峯田和伸(銀杏BOYZ)のどうたらこうたら
日本におけるパンクシーンの歴史とは?(後編)
毎週連載
第323回

前回の続きです。
日本におけるパンクシーンの系譜のイチ世代の中に、僕がやっていたバンド、GOING STEADYも入っていたかもしれないけど、今回はその頃の話をしますね。
当時、僕らは「青春パンク」みたいにメディアに取り上げられることが多くてモンゴル800、ガガガSP、スタンスパンクス、太陽族とかと一緒に紹介することが多かった。でもさ、僕自身はモンゴル800とは一緒に対バンしたことがあるけど、スタンスパンクスや太陽族と対バンしたことがないんだよね、実を言うと。またさ、ガガガSPとは今もずっと仲が良いけど、それ以外のバンドとは交流もほとんどなかったんです。
だから、「青春パンク」って括られても、当事者である僕たちは「他のバンドのことをよく知らない」というのが正直なところで、GOING STEADYのメンバーや関係者の中には「青春パンクと呼ばれることは本意ではない」っていう空気も確かにあったの。
でもさ、何をやっていてもブームとなれば分かりやすく一括りで総称されてしまうのはカルチャー的なものの常でしょ。僕らが「青春パンクのひとつのバンドだ」と言われても、僕自身は「俺らは違う!」と頭にくることは全然なくて。「別に良いじゃん。ライブに観に来てくれたらわかってくれるだろうし」「そうやって『青春パンク』という呼称が入り口になって来てくれるお客さんもいるかもしれないし」と前向きに考えていたかな。
他方で、「青春パンク」と言われていた僕ら以外にも、当時代では本当にカッコ良いパンクバンドがいくつか存在してさ。
インディーズレーベル、Less Than TV界隈のバンドは全部カッコ良くて面白かったし、西荻窪にあったワッツっていうライブハウスに集まるパンクバンドもカッコ良いバンドが多かった。
そして、バンド以外でもさ、ライブハウス界隈で友達になった角張くんという人は「俺はインディーズレーベルをやるわ」と言って、カクバリズムというレーベルを始めてSAKEROCKとかを出したり、また、今も銀杏の写真を撮ってくれている村井香ちゃんもこの頃に出会って写真を始めた女の子だった。
ここもまた日本におけるパンクシーンの創成期的な自然な感じで、バンドを中心にいろんな人たちが「自分でやらかしてみたい」と何かを始めていった感じはあったと思う。もちろんさ、この時代でも人それぞれ考え方や思想は厳密には違ったと思うんだ。でもさ、結局のところ共通するのは「自分でも何かできるんじゃないか」というところで、今振り返ってみてもやっぱりパンクは本当に「優しい」と思う。
今はさ、「自分でも何かできるんじゃないか」ということがネットのプラットフォームにとって変わり、TikToKやYouTubeがその現場という風に言い換えることもできるかもしれない。でもさ、僕がどうしてもそこにシンパシーを感じられないのが、純粋さや切羽詰まった感じがないということ。
何かみんな「数」ばかりを意識していて、悪い意味で器用なところがどうしても「良いな」と思えないところなんだよね。それが「今」ってことなのかもしれないけどさ、やっぱり何でもかんでも可視化できるっていうのはある意味不幸なことだとも思うかな。だってバカになったりがむしゃらになったりできないじゃん。結果がもう数時間後にわかっちゃうわけだからね。これは「自分でやらかしてみたい」っていう純粋な気持ちを削ぐものだと思う。
結果はわからない、でもどうしてもこれがしたい。そして、自分でも何かできるんじゃないだろうか、それを全力で試してみたい……そういう気持ちや行動こそが、僕から見てパンクのあるべき姿。パンクの良心みたいなものは、結果がわからないこそひたむきに挑戦したり、下手クソでもがむしゃらに伝えようとするところにあるんじゃないかと僕は今でも思っています。

構成・文:松田義人(deco)
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プロフィール
峯田 和伸
1977年、山形県生まれ。銀杏BOYZ・ボーカル/ギター。2003年に銀杏BOYZを結成し、作品リリース、ライブなどを行っていたが、2014年、峯田以外の3名のメンバーがバンド脱退。以降、峯田1人で銀杏BOYZを名乗り、サポートメンバーを従えバンドを続行。俳優としての活動も行い、これまでに数多くの映画、テレビドラマなどに出演している。