまでが理想とされ、美しい庭園やレストランなどで演奏されてきた音楽だ。この雰囲気を今に伝えるイベント、「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン(CMG)」が、今年も華やかに開催される。
サントリーホール館長にして日本を代表するチェリスト、堤剛のプロデュース公演で開幕する今年の“室内楽の庭”も百花繚乱。どこか敷居の高さを感じさせる室内楽を、身近なものとしたこのイベントの功績はとても大きい。
この日本最大級の室内楽の祭典CMGを象徴するプログラムが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏会(ベートーヴェン・サイクル)だ。選ばれしひとつの弦楽四重奏団が、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を短期間に集中して全曲演奏するという、世界でもあまり類を見ないこの企画は、CMGが開始された当初から続けられてきた名物企画だ。2011年のパシフィカ・クァルテット(アメリカ)以来、この難題に挑戦してきた弦楽四重奏団の数は8カ国12団体。それぞれに趣向を凝らしたプログラミングと演奏が、聴く者の心を捉えてきたことは言うまでもない。

ベートーヴェン(1770-1827)が遺した16曲(及び大フーガ)の弦楽四重奏曲は、クラシックの全ジャンルに於いて最高の作品を手掛けた“オールラウンドの作曲家”ベートーヴェンにとっても、最も重要な作品群の1つだ。創作におけるすべての時代を網羅しつつ、前・中・後期に3区分されるその内容からは、作曲当時のベートーヴェンの姿が想像できることも興味深い。ハイドン&モーツァルトによってほぼほぼ完成の域に達していた弦楽四重奏への取り組みは、ピアノ・ソナタにおいて、楽器の発展に伴う革新的な作曲技法を生み出していったベートーヴェンにとってもかなりの難題であったに違いない。前期に区分される作品18(第1番〜6番)が出版されたのは1801年。ベートーヴェン31歳の年であることからも、ベートーヴェンの慎重な姿勢が伺える。
中期の弦楽四重奏曲作品59の3曲(第7番〜9番)「ラズモフスキー・セット」を作曲したのは、作品18の発表から6年後の1806年。ベートーヴェンの“傑作の森”と呼ばれる最充実期に書かれた名作だ。交響曲第3番「英雄」の成功を筆頭に、ウィーンで最も嘱望される作曲家となったベートーヴェンの自信と心意気が伝わってくる。続く作品74(第10番)「ハープ」を1809年、作品95(第11番)「セリオーソ」を1810年に作曲。同時期には、交響曲第5番「運命」&6番「田園」や、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」が誕生していることが、ベートーヴェンの充実ぶりを物語る。
そして後期だ。作品95「セリオーソ」の作曲から15年後の1825年に完成した作品127(第12番)から、翌1826年に完成させた作品135(第16番)に至る5曲と「大フーガ」は、“人類の遺産”と呼ばれる名作揃いだ。交響曲第9番「第九」などの大作を完成させ、死を目前に控えたベートーヴェンが最後の力を振り絞って作曲したこれらの弦楽四重奏曲については、様々な憶測が寄せられている。果たしてそれはベートーヴェンの錯乱なのか、自由な精神の飛翔なのか、はたまた崇高な精神の到達点だったのか。ベートーヴェンがこの世を去ったのは、最後の弦楽四重奏曲第16番を完成させた約5ヶ月後の1827年3月26日のことだった。享年56歳。

今回のCMGにおいて、「ベートーヴェン・サイクル(6月11、12、14、15、17日)」に挑むのは、“現代最高峰の弦楽四重奏団”との呼び声も高いシューマン・クァルテット(ドイツ)だ。その成果や如何に。すべての答えはブルーローズにあり。
さて、筆者がナビゲーターを務める「JWAVEモーニングクラシック」では、6月2日(月)から5日(木)までの4日間、“室内楽の庭”「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン」で披露されるベートーヴェンの弦楽四重奏曲を特集予定。“楽聖”の人生に寄り添った名曲の奥深さに触れてみたい。
「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン2025」
■チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2456228
6月7日(土)~22日(日)
サントリーホール ブルーローズ(小ホール)
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/feature/chamber2025/
「J-waveモーニングクラシック」
https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/classic/
田中泰
1957年生まれ。1988年ぴあ入社以来、一貫してクラシックジャンルを担当し、2008年スプートニクを設立して独立。J-WAVE『モーニングクラシック』『JAL機内クラシックチャンネル』などの構成を通じてクラシックの普及に努める毎日を送っている。スプートニク代表取締役プロデューサー。