峯田和伸(銀杏BOYZ)のどうたらこうたら

モンゴル800の清作くんと再会(前編)

毎週連載

第392回

銀杏BOYZの前身バンド、ゴーイング・ステディをやっていた90年代はまだ日本のインディーズブームみたいなものがあって、『インディーズ・マガジン』とか専門誌もいくつか出ていました。

90年代は、映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』の東京ロッカーズが切り開いた「インディーズ」がどんどん派生して、Hi-STANDARDをきっかけにまた一気に広がったもので、僕もハイスタが大好きで、よくライブを観に行っていて。ハイスタのライブビデオにも客として僕が映っているものもあるし、出待ちとかもしていたくらい好きだった。

でも、英語で歌う先輩たちがあまりにカッコ良すぎたからね。僕らが始めたゴーイング・ステディでは「先輩たちには絶対勝てない。なら僕は日本語でやろう。なまっていても良い。それが自分だ」って感じで始めたんです。最初の頃なんて、こんな風に自分がずっと音楽を続けるなんて思ってもなかったし、1回か2回のライブで潰れてもいいやくらいの気持ちもあったからね。

でもさ、僕らと同時期に始めたバンドの中には、同じように日本語の歌詞で歌うバンドも結構いて。後に僕らのような日本語で歌うバンドが「青春パンク」と称されるようにもなっていきました。こう呼ばれることを嫌がるバンドも結構いたらしいけど、でも僕らはまったく気にならなかったな。むしろそうやって呼称してもらうことによって、自分たちの知らないところで、ゴーイング・ステディのお客さんが増えたところも絶対あったと思うしね。あと、そういった周囲の評価とか見られ方を考える余裕なんてまったくなかった、という理由もある。あの頃はライブのこと、バンド内部のこと、曲のことだけで精一杯だったからね。

だから、ゴーイング・ステディと同時期に活動していた他の「青春パンク」と呼ばれたバンドのことも実はほとんど知らなかったんです。仲が良かった唯一のバンドはガガガSPとか、バンドじゃないけど、メガマサヒデくんとかくらいで。

でもさ、ゴーイング・ステディのお客さんが増えて、バンドの規模が大きくなると、いろんなイベントとかにも呼ばれるようになって。その頃に初めて知って「このバンド良いな」と思ったのがモンゴル800だった。

2002年にグリーン・デイの来日ツアーでモンゴル800と一緒になったんだけど、まず曲がすごく良いよね。日本語で、沖縄らしくストレートで。それと話をしてみたらさ、メンバーがすごく良い人たちなんだ。

彼らより僕のほうが3つ年上なんだけどさ、あんまり年の差とかを感じさせない人たちで。特にベースボーカルの清作くんは絶対に他人の悪口は言わないし、「沖縄に来たらまたみんなで遊びましょう」みたいに言ってくれるような、本当に気持ちのいい人だった。

でも、モンゴル800は沖縄じゃん。だから以降もそう頻繁には会えなかったんだけど、実は3月にとあるスタジオで偶然清作くんと再会して。「おぉ!」みたいな感じで話をしてさ。最終的には「そうそう、あのときこうだったよね」みたいな感じで肩を抱き合っちゃったりして。さらに話が盛り上がってさ、その日の夜に、いきなり清作くんと一緒に遊びに行くことになったんだよね(次回に続く)。

※映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』の特集ページが公開中です。こちらからご覧ください!

これが載る頃は銀杏のツアー『夢で逢えないから☆』が始まっています。この話はまた後日!

構成・文:松田義人(deco)

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プロフィール

峯田 和伸

1977年、山形県生まれ。銀杏BOYZ・ボーカル/ギター。2003年に銀杏BOYZを結成し、作品リリース、ライブなどを行っていたが、2014年、峯田以外の3名のメンバーがバンド脱退。以降、峯田1人で銀杏BOYZを名乗り、サポートメンバーを従えバンドを続行。俳優としての活動も行い、これまでに数多くの映画、テレビドラマなどに出演している。