田中泰の「クラシック新発見」
モーツァルトの結婚記念日に
隔週連載
第142回
今を遡ること244年前の1782年8月4日は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91)と、その妻コンスタンツェ・ヴェーバー(1762-1842)が結婚式を挙げた日だ。
式場は、ゴシック建築様式で名高いウィーンの「聖シュテファン大聖堂」。モーツァルトはこれを機にウィーンに拠点を定め、どこにも所属しないフリーランスの音楽家としての活動を本格化する。ときにモーツァルト26歳、コンスタンツェ20歳の夏のことだった。ふたりは約9年間の結婚生活において6人の子宝に恵まれるも、成人したのは2人のみ。波乱万丈の結婚生活の中から“人類の遺産”とも呼ぶべき名作の数々を生み出したモーツァルトは、35歳でこの世を去るその瞬間まで、コンスタンツェを深く愛し続けた事が、遺された手紙の数々から伝わってくる。
その背景にあるものは、仕えていたザルツブルクの大司教から足蹴にされて宮廷を追われた無職のモーツァルトを優しく受け止めてくれたのが、ウィーンの宮廷でも、マンハイムの楽団でもなく、しがない下宿屋の娘であったコンスタンツェのみであったという事実だろう。息子の行く末を案じる父レオポルドの強固な反対や、モーツァルトを抱き込もうとするコンスタンツェの母親ヴェーバー夫人の策略を乗り越えてめでたく結ばれたふたりの喜びは、天にも昇るものだったに違いない。「妻も僕も、喜びのあまり共に泣き出してしまいました」という父親に宛てた結婚報告の手紙が心に沁みる。
その妻を父親に紹介するために故郷ザルツブルクに戻ってきたモーツァルトが、帰郷の手土産として用意した作品が「ミサ曲ハ短調k.427」だ。全能の神に自らの願いであったコンスタンツェとの結婚が叶ったことへの感謝を込めると同時に、コンスタンツェがいかに優れた歌手であるかを父親に納得してもらうために書かれたたこの作品のザルツブルク初演に際しては、コンスタンツェがソロ・パートを歌ったことが伝えられる。
一方、結婚から4年後の1786年4月にプラハで披露されたオペラ『フィガロの結婚(k.492)』は空前の大成功を収め、当地の興行主から翌年の新作依頼を受けるという、モーツァルトにとって最上級の幸福をもたらした傑作だ。それを受けて翌年9月に完成したオペラ『ドン・ジョヴァンニ(k.527)』上演のために、愛する妻コンスタンツェを伴ってプラハへと向かうモーツァルト。その旅の途中で立ち寄った貴族の家での一日を描いた小説が、モーツァルトをこよなく愛したドイツ・ロマン主義の詩人メーリケ(1804-75)の名著『旅の日のモーツァルト』だ。興味のある方は是非手にとって読んでみてほしい。ここには妻コンスタンツェと過ごす最も幸福な時期のモーツァルトの姿が描かれている。
プラハにおける『ドン・ジョヴァンニ』の初演は1787年10月29日。モーツァルト自身の指揮で行われ、再び大成功を収めただけに、ふたりはこの幸せが未来永劫続くことを夢見ていたのではないかと思うと胸が詰まる。
モーツァルトとコンスタンツェを語るうえで忘れられない作品が、最晩年の名作『アヴェ・ヴェルム・コルプス(k.618)』だ。この曲が作曲されたのは、モーツァルトがこの世を去る半年ほど前の1791年6月17日。バーデンで療養していたコンスタンツェの面倒を見てくれた合唱指揮者アントン・シュトルへの感謝が込められたこの曲の美しさはまさに破格だ。わずか46小節、3分にも満たない短い音楽からは、モーツァルトからコンスタンツェへの、永遠不滅の愛が伝わってくる。
1789年4月16日に、ドレスデンからコンスタンツェに宛てたモーツァルトの手紙は、「最愛、最上の妻へ!」という書き出しで始まる熱烈なものだ。モーツァルトを貧困に追いやった原因として“悪妻”のレッテルを貼られたこともあるコンスタンツェを、モーツァルトはなぜここまで愛し抜いたのだろう。その理由については、「コンスタンツェの経済的無関心のおかげで、天才のフトコロは地獄だったかもしれないが、心は天国のように花が咲き誇っていたに違いない(砂川しげひさ著『なんてったってモーツァルト』より)」という意見に共感する。
さて、筆者がナビゲーターを務める「JWAVEモーニングクラシック」では、8月3日(月)から6日(木)までの4日間にわたって、「モーツァルトの結婚」を特集予定。ぜひご堪能いただきたい。今から244年前の8月4日にウィーンで行われたモーツァルトとコンスタンツェの結婚式に思いを馳せて。
「J-waveモーニングクラシック」
https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/classic/
プロフィール
田中泰
1957年生まれ。1988年ぴあ入社以来、一貫してクラシックジャンルを担当し、2008年スプートニクを設立して独立。J-WAVE『モーニングクラシック』『JAL機内クラシックチャンネル』などの構成を通じてクラシックの普及に努める毎日を送っている。スプートニク代表取締役プロデューサー。