田中泰の「クラシック新発見」
映画『ヴィヴァルディと私』の背景とは
隔週連載
第136回
クラシック史上最大のヒット曲のひとつ『四季』の作曲者アントニオ・ヴィヴァルディの人生の一コマを描いた映画『ヴィヴァルディと私』の公開が目前だ。
クラシックにさほど興味のない方でも“ヴィヴァルディの『四季』”という言葉には聞き覚えがあるのではないだろうか。そして曲の冒頭『春』の第1楽章を耳にすれば、小中学校で音楽の授業を受けた方々の大半が、「知ってる、知ってる!」と頷かれることだろう。
この名曲『四季』を作曲したヴィヴァルディ(1678-1741)は、J.S.バッハ(1685-1750)やヘンデル(1685-1759)と同時代に活躍したイタリア・バロック界の巨匠だ。燃えるような赤毛を持ち、若い頃に教会で司祭を務めていたことから「イル・プレーテ・ロッソ(赤毛の司祭)」と呼ばれたヴィヴァルディの得意分野は「コンチェルト(協奏曲)」。63年の生涯の中で500曲以上もの協奏曲を作曲しているのだから半端ではない。なぜこんなにたくさんの協奏曲を手掛けたのかという問いに対する答えが、今回公開される映画『ヴィヴァルディと私』に描かれている。
物語の舞台は1700年代前半のヴェネツィア、ピエタ院(ピエタ慈善院)。ここには、孤児や様々な事情で捨て子となった子どもたちが受け入れられて養育されている。男子は各種の職業訓練を受けた後に16歳で施設を去らねばならないが、女子には、修道女になる道と、見初められて結婚する道。そして、才能ある者が選ばれて厳しい音楽教育を受け、ピエタ院の「合奏・合唱の娘たち」の一員となる道が用意されている。「合奏・合唱の娘たち」は顔を覆う仮面を着けて演奏することから、世間にその姿を見せることはなく、その神秘的な雰囲気と見事な演奏によってピエタ院の経営を支えていたという。このピエタ院に音楽教師としてヴィヴァルディが赴任したことによって、彼女たちの演奏レベルは飛躍的に向上し、ヨーロッパ各地から貴族や知識人をヴェネツィアに呼び寄せるきっかけとなったというのだから素晴らしい。ヴィヴァルディは、長年にわたって彼女たちに高度な音楽教育を施したのみならず、膨大な数の協奏曲を作曲・提供したのだ。その中の1曲が、正式名称『和声と創意の試み』作品8の冒頭を飾る(春・夏・秋・冬)の4曲を総称したヴァイオリン協奏曲集『四季』だ。
映画の主人公チェチリアは、実在の人物にしてヴィヴァルディの愛弟子であったアンナ・マリアがモデルとなっている。ヴェネツィアのベネデット・マルチェッロ音楽院に保管されている「アンナ・マリアのパートブック」という肉筆写譜集にその名を残すアンナ・マリアは、ピエタ院の外で行われる行事でも演奏することを許されていた特別な3人のうちの1人で、ヴィヴァルディ門下のスターにして秘蔵っ子であった。「アンナ・マリアのパートブック」は、ヴィヴァルディがアンナ・マリアに贈った24曲ものヴァイオリン協奏曲のソロ・パートを含む貴重な曲集だけに、ヴィヴァルディがいかに彼女を高く評価していたのかが理解できる。なにはともあれ、生身のヴィヴァルディを感じる映画の誕生は、『四季』以外の作品がほとんど知られていないヴィヴァルディの再評価に繋がる貴重な機会と言えそうだ。 さて、そのヴィヴァルディはといえば、その後オペラの世界にも進出して大成功を収め、ヴァイオリニスト、作曲家、音楽教師、劇場興行主としてヨーロッパ中を席巻する存在となってゆく。後半生については又別の機会に譲るとして、謎に包まれた最晩年に話を移したい。
1740年、62歳となったヴィヴァルディは、借金の重圧に耐えかねて、ピエタ院で書き溜めた作品をまとめて廉価で売却。それを次のオペラ公演のために携えてヴェネツィアからウィーンへと旅立つのだ。しかしウィーンで期待していた支援が受けられず、興行にも失敗したヴィヴァルディは、極貧の中で内臓疾患を患い、1741年7月28日未明、劇場が用意した作曲家専用宿舎で失望と望郷の念の中で息を引き取ったというのだから悲しすぎる。その後貧民墓地に埋葬されてその所在も定かではなく、埋葬の地を示す石碑のみが飾られていることは、同じウィーンに眠るモーツァルト(1756-91)にも通じる儚さだ。
さて、筆者がナビゲーターを務める「J-WAVEモーニングクラシック」では、5月18日(月)から5月21日(木)までの4日間にわたってヴィヴァルディを特集。映画に描かれたピエタ養育院時代のヴィヴァルディ作品を中心に、時代を超越した“赤毛の司祭”の素晴らしい音楽の数々をご紹介したい。
『ヴィヴァルディと私』
5月22日(金)より、シネスイッチ銀座 ユーロスペース ほか全国順次ロードショー
https://vivaldi.ayapro.ne.jp
「J-waveモーニングクラシック」
https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/classic/
プロフィール
田中泰
1957年生まれ。1988年ぴあ入社以来、一貫してクラシックジャンルを担当し、2008年スプートニクを設立して独立。J-WAVE『モーニングクラシック』『JAL機内クラシックチャンネル』などの構成を通じてクラシックの普及に努める毎日を送っている。スプートニク代表取締役プロデューサー。