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三枝成彰 知って聴くのと知らないで聴くのとでは、大違い!

書きたいから書く

毎月連載

第32回

『忠臣蔵』/写真提供:メイコーポレーション

1997年のオペラ『忠臣蔵』の映像を、あらためて観てみました。そして、私にとってのオペラは、やはり泣けて、観終わってから口ずさめるものがいいなあと、実感しました。

『忠臣蔵』から、今年でもう24年になります。かけたお金は実に4億8000万円。作曲家個人が自分で書き、お金集めから制作までを手がけて自主公演したオペラとしては、まだ日本でこれを超えるものはないのではないでしょうか。

私の場合、3時間余りのオペラを1本書くのに、およそ4,000時間はかかります。1年間は24時間×365日=8,760時間。ですが、まるまる使えるわけではありません。寝たり食べたり入浴したり、出張などで東京を離れる時間もあるでしょう。当然、ピアノと五線譜に向かい続けるには体力も必要です。調子の出ない日もあるかもしれません。そうすると、仕事に費やせる時間は5,000時間を切るでしょう。また、書いた楽譜のすべてが使えるわけではありません。書き直しもかなりしますので、実際には4,000時間をオーバーしているはずです。すると、やはり2年から3年はかかってしまうのです。一大事業です。

さらに私の場合、「オペラは趣味です」と割り切って、会う人ごとに言っています。人生を賭けた大きな趣味です。文化のためとか、日本の音楽界のためなどという気はさらさらありません。オペラでは純粋に、自分の好きな題材を納得のいくように書きたいのです。そのために事務所も構えましたし、事務所を維持するにはお金がかかりますから、稼ぐ仕事は別にして、オペラの作曲とは分けて考えています。

俗に“駅弁オペラ”と言って、地方に行くと、その町の伝説や偉人伝を作品化したオペラに出合います。私もそうした作曲の依頼をいただいたこともありましたが、丁重にお断りしてきました。そういう作品は町の予算を使って作られるので、市議会の認可を経た台本がすでに用意されていることが多いのです。歌手や演出家も、その地方の出身の人を使ってほしいと言われます。そういうご要望は当然ですが、私は趣味のオペラには納得のいく台本を作って、キャストとスタッフも自分が「この人だ」と決めた人にお願いしたい。だから、与えられた仕事はしたくないのです。

わがままを言っていることはわかっています。だから自弁でやるのです。ご支援下さる皆さんには、ほんとうに感謝しています。誰から依頼されたわけでもない、自分がやりたくてやるのですから、かかるお金も自分で集めて、手伝ってほしい人たちには自分でお願いするわけです。

『忠臣蔵』には、故・佐藤しのぶさんに出ていただきました。それまで日本のオリジナル・オペラの出演依頼はすべて断っておられたしのぶさんでしたが、ヒロインの一人“綾衣(あやぎぬ)”のキャスティングはしのぶさん以外に考えられなかったので、必死に口説きました。そのため、1年あまりのあいだに12回もお食事をしたほどです。

『忠臣蔵』/写真提供:メイコーポレーション

いま回顧展が行われているデザイナーの故・石岡瑛子さんも、その一人。衣装と舞台美術をお願いしましたが、天才はこだわりが違います。いきなり「白生地を100反、用意してちょうだい」と言われました。衣装を作るのに、生地を染めるところから始める、というのです。時代劇だから貸衣装で済むと思っていた私は驚きました。

また舞台セットも、わざわざカナダで作って船便で運ぶのに4千万円もかかりました。さらに日本に着いてから大きすぎてトラックに載らないことが判明。そのまま運ぶと道交法違反になるため、やむなくいったんバラして劇場に運び、また組み上げました。

そんな作り手のこだわりと歌い手の熱演が詰まった舞台は、いま観てもすばらしいものです。もちろん音楽的にも、われながらほんとうによく書けていると思います。

『忠臣蔵』/写真提供:メイコーポレーション

前にも書きましたが、新しいオペラの題材にと考えているのが、大正時代から昭和の初めにかけて東京の本郷に実在した「本郷菊富士ホテル」です。当時は珍しかった西洋風の長期滞在型ホテルで、欧米でいうアパートメントに近いでしょう。

そこにいた人たちがすごいのです。谷崎潤一郎、菊池寛、竹久夢二、画家の伊藤晴雨、彼らのモデルでありミューズだったお葉、そして社会運動家の大杉栄やその妻の伊藤野枝ら、当時の日本の芸術界、言論界を牽引していた若い才能が集い、さまざまなドラマが生まれていました。まったくばらばらなキャラクターばかりですが、共通しているところがあります。それは、時代の大きな波に決して呑まれることのない反骨精神と、強烈な個性です。自分の信じた表現を貫くためなら、命を賭けてもかまわないという気概を持った人ばかりで、それがいまの閉塞した21世紀の日本からはとてもまぶしく見えるのです。

「こんなに素敵ですごい男や女が、かつての日本にいたんだ」と知ってほしいですし、少なくとも私は、彼ら彼女らが生を謳歌する姿をオペラで観てみたい。

だから今日もピアノと五線譜に向かいます。私も「菊富士ホテル」の住人たちにならって、日々、闘っているのです。

プロフィール

三枝成彰(さえぐさしげあき)

1942年生まれ。東京音楽大学客員教授。東京芸術大学大学院修了。代表作にオペラ「忠臣蔵」「Jr.バタフライ」。2007年、紫綬褒章受章。2008年、日本人初となるプッチーニ国際賞を受賞。2010年、オペラ「忠臣蔵」外伝、男声合唱と管弦楽のための「最後の手紙」を初演。2011年、渡辺晋賞を受賞。2013年、新作オペラ「KAMIKAZE –神風-」を初演。2014年8月、オペラ「Jr.バタフライ」イタリア語版をイタリアのプッチーニ音楽祭にて世界初演。2016年1月、同作品を日本初演。2017年10月、林真理子台本、秋元康演出、千住博美術による新作オペラ「狂おしき真夏の一日」を世界初演した。同年11月、旭日小綬章受章。