田中泰の「クラシック新発見」
ジョルジュ・サンドとの9年間
隔週連載
第114回

ドラクロワによるショパン像
ピアノ学習者が最初に親しむショパン(1810-1849)作品といえば『子犬のワルツ』だ。
「ワルツ第6番変ニ長調作品64-1」という正式名称を持つこの作品は、犬にまつわるクラシック音楽の中でも最も有名な作品だ。この愛らしい曲が『子犬のワルツ』と呼ばれるようになった理由は、ショパンの愛人ジョルジュ・サンド(1804-76)の飼っていた子犬が、自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回る様子を音楽で描いたためだと伝えられる。果たして当のショパンは犬に対してどのような思いを抱いていたのだろうと思って調べてみると、犬好きであることを証明するような手紙に行き当たった。
「今日は輝くような陽光で、みんな散歩にでかけています。私はその気になれなかったので、子犬のマルキーズといっしょに部屋に残ってソファに寝そべっています。この子は柔らかいふわふわした白い毛を持つ素晴らしい子犬で、サンド夫人が毎日自分でブラッシングしています。彼の特技を全部話すことはできませんが、とても賢いのです。例えばメッキした器からは決して食べようとしません。それどころか鼻で押して器をひっくり返してしまうのです(『ショパンの手紙』より)」。
これは、フランス中部ベリー地方の街ノアンにあるサンドの別荘に滞在していたショパンが、1846年10月11日にワルシャワの家族に宛てた手紙の一節だ。『子犬のワルツ』が作曲されたのは1847年とされるので、まさにこの子犬の様子を描いた作品なのだろう。子犬に向けたショパンの優しい眼差しが目に浮かぶような文章だ。

来る7月1日は、ショパンの生涯とその創作に大きな影響を与えたフランスの女性作家ジョルジュ・サンド(本名オーロール・デュバン)の誕生日だ。“初期のフェミニスト”として知られ、100冊を超える著作を遺した彼女の名を世に知らしめているのは、何といっても“ショパンの愛人”としての存在感だ。男装をして葉巻を吸い、次々に恋の遍歴を重ねながらドラマティックな人生を送ったサンドがショパンと出会ったのは、リストとその愛人ダグー伯爵夫人が開催したパリのサロンでのことだった。当時のショパンは、「まるで生まれながらの王子のようだ」とリストが形容した容姿と素晴らしい演奏によって社交界の寵児となっていただけに、サンドが魅了されたことにも納得だ。そのあたりの経緯については、小説や映画の中で様々に描かれている。なにはともあれ、当時28歳のショパンと34歳のサンドは恋に落ち、1838年11月にスペイン領マヨルカ島に出かけてから、1847年の破局に至る約9年間の波乱万丈にして濃密な時間を共有するのだ。
この間にショパンが手掛けた作品は、「前奏曲集」を筆頭に、ピアノ・ソナタ第2番3番、「バラード」第2番3番4番、「スケルツォ」第3番4番、「即興曲」第2番3番、「幻想曲」「子守唄」「舟唄」にチェロ・ソナタのほか、生涯書き続けてきた「マズルカ」「ポロネーズ」「ノクターン」の後期作品がずらりと並ぶだけに壮観だ。
ショパンのみならず、リスト(1811-86)、ベルリオーズ(1803-69)、マイヤベーア(1791-1864)などなど、クラシック史上に燦然と輝く作曲家たちとも浮名を流したジョルジュ・サンドの魅力やいかに。その本質は、「音楽こそが最高の芸術である」と信じるサンドの思想そのものにあったようだ。
さて、筆者がナビゲーターを務める「JWAVEモーニングクラシック」では、6月30日(月)から7月3日(木)までの4日間は、7月1日のジョルジュ・サンドの誕生日にちなんで、彼女に関係の深いショパン作品を特集予定。クラシック史上最も名高い恋の果に生み出された名曲の数々をご堪能あれ。
「J-waveモーニングクラシック」
https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/classic/
田中泰
1957年生まれ。1988年ぴあ入社以来、一貫してクラシックジャンルを担当し、2008年スプートニクを設立して独立。J-WAVE『モーニングクラシック』『JAL機内クラシックチャンネル』などの構成を通じてクラシックの普及に努める毎日を送っている。スプートニク代表取締役プロデューサー。