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大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」

極楽鳥

隔週連載

第7回

illustration:せきやよい

最高のロックンローラーであるPANTAさんが亡くなった。73歳。闘病中とは聞いていたが、急な訃報を七夕の日の昼に知った。

その日は夕方から川口の方面に車で出かける予定があった。車の中でずっとPANTAさんの歌を聴いた。どの曲も、最高だ。

PANTAさんの歌を知ったのは、中学生の頃だったか。多分「兵頭ゆきのセイヤング」かなんかから流れてきた頭脳警察の「ふざけるんじゃねぇよ」という曲を聴いて、僕は勉強部屋で深夜に一人衝撃に打ち震えてしまった。~ふざけるんじゃねぇよ、動物じゃねぇんだぜ~と、パンクロックの出現より早くパンクな言葉を叫ぶPANTAというボーカリストの迫力に圧倒され恐怖さえ覚えた。

深夜放送等の情報などによれば頭脳警察は学生運動の集会でもよく演奏し、反対セクトからステージに投げ入れられた火炎瓶を投げ返しながらライブを続けたという。

やっぱりコワい人なんだな! そう思ってレンタルレコード屋に頭脳警察のLPを借りに行くと、店番の長髪の兄ちゃんは学ラン姿の僕をチラリと見て、「君が聴くの?」と鼻で笑ったのだった。

「え、ど、どうもスミマセン」
訳もわからず謝ってしまったが、兄ちゃんは頭脳警察を辞めたPANTAが今やっているというPANTA&HALのレコードを教えてくれた。
『マラッカ』『1980X』どちらも大好きになって「マラッカ」「つれなのふりや」「極楽鳥」「ルイーズ」どれだけ聴いたがわからない。どの曲もPANTAがかっこよくて、ショッキングで極上のしびれるロックだった。そして大人の迫力に満ちていて、コワかった。

PANTAさんに初めてお会いしたのはいつだったか。初めて共演したのは東新宿にあった日清パワーステーションだったと思う。

楽屋で緊張しながら僕が
「ルイーズが大好きです」
と言うとPANTAさんはニコ~ッと笑って
「今日その曲やるよ。じゃ大槻出てこいよ」
とこともなげに言った。
「え?」
「一緒に歌おうぜ」
それで出会って間もなくで僕は畏怖すべき大先輩である彼と共演を果たしてしまったのだ。楽屋に戻ると大先輩はニッコニコしながら
「大槻、やったな」
とサムズアップ。なんてかっこいい人なんだ!

PANTAさんに会ったことのある人なら全員言うと思うが、彼は『この人ちょっと大丈夫かなぁ』と思うくらい、やさしくて気さくな人柄であった。

「大槻、前に仙台のイベントに出たろ。あの時にSHOW-YAも出ててさ。そこに筋肉少女帯なんて言うから、俺てっきりSHOW-YAのことを筋肉少女帯だと思ってたんだよ」

なんてことをデビューしたての後輩の肩をポンポンと叩きながら、アッハッハとまず笑ってふわっと懐に包み込んでくれるのだ。~ふざけるんじゃねぇよ~からのこのギャップ萌えである。誰だって大好きになってしまう。そして親しくさせてもらうと、さらに『ちょっとこの人マジ大丈夫かぁ?』との思いが強くなる。

PANTAさんは車のマニアで、ロータス・エランや、一時期はロールス・ロイスに乗っていたのだけど、ある日
「大槻、プロレス観に行こうぜ」
と電話が来てPANTAさんがロールス・ロイスで僕の家まで迎えに来てくれた。
しかし会場へ行くと駐車場がいっぱいだった。

でかいロールス・ロイスが狭い道に入って駐車場を探すのは至難の業だった。どうしよう? 雨まで降ってきた。すると運転席のPANTAさんが
「大槻、待ってろ。探してきてやる」
と叫ぶや、ダッと雨の中、出て行って走り回って駐車場を探し始めたのである。後輩は「え~っ」と思いながら、車番をしているしかなかった。真っ白なロールス・ロイスのなかで。

車、ミリタリー、歴史、PANTAさんはとにかく博識であった。知らないことがない。天才でかつ勉強家なのだ。何せ僕に「新世紀エヴァンゲリオン」について一番詳しく解説してくれたのはPANTAさんだった。

練馬にあったビストロで夜、酒を飲まない彼はカフェオレの入ったマグカップを片手にありとあらゆることを教えてくれた。
「大槻、68年と69年で時代がまったく変わってしまったんだよ」

ただ学生運動に関してはその時代を生きていないのでピンと来ないことが多かった。こちらがもっと勉強して、とにかく熱かったらしいその頃のお話をキチンとうかがえればよかったなと心残りである。

そしてもう一つ僕にはPANTAさんの大好きなところがあった。それはPANTAさんが若いコが大好きなところだ。

いや全然けしてまったくそれはいやらしい意味ではなくて、PANTAさんはとにかく若いコに紳士的にやさしかったのだ。かわいいコを見るとニコニコニコ~!と笑顔になって、その様子を見ているとこちらまでニコニコ朗らかな気持ちになってくるのだ。僕が若い女性のミュージシャンや誰かを
「あ、PANTAさん、こちら〇〇をやっている〇〇ちゃんといって……」
と楽屋などで紹介するとPANTAさんは
「お、おお? そうか、うんうん」
といって僕を差し置いて〇〇ちゃんとニコニコ話しだすのだ。僕はその度に『ああ、先輩孝行ができたな』とちょっとほっこりするのだが、その次にPANTAさんが僕のライブに来てくださった時にはしっかり隣にその〇〇ちゃんがいたりする

「大槻、このあと〇〇ちゃんとメシ行って送るんだけど、おまえも来る?」
え、はい?
「PANTAさんは紳士で送ってくれてパパみたいにいい人」
と、どの〇〇ちゃんも言うだろうか。信頼され尊敬されていたのだ。
やさしくて気さくで博識で若いコが好き。僕は中ではわりと「若いコが好き」の部分に親しみを持っていた。そしてPANTAさんも大槻はそういう視点で自分を面白がっている、と気づいておられたのだろう。最後の10年くらいは先輩の方からよくネタを振ってくださった。

例えば、「夏の魔物」というフェスでお会いした時、遠くからPANTAさんが
「お~い!」
と大きく手を振りながら歩いてきたので、何を言うのかと思ったら
「お~い大槻、アップアップガールズ(仮)と写真撮りたいから大槻来てくれよ」
だって。もちろん行きました。

PANTAさんに最後に会った時もそうだった。去年、PANTAさんのスタッフから「PANTAが大槻さんに会いたがっている」と聞いて、所沢に会いに行った。

病が進行していることは知っていたし、わざわざ会いたいと人づてに言うのだ。よほどこれは容態が悪いのだろうと、人工呼吸器を付けたベッドの上のPANTAさんに会いに行くつもりで覚悟を決めて所沢の駅前に着くと、PANTAさんが自分で車を運転して迎えにきてくれたので驚いた。

PANTAさんはイタリア料理店でフルコースをご馳走してくれた。車、ロック、映画、沢山の話をうかがった。それでも話しが尽きなくて喫茶店に場所を変えてまた沢山の話をした。

「大槻、そして69年、東大安田講堂事件が起こったわけだ。それによって世界は……」
学生運動についてはやはり勉強しておかなくてはな、PANTAさんの話をもっともっと聞くためにはな、と僕は思った。昼に会って、夕方まで語り合った。思い出の所沢デートである。帰りもPANTAさんは車で所沢駅まで送ってくださった。そしてPANTAさんは車を降りた僕に最後にこう言ったのだ。

「大槻、またかわいいコ、紹介してくれよな」

ニヤッと笑ってPANTAさんは去っていった。

僕はその時、もしかしたらPANTAさんと会うのはこれが最後かもしれないと初めて意識した。

あれだけ頭のいい、気遣いをなさる、そして言葉をあやつるロックミュージシャンなのだ。もしかしたらこれがラストになるかもしれないシチュエーションで、去り際の言葉を選ばない訳がない。別れの決め台詞を考えないはずはない。そしてそこにあるだけのユーモアを込めて、別れゆく相手に個別に、さびしくならないよう、ジャストチョイスをしないわけはない。

『あ、PANTAさん……』
僕はしばし所沢の駅前で固まり、いやでも、こんなにお元気なんだものと自分に言い聞かせた。しかし、そうしているうちに一年以上が経って、お会いすることなく今年の七夕の日を迎えてしまった。

「マラッカ」を聴き終わる頃には川口に到着していた。

川口の商店街では七夕祭りがあったようだ。浴衣姿の若い人たちが夜道に膨らんで歩いていた。

コンビニの駐車場に車を停めると、色鮮やかな浴衣の女のコが二人、パタパタッと走り寄ってきた。

驚いていると、その内の髪を染めた女のコがサイドのウインドの前で羽ばたくように大きく手を振り
「きゃ~!」
と笑ってから、ふっと手を止めた。
「あ~間違えた! 迎えじゃなかった。この人パパじゃない。すいません。きゃはははっ」
と笑ってアッという間に走り去って行った。

通りに溢れた南国の鳥の群れのような浴衣姿の群集の中に混じってもうすぐに見えなくなった。

カーステレオでは『マラッカ』の最後の曲である「極楽鳥」が流れていた。

T-REXのマーク・ボランの死を悼んでPANTAさんが作った鎮魂歌である。

極楽鳥、極楽鳥。

その最後の歌を「叫び続ける少女の前で」と、PANTAさんが歌う。

PANTAさんが歌い切った後、長い長い後奏がある。けれど、やはり、その曲は、やがて終わる。どんな曲もやがて終わる。

プロフィール

大槻ケンヂ(おおつき けんぢ)
1966年2月6日生まれ。1982年、ロックバンド「筋肉少年少女隊」結成。その後「筋肉少女帯」に改名。インディーズで活動した後、1988年6月21日「筋肉少女帯」でメジャーデビュー。バンド活動と共に、エッセイ、小説、作詞、テレビ、ラジオ、映画等多方面で活躍中。「特撮」、「大槻ケンヂと絶望少女達」、「オケミス」他、多数のユニットや引き語りでもLIVE活動を行っている。

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