LiLiCoのこの映画、埋もらせちゃダメ!
『ANORA アノーラ』でアカデミー賞を受賞ホヤホヤ! ショーン・ベイカー監督とのスペシャル対談!
月2回連載
第159回
今回は連載特別編として、映画『ANORA アノーラ』のショーン・ベイカー監督とLiLiCoさんのスペシャル対談をお届け!
第77回カンヌ国際映画祭では最高賞となるパルムドールを受賞、そして2025年3月3日(日本時間)に授賞式が行われた第97回アカデミー賞では見事、作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞の最多5部門を受賞した『ANORA アノーラ』。まさに賞レースの堂々たる勝者となった本作のショーン・ベイカー監督が、戴冠ホヤホヤの3月上旬に来日! 本連載でもすでに『アノーラ』を激賞していたLiLiCoさんとの対談が実現しました!
重要になるのはイゴール役の俳優探しだった
LiLiCo アカデミー賞受賞直後にようこそいらっしゃいました。はじめまして!
ショーン・ベイカー監督(以下ベイカー) どうぞよろしくお願いします。
LiLiCo 『ANORA アノーラ』は、私の経験してきたこととの共通点がいくつもあって、心から好きな作品です。あの素晴らしいラストまであっという間過ぎて、2時間19分もあったとは全く感じられませんでした。あいにく日本ではR18+の成人指定ですが、これは私の2025年ナンバーワン映画になります。
ベイカー アメリカでも成人指定なんですよ。観る人が限定されてしまいましたが、それでも良い結果をいただけて本当に嬉しいです。
LiLiCo 絶対獲ると思ってましたよ。このストーリーのアイデアはいったいどこから得たんですか?
ベイカー アイデアが生まれたのはトロス役を演じたカレン・カラグリアンがきっかけです。彼は1990年のソ連崩壊直後にアメリカに移民としてやってきて、『アノーラ』の舞台になっているブライトンビーチに住んでおり、トロス同様にロシア系アメリカ人のコミュニティと深い縁があります。何年も前から彼の話を聞いて、それを映画にできないか模索してきたんですよ。なぜなら彼らのコミュニティ、ブライトンビーチというロケーションは、文化的にも視覚的にもネタが豊富だったからです。
LiLiCo そうだった。彼、監督の作品全部に出てますよね。どの役も似てないせいか、気づかなかった……。
ベイカー そう、私の作品全てに出演しているんですよ。『タンジェリン』(2015)ではタクシー運転手役、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017)ではウィレム・デフォーが演じたモーテル支配人の上司役を演じています。彼は良き友人ですし、この作品が形になるまで非常に長い時間を共にしてきました。

LiLiCo だいたいどれくらいですか?
ベイカー 最初から数えると約15年くらいかな。といっても、セックスワーカーの物語として形になっていったのは『レッド・ロケット』(2021)の頃。だいたい6年くらい前になりますね。
LiLiCo 念願の企画だったんですね。
ベイカー そうそう。初期の作品(『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』(2012)や『タンジェリン』)からずっとセックスワークを取り巻く環境や人々を描くために、実際のセックスワーカーのコミュニティとコネクトし、多くの議論を交わしました。それによって自然に、ごく自然に『アノーラ』への道がひらけたんだと思います。
ただ、物語にはアニーを追い込む何かが必要でした。短絡的に考えると、ロシア系アメリカ人のコミュニティを描いた作品は、ロシアンマフィアを扱ったものがたくさんありますし、非常に簡単にアニーを追い込むことができます。でも、それは使いたくなかったんですよ。そこが『アノーラ』で一番困ったこと。それで思いついたのが、マフィアと結婚していないとして、それと同等の何と結婚するか。それは“お金”。それを思いついた途端に、物語が転がり始め、大まかなプロットができました。
LiLiCo なるほど! そうなると、それに見合う役者探しが次に来ますね。
ベイカー そのとおり。アニー役はもちろんですが、重要となるのはイゴールだということも、プロットを組み立てているときに分かってきました。イゴールの上司にあたるトロスはカレン・カラグリアンにお願いしようと思っていたので、彼の忠実なしもべとなるイゴールにぴったりの役者を探さないといけなかったんです。
『レッド・ロケット』がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されたとき、グランプリを受賞した『コンパートメントNo.6』を観たんですが、そこに出ていたユーリー・ボリソフを観て「あぁ、彼がイゴールだ」とひらめきました。

アニー役のマイキーには「そこまでやるか」と感心
LiLiCo ふたりは先に決まっていたんですね。では、アニーはその後?
ベイカー そうです。脚本を書く前から2人分のキャスティングはできちゃってたんですよ。それで、これは形にしないといけない、と決意したんです。で、その翌年、『スクリーム』(2022)が公開されてすぐに観にいったんですが、そこに映ったマイキー・マディソンを観て、彼女こそアニーだ、と思ったんですね。それですぐに彼女にコンタクトをとってミーティングをし、この作品の大まかな内容を伝えて参加してもらうようにお願いしました。ようやくこの作品が実現に向けて動き出したんです。
ただ、この時点ではスタジオからゴーサインが出ているわけではなかったので、インディペンデント映画。とはいえ、僕はずっとこういったスタイルでやってきたから、とにかく前進させるしかないと思い、リサーチと脚本執筆に1年半くらい没頭しました。

LiLiCo うわー、すごい。1年半で書き上げるなんて。しかもマイキーのような才能を発掘したのは素晴らしい。彼女との最初の対面はどんな感じだったんですか?
ベイカー 彼女はとても興奮していましたね。私は彼女のことをスクリーンでしか知らなかったので、ギャップにちょっと驚いたのを覚えています。『スクリーム』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)で彼女が演じたキャラクターは荒々しく攻撃的でしたが、実際の彼女は全く違うんですよ。非常に柔和でシャイで、すごい勉強家。彼女ならアニーを演じることができるし、きっとそれ以上の特別な何かをもたらしてくれるという期待もありました。
しかも彼女はキャスティングされてすぐに、ロシア語だけでなくニューヨークのブライトンビーチで使われるアクセントのトレーニングをしたい、と言ってきたんです。必要なことはもちろん準備するつもりでしたが、そこまでやるか、と感心しましたね。
LiLiCo アニーはもちろんですが、どのキャラクターも必要不可欠でしたし、見事なハマり役ばかりだったと思います。
ベイカー 僕たちの作品にとってキャスティングは本当に重要で、作品作りで一番重要なパートだと思っています。特にこの作品はアンサンブルによる物語なので、誰が欠けても成立しません。完璧なアンサンブルが必要だったんですね。
LiLiCo ほんとそれが最大の面白さですよね。中でもイゴールはすごいキャラクター。最初こそマフィアの一員でしかなかった彼が、物語が進むにつれてどんどんと大きな役割となっていって、アニーとの特別な関係が芽生え……。すごく面白いし、予想もできないアイデアでした。
ベイカー 最初からにおわせて、彼が特別なキャラクターだってことは観客に悟られたくなかったんですよ。早い段階で手札を見せてしまうことを危惧していたので、編集には最新の注意をはらいました。アニーとイゴールの関係が育まれていくさまを、ゆっくりと建設的に描きたかったんです。
LiLiCo そうですよね。イゴールの表情が最初のうちは全くフォーカスされていなかったのは、そのためですね。とても良かったですよ。
ベイカー しかもユーリー・ボリソフは素晴らしい俳優なので、一貫して繊細な芝居をしてくれました。そのおかげで、ポスプロ時の編集はとても簡単だったんですよ(笑)。
LiLiCo ほんっと彼はすごくよかったですよね。
リサーチに使ったのは日本映画『女囚701号 さそり』
LiLiCo この映画って3本分くらいの映画の要素が詰まってると感じました。最初は美しく、次にコメディのパートがあり、後半は観る者に人生を問うという。それぞれが1本の作品としても成立するほどでした。
特に驚いたのは中盤のコメディパート。日本のプレス試写はいつも静かなんですけど、アニーとトロスたちの大喧嘩で大爆笑が起きたんですよ。これはすごいことだと思いましたし、とても嬉しかったんですよね。
ベイカー そうでしたか。それはありがたい。僕が考えていたのは3つではなく、さまざまなジャンルを織り交ぜて5つくらいのパートがあると思って描いています。ひとつの作品の中でバランスをとるのは難しいことだったんですが、どうしても試してみたかったんですよ。
それは、観客をジェットコースターに乗っているような感覚にしたかったから。最初の5分はアニーの仕事の仕組みやナイトクラブや彼女を取り巻く環境を描いているので、「労働映画」と呼ぶ人もいます。それからイヴァンとの物語が始まり、ふたりの若者の騒々しくエネルギッシュなロマコメ。その後はスリラー風になり、ロードムービーが始まり、そして最後は地に足のついた現実を描く……と、ジャンルが混在するんですね。
でもそれらジャンルはとても様式的なので、映画を見慣れていない人にとっても入り込みやすいはず。ただ、本当にバランスが難しかったですね。

LiLiCo ほんと、5つありますね。企画を通すのが大変そう。
ベイカー そうなんですよ。前作の『レッド・ロケット』よりもお金がかかる、ということはすぐに理解できました(笑)。でも、これまで積み上げてきたキャリアのおかげで、以前よりも自由に制作できるようになりましたから。
LiLiCo 撮影で苦労したシーンはどこになりますか? あのファイトシーン? それともダンスシーン?
ベイカー トロスたちがイヴァンの家に押し入るシーンは、たしかに苦労しました。あれはリアルタイムで展開しなければならなかったので、一連の動作が連続していないと成立しないからです。他のシーンとは全く異なるアプローチだったので大変でしたね。
結果、私たちはあのシーンに8日間費やし、順番に撮影したんですよ。もちろんマイキーやユーリーは自分でスタントもこなしています。受賞はできませんでしたが、英国アカデミー賞のベストスタント賞にノミネートもされましたね。
LiLiCo そうそう。思いきり顔が見えてますものね。すごいことですよ。
ベイカー 撮影は爽快、痛快でしたよ(笑)。モニターで彼らの芝居を観ていたとき、「これはすごいことをやっている!」と感じたほど。
LiLiCo この作品はインディペンデント映画に属すると思いますが、よくぞここまでの挑戦が実現しましたね。
ベイカー 今回のチームのおかげですね。この作品においては、N.Y.での撮影からしてすごいチャレンジだったんですよ。なぜなら、N.Y.での撮影はすっごくコスト高! このような低予算映画ではとてもじゃないけど無理なんです。
でも、ブライトンビーチとコニーアイランドは非常に協力的で、僕らを歓迎してくれたおかげでなんとか完成することができたんです。世界中でインディペンデント映画に携わる人々が同じ課題、特に金銭面での問題を抱えていることは広く知ってもらいたいですね。

LiLiCo ほんと。日本でもそうですし、どの国でもインディペンデントの映画製作は厳しい状況です。が、この作品、そしてあなたのおかげで少し希望が持てましたよ。ぶっちゃけ、脚本を描いているときは、賞を狙ってました?
ベイカー いやいや! それは全然なかったです。だって、この作品は題材があまりにも強烈だし、成人指定になるし、おまけに分裂症気味なくらいに要素が詰まっているから、映画賞の対象にすらならないだろう、と思っていたんですよ。でも、マイキーにはチャンスがあるだろうと思っていました。受賞ができなくてもオスカーノミニーまでいく可能性があるって。
ただ、彼女のような若い未知数の役者が初主演で賞を獲得するのは稀なことです。だから、彼女がオスカーを獲得したときは、僕の近くにいたジョン・リスゴーを驚かせたほど大声で叫んでしまいました(笑)。

Photo:AFLO
LiLiCo (笑)。本当に嬉しい出来事でしたもの。分かりますよ。しかも、あなたはこの作品よりも前から女性について、特に社会から無視されるような弱い立場の女性たちのことをよくリサーチされていますから。
ベイカー 僕が作る作品は様々なテーマがありますが、間違いなくジェンダーについて、特に社会での女性の扱われ方や女性がお金や権力と向き合ったときに軽視されがちなことについて寄り添い、関わっていこうと思っています。そのため、徹底的にリサーチもして、コミュニティとともに連帯し、現実を見ることを続けているんですよ。
LiLiCo ちなみに日本の映画で参考にされたり、気に入っているものはあるんですか?
ベイカー すごくたくさんありますし、僕の人生を変えた作品や監督たちがいます。特に僕が描いているセックスワークのコミュニティに関することは、日本映画ではよく取り上げられていたことですから。鈴木清順監督や今村昌平監督など、セックスワークへの共感的なプローチがされていますよね。
『アノーラ』のリサーチ時には、マイキーに早い段階で『女囚701号 さそり』を観てもらいました。全く違うジャンルの作品なので、『アノーラ』との関連性を見出すのは難しいかもしれませんが、強い女性の主人公という点では共通していますし、非常に参考になりました。
LiLiCo 『…さそり』は何度も映画化されているんですが、どのバージョンを?
ベイカー 1972年の梶芽衣子さんが主演されているものですね。
LiLiCo そっちかー。実は私、1998年のリメイク版『サソリ 女囚701号』に出てるんですよ(笑)。
ベイカー えー!? ちょっと、その話、後で聞かせて!
『ANORA アノーラ』
公開中
公式HP:https://www.anora.jp/
(C)2024 Focus Features LLC. All Rights Reserved. (C)Universal Pictures
構成:よしひろまさみち
撮影:源賀津己
プロフィール
LiLiCo
1970年11月16日、スウェーデン・ストックホルム生まれ。18歳で来日し、芸能界へ。01年からTBS『王様のブランチ』に映画コメンテーターとして出演するほか、女優、ナレーター、エッセイの執筆など幅広く活躍。
夫である純烈の小田井涼平との夫婦生活から、スウェーデンで挙げた結婚式の模様、式のために2カ月で9kgに成功したダイエット術、スウェーデン育ちならではのライフスタイルまで、LiLiCoのすべてを詰め込んだ最新著書『遅咲きも晩婚もHappyに変えて 北欧マインドの暮らし』が講談社より発売中。
