田中泰の「クラシック新発見」
卒業シーズンに寄せて、「別れ」にまつわるクラシック
隔週連載
第132回
卒業シーズン真っ只中の今回は、作曲家たちが描いた「別れ」にまつわる音楽に言及してみたい。今も昔も、「別れ」は人生における重要なターニングポイントであり、印象的なテーマでもあるのだろう。数多くの名作が遺されている。
ドイツ・バロックを代表する作曲家J.S.バッハ(1685-1750)が手掛けたカプリッチョ『最愛の兄の旅立ちに寄せて(BWV992)』はその筆頭だ。バッハの長兄で音楽家の、ヨハン・ヤーコブ・バッハ(1682-1722)が、スウェーデン国王カール12世の軍楽隊に、オーボエ奏者として加わるために旅立つ際に作られたと伝えられるこの曲からは、遠国へ旅立つ兄を気遣うバッハの優しい気持ちが伝わってくる。「旅を思いとどまらせようとする友人たちの優しい言葉」「異国で起こる様々な出来事へのいましめ」「友人たち皆の嘆き」「御者のラッパを模したフーガ」などなど、物語性の高い音楽からは、生身のバッハの姿が垣間見えるところが興味深い。
一方、古典派を代表する作曲家ベートーヴェン(1770-1827)も負けていない。パトロンの1人で才能豊かな弟子もあったルドルフ大公が、ナポレオン率いるフランス軍の攻撃から逃れるためにウィーンを離れる際に作曲した作品が、ピアノ・ソナタ第26番『告別』だ。32曲のピアノ・ソナタの中でベートーヴェン自らが名称をつけた作品は、この『告別』と第8番『悲愴』の2曲のみ。ベートーヴェンにとっても、ことさら印象的な出来事であったことが想像できる。王侯貴族たちが続々とウィーンを離れる中、1人居座り続けたベートーヴェンの心境やいかに。
ロマン派においては、ショパン(1810-49)の練習曲作品10-3が圧倒的に有名だ。『別れの曲』と呼ばれて愛されてきたこの作品には、祖国ポーランドに別れを告げるショパンの想いが込められていると伝えられる。20歳で祖国を後にしたショパンは、再び愛する祖国の土を踏むことなくこの世を去り、遺言によって心臓のみがワルシャワに戻されたことも頭をよぎる名曲だ。
そして、後期ロマン派のオペラ全盛時代に突入すると、「別れ」は一気に悲劇的な様相を帯びてくる。プッチーニ(1858-1924)の『ラ・ボエーム』における「あなたに愛の呼ぶ声に(ミミの別れ)」や、マスカーニ(1863-1945)の『カヴァレリア・ルスティカーナ』の「母さん、この葡萄酒は強いね」は、共に死を覚悟した主人公が、愛する人に心のなかで別れを告げるシーンを演出する名曲だ。どちらも涙無しでは観られない感動的なシーンに違いない。
同じオペラの中の「別れ」でも、かなり趣の違う作品が、ワーグナー(1813-83)の楽劇『ワルキューレ』における「さらば勇気ある輝かしき子よ(ヴォータンの別れ)」だ。神々の長ヴォータンが、命令に背いたワルキューレにして最愛の娘ブリュンヒルデを神々の世界から追放し、深い眠りに閉じ込めるシーンで歌われるこの曲からは、神々の長としての尊厳と共に、娘を思う父親ヴォータンの感情のゆらぎが伝わって来て感動的だ。
一方、フランス近代の作曲家プーランク(1899-1963)の、ピアノと18の楽器のための舞踏協奏曲『オーヴァード(朝の歌)』に描かれた「別れ」も興味深い。“恋人たちの朝の別れ”を意味する「オーバード」をモチーフにしたこの作品は、日本で言うところの「後朝の別れ(きぬぎぬの別れ)」そのものだ。夜をともにした男女が翌朝には別れなければならないという平安時代の言葉のなんと風流なことだろう。「別れ」にも様々な背景があることを改めて認識させられる名曲だ。
さて、筆者がナビゲーターを務める「J-WAVEモーニングクラシック」では、3月16日(月)から3月19日(木)までの4日間にわたって、別れにまつわるクラシックの名曲を特集予定。卒業シーズンたけなわの今、改めて「別れ」や「旅立ち」の意味を考えたい。
「J-waveモーニングクラシック」
https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/classic/
プロフィール
田中泰
1957年生まれ。1988年ぴあ入社以来、一貫してクラシックジャンルを担当し、2008年スプートニクを設立して独立。J-WAVE『モーニングクラシック』『JAL機内クラシックチャンネル』などの構成を通じてクラシックの普及に努める毎日を送っている。スプートニク代表取締役プロデューサー。