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峯田和伸(銀杏BOYZ)のどうたらこうたら

日本におけるパンクシーンの歴史とは?(前編)

毎週連載

第322回

最近、日本におけるパンクシーンの歴史を振り返り、見聞きする機会があってさ。

僕としてはかなり興味深く思ったので、今回はその話をしますね。僕はその黎明期から知っている世代ではないから本当にザックリで、誤解もあるかもしれないけど、僕なりの解釈で日本におけるパンクシーンの歴史を紹介します。

もともと日本にパンクシーンが広まる前夜、あるいは前々夜くらいの日本には、全国の大学生を中心としたいわゆる学生運動があったの。でもさ、大学時代にあれだけ体制に向き合い戦ってきた学生たちの多くは普通にサラリーマンとして就職して、これまでのことを無かったように体制側についてしまった。

そんな中で純粋に体制と向き合い、自分の人生をかけて運動をしていた人たちは取り残されたような、あるいは裏切られたような憤りみたいなものを感じて、散り散りになっていきます。

ある運動家はより過激で非合法な活動を行うようになり、そして、ある運動家は社会と折り合いをつけながら合法的に思想を高めて研究者になったり、弁護士になったり、学生運動の体験を独自の職業に昇華させていった。そして、別の運動家は学生運動の終焉にただただ戸惑い、路頭を迷う格好になったりした人もいたそうです。

そんな中、特に路頭を迷う格好になった人たちの心を再び燃やしたのが欧米からの新しい音楽ムーブメント、パンクだった。

パンクロックはニューヨークのラモーンズが元祖だけど、その音楽スタイルがイギリスに渡り、当時鬱憤が溜まっていた若者の思いを反映させるように昇華させたのがセックス・ピストルズ。イギリスの社会、皇室、体制を揶揄する独特のカルチャーは、やや時差を置いて日本にもやってきて、どこかかつての学生運動ともリンクするところが「路頭を迷っていた」元運動家の人たちをも魅了していきました。

遠藤ミチロウさんも20代は学生運動に明け暮れて、それから世界中の共産国を旅して、日本に帰ってきてスターリンを始めるんだけど、後にこういった日本における先駆的なパンクバンドに影響を受けた人たちが、どんどんバンドを始め、さらには80年代のパンクブーム、バンドブームみたいな現象を巻き起こすことになったのでした。

そのずっとずっと先の、何世代も後の系譜の中に、僕がやっていたGOING STEADYも入っているのかもしれないけど、ただ僕の場合は政治的な思いとか反体制的な思想とかはそう直接的にはありませんでした。

僕がパンクロックに何よりも惹かれたのは「自分でも何かできるんじゃないか」と思わせてくれたところで、ただの山形出身の地味な僕でもさ、「その気になれば何かやれるかもしれない」と思わせてくれたのがパンクロックだったんです。そのパンクの良心みたいなものや方法にそのまんま乗っかって、自分の身の周りで感じたこと、思ったことを歌うことにしたのがGOING STEADYだったというわけです。

日本におけるパンクの解釈やシンパシーは世代によって、あるいは人によって本当に様々なんです。当初の「反体制」的な思いでパンクにシンパシーを覚える人もいれば、セックス・ピストルズが音楽と合わせて打ち出したファッションこそパンクだという人もいる。あるいはさらに後により過激なサウンドで登場したハードコアパンクこそが真のパンクだという人もいる。

この辺は人それぞれ違うんだけど、僕からすると、その全部が正しくてさ。だって僕の中にも、強くはないけど「反体制」的な気持ちがないわけではなく、自分は似合わないから着ないけど「パンクファッションが似合う人ってカッコ良いな」とか思うし、ハードコアパンクの激しいサウンドも大好きだからね。でもさ、やっぱり僕がパンクに究極に刺さったところは「自分でも何かできるんじゃないか」っていうところだったんです。

日本におけるパンクシーンの歴史を振り返り、都合良く、自分なり解釈するとさ、それこそ学生運動の頃の人たちが思い描いた「自分でも世の中を変えられるんじゃないか」っていうところと、僕が衝撃を受けた「自分でも何かできるんじゃないか」と思わせてくれたところは、かなり共通する感じがある。思想とかはいったん置いておいて、その純粋な気持ちだけは、何かやっぱり共通するように思うんだよね。

日本におけるパンクシーンの黎明期、若者たちに「自分でも何かできるんじゃないか」と思わせてくれたのは何もバンドだけじゃなかった。

「私はバンドできないけど、何か自分でやらかしてみたい」という人もいっぱいいて、メディアに出ていないバンドを集めたライブハウスの企画を続ける人、バンドの写真を撮り続ける人、バンドの映画を撮り続ける人、メディアでは取り上げないバンドばかりを紹介するミニコミを作る人、もちろんメジャーのレコード会社では出せないバンドのレコードばかりを出し続けるインディーズレーベルを運営する人とかを続々と生み出したのもまた日本のパンクシーンだった。

誰かがやり方を教え込んだわけではなく、みんな自発的に、「自分でも何かできるんじゃないか」って手探りで始めたものだったんだよね。それが僕にはすごい美しいものに感じるし、すごいカッコ良くて豊かなもののようにも感じるんです。

僕が大好きなブルーハーツは「パンク・ロックが好きだ 中途ハンパな気持ちじゃなくて ああ やさしいから好きなんだ」と歌ったけど、まさにその感じ。パンクは落ちこぼれだろうが、イモみたいな奴にも「何かできるんじゃないか」と思わせてくれる優しさがあったんだと僕なりには解釈しています。

(次週に続く)

でも、僕が最も影響を受けた日本のパンクスって実は江口くん(マネージャー)です。彼は真のリアルパンクスでした

構成・文:松田義人(deco)

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プロフィール

峯田 和伸

1977年、山形県生まれ。銀杏BOYZ・ボーカル/ギター。2003年に銀杏BOYZを結成し、作品リリース、ライブなどを行っていたが、2014年、峯田以外の3名のメンバーがバンド脱退。以降、峯田1人で銀杏BOYZを名乗り、サポートメンバーを従えバンドを続行。俳優としての活動も行い、これまでに数多くの映画、テレビドラマなどに出演している。