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大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」

一瞬の長い夢

隔週連載

第5回

illustration:せきやよい

ロックミュージシャンの日常が案外つつましやかだなどということは、今時もう皆うっすら気付いていることと思う。たまにメディアでセレブを気取ってみせている方もいるけれどアレは頑張って意地をはっているのだ。お仕事でやっているだけなのだ。多分そうだ。そうなんじゃないのか? 違うのかな?? どうなの……不安になってきたが、筋肉少女帯メジャーデビュー35周年ライブの会場に出かける前、僕ははなまるうどんでぶっかけ温玉(小)を食べた。かき揚げを添えて。

近くのテーブルに髪を赤く染めた量産型ファッションの若い女の子がいて、あらかた食べ終えたうどんの杯を横に、机につっぷして横向いて大口を開けて寝ていた。鼻筋の通った綺麗な子だ。くー、かー、と小さな寝息さえ立てていた。一体どんな色の何の夢を見ているのだろう。「ムニャムニャ」と言った。

記念のライブはラインキューブシブヤで行われた。旧渋谷公会堂だ。1988年に22歳でメジャーデビューして、35年経ってこんな立派なところでお祝いができるなんて、一言で言って夢のようだ。いや本当に『夢なのかもしれない』と思う。

僕は音楽を学んだ経験がほぼ無い。譜面も読めない。そもそも歌が苦手だ。ただ自分という存在を何らかの形で表現してみたいという一心で少年の時代に、ネットの無かった頃だから、人前に出るために便宜的にバンドを組んだのだ。なんとなくベースを持った。でもまったく弾けなくて、バンドをクビになりかけた。「オーケン、君、声なら出るだろ」かわいそうに思ったバンド友達がそう言ってくれて、僕は楽器を弾けなくても出来る唯一のパートとして、ボーカリストになった。

歌い方なんてわからないから、ともかく「ギャー!」とか「キェー!!」だの叫んで、歌も歌えないのに舞台に上がっている申し訳なさからか、顔をポスターカラーとうどん粉で白くぬり、白衣や半裸で「アキョ―!!」と絶叫しながら客席へ突っ込んだり、正露丸をまいたり(注:絶対にマネしないでください!)、模造刀を振り回したりしていたら「あの大槻ってのは歌はアレだがとにかく会場をかき回す。人を呼ぶ」と思ってくれたのだろう。スゴ腕のミュージシャンが周りに集まってきた。で、いろいろあってメジャーデビューして気付いたら一瞬で35年も経って約2千人のお客様の前にいたのだ。

だからやっぱり夢なんだと思う。

こんなミラクルのようなストーリーはちょっとあり得ない。

これは、きっと誰かの見ている夢なのだ。

ドラえもんの幻の最終回みたいなやつだ。どこかで誰かが、ひょんなことから歌手になってしまった男の夢を眠りの中で見ていて、その彼だか彼女だかがフッと目覚めた時、僕の、歌うたいとしての人生はパッと泡がはじけるようにまた一瞬にして消えてなくなるのだ。

この夢を見ているのは一体誰だろう?

はなまるうどんの赤い髪の女の子かもしれないし、どこかで人工呼吸器を当てながら寝たきりの植物状態の少年なのかもわからない。
あるいは、今これを読んでいる読者のアナタかもしれない。

アナタだ。

あんただ!

君だ、君、今スマホでこれ読んでる? ちゃんと読んでる? 起きてる?
本当は寝ているんじゃない? いっつも眠くない? 眠いでしょ? 寝てるんだよ、本当は。

君は今本当は眠っていて、夢を見ている。そして音楽がわからないのに歌手になってしまった男の35年の夢をウトウトと見ているんだ。その夢は何色? どんな色? どんな色でも、もうじき君はフッと目覚める。目覚めて『あ、寝ちゃった、こんなとこで』と思ってはなまるうどんのテーブルでガバッと起きると、白髪のやせた男がとなりのテーブルでぶっかけ温玉(小)を食べているんだよ。

そしてその男は、もう歌手ではないのだ。君の夢から出てしまったからね。

『……あるいはこの会場の中のお客さんの誰かの夢なのかもしれないなぁ』

などと思いながらラインキューブシブヤで僕は歌った。「35年、夢のようだった」とMCでも言った。一瞬の夢だった。でも体はボロボロになってるから、確かに時は経ったんだな~

「もうみんなも体ボロボロだろ?」

とMCでメンバーにふると、ベースの内田君が「いやまだ立ったまま靴下がはけるよ」と返した。

これにはメンバー全員ロックのライブの最中だということを忘れて驚愕した。アラ還の御同輩ならわかってもらえると思う。60近くなってまだ立ったまま靴下がはけるというのはとてつもなくスゴいことだ。奇跡だ。それがもう一番に夢のようなことだ。メンバー一同「スゲェ~」と驚いて、それがこの日の筋肉少女帯ステージ上最大の一体感であったようにも思うのだ。いや、35年でマックスの一体感だったかも。

って何の話だっけ。アッそうだ、夢だ。夢と、そして現実の問題だ。

夢のようなデビュー35周年コンサートを終えて数日後、またはなまるうどんを食べてから、足の骨を折って入院している母の見舞いに病院へ行った。

ロックミュージシャンの日常が他のお仕事の人々とさして変わることが無い面が多いということは、今時もう皆言われなくともわかっていることと思う。どこも一緒で、ちゃんとやっている息子とそうでない息子がいて僕は壊滅的に後者なのである。6月で90歳になった母の面倒はそのほとんどを、亡くなった兄の奥さんがやってくださっていて僕は何もしていない。時々面会に行っても病室がよくわからず、いつも迷って院内をグルグルしてしまう。

「大槻さん、お母さんこの部屋ですよ」
例によって迷っていた僕を看護師さんが手招きしてくれた。

大部屋に入ると水色のカーテンがあって、その中で母は大口を開けて寝ていた。『意外に鼻筋が通っていたんだなぁ』などと思っていると、「ムニャムニャ」と言ってからフッと目覚めた母が「ああ? ああ、賢二かい」と言った。

「ああ、来たのかい。賢二、元気かい?」

「うん……こないだ渋谷でデビュー35周年の記念ライブをやってきたよ」

「ああ……アンタ、本を書きなよ。バンドはつかれるからダメだよ! 本なら、おじいさんになっても書けるから、バンドやめて本に専念するといいよう」

「そうだねぇ」

「あっはっは」

「うん。あ、誕生日の、欲しがってた上からザックリ着るうわっぱり、持ってきたよ」

「あ? そんなこと言ったかい」

「これ。はい、おめでとう」

渡すとKeioの紙袋の中から、ザックリ着るうわっぱりが一枚出てきた。

「ありがとうね。あぁ、よく寝てたよ」

「起こしたかな」

「いいよ、夢を見ていたよ。長い夢だよ」

「夢?」

「賢二が出てきたよ。アンタだよ。アンタの夢を見ていたんだよ」

そう言って母はうわっぱりを広げた。白と黒の入り混じった服だった。

母が「あら、でも意外と地味な色だね」と笑った。

※この連載はエッセイと小説の入り混じったものであり、場合によってはほとんど作者の妄想です

プロフィール

大槻ケンヂ(おおつき けんぢ)
1966年2月6日生まれ。1982年、ロックバンド「筋肉少年少女隊」結成。その後「筋肉少女帯」に改名。インディーズで活動した後、1988年6月21日「筋肉少女帯」でメジャーデビュー。バンド活動と共に、エッセイ、小説、作詞、テレビ、ラジオ、映画等多方面で活躍中。「特撮」、「大槻ケンヂと絶望少女達」、「オケミス」他、多数のユニットや引き語りでもLIVE活動を行っている。

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