田中泰の「クラシック新発見」

ブレンデルを偲んで

隔週連載

第115回

2025年6月17日、アルフレッド・ブレンデル(1931-2025)の訃報がニュースとなって世界中を駆け巡った。享年94歳。

去年亡くなったポリーニ(1942-2024)に続いてまたひとり、青春時代からずっと聴き続け、胸を熱くしてきたピアニストがこの世を去ってしまったことが寂しすぎる。まさにひとつの時代の終焉とでもいえそうな出来事だ。

チェコスロバキアに生まれ、ユーゴスラビアで育ったオーストリアのピアニスト、ブレンデルは、6歳からピアノを始め、グラーツ音楽院で音楽理論を勉強している。その後、音楽教員の資格を取得するためにウィーンに赴き、ほぼ独学でピアノの演奏技術を身に着けたというのだから驚きだ。当時のブレンデルは、神童などとは無縁のごく普通の音楽好きな青年だったに違いない。

転機となったのは、1949年に開催された第1回「ブゾーニ国際コンクール」での4位入賞だった。しかし、それ以上に大きかったのが、コンクール後に体験したマスター・クラスにおけるエドウィン・フィッシャーとの出会いであったようだ。恩師フィッシャーへの思いは、ブレンデルの著書『楽想のひととき(岡崎昭子訳:音楽の友社刊』の中にも詳しく書かれているので、興味のある方はぜひお読みいただきたい。

1970年にクラシックの名門レーベル「フィリップス」と専属契約を結んだブレンデルは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどの優れた録音を次々に手掛け、国際的に活躍するピアニストの1人となってゆく。日本においても、1971年の初来日をきっかけに、徐々に人気が高まっていったことを思い出す。

ブレンデルとは、果たしてどのようなピアニストだったのだろう。評論家、吉田秀和氏の言葉が的を射ているので引用してみたい。

「ブレンデルは簡単にはわかりにくい音楽家である。彼と音楽との関係が“素朴”ではないからである。(中略)音楽と彼の間に何かが一つはさまっている。その“何か”をいい当てるのは難しい。私にわかったことは、彼の演奏には、意識的な音楽との対話の結果、到達したものがあるということだ」

まさに同感。音楽家の“凄さ”には2種類あって、誰にでもわかる“凄さ”と、研ぎ澄まされた感性をもって初めて理解できる“凄さ”がある。いぶし銀のようなブレンデルは当然後者だ。それ故、彼の評価が高まるのには時間がかかったに違いない。とはいえ、そのような彼のために長い人生が与えられ、巨匠として認められるまでになったことは幸いだ。

かつて発売された『20世紀の偉大なピアニスト(100人による200CD)』というレーベルを超えた企画の中に、ブレンデルのCDが6枚選ばれていることからも、その評価の高さが伺える。

筆者のブレンデル初体験は、今から47年前の1978年10月16日。銀座2丁目の東京中央会館でのオール・シューベルト・リサイタルだ。それがはっきりわかるのは、その日のチケットと、当日会場で購入したプログラムが今も手元に残っているからだ。学生だった当時から47年。引っ越しを繰り返しながらも失くさずに持っていたことは奇跡的だ。

公演終了後にはブレンデルのサイン会があり、そこでサインを貰ったのが前述の『楽想のひととき』だった。ブレンデルが想像以上に長身だったことや、握手してもらった手がとても大きく柔らかだったこと。演奏よりも、そんなことばかりが印象に残る一夜だったことが思い出される。胸を熱くするとはまさにこういうことなのだろう。そして、それがあるから今がある。

さて、筆者がナビゲーターを務める「JWAVEモーニングクラシック」では、7月14日(月)から7月17日(木)までの4日間にわたり、アルフレッド・ブレンデルを特集予定。20世紀後半から21世紀初頭のピアノ界に大きな足跡を遺した巨匠の名演をご堪能あれ。

「J-waveモーニングクラシック」
https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/classic/



田中泰

1957年生まれ。1988年ぴあ入社以来、一貫してクラシックジャンルを担当し、2008年スプートニクを設立して独立。J-WAVE『モーニングクラシック』『JAL機内クラシックチャンネル』などの構成を通じてクラシックの普及に努める毎日を送っている。スプートニク代表取締役プロデューサー。