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大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」

天気がいいとかわるいとか

隔週連載

第10回

illustration:せきやよい

たまに街で「あ、大槻さん」と声をかけられることがある。概ね皆さん好意的で「応援しています」などと言ってくださる。たまに、前にも書いたが「大槻さんは現代のソクラテスです」などと言い出す人もいて驚かされることもある。

逆に……と言うか、いつだったか「ファンです。本読んでます」と男性に声をかけられたので「ありがとう。音楽の方もよろしくです。ニューアルバムも出て……」と返したところ、「いいえ、聴きません!」とキレ気味にかぶせられて戸惑ったこともあった。

「え」

「聴きません! 僕は現代音楽しか聴かないんです」

そう言って“ファン”の方は背を向けて去っていった。

人と人との距離感とは複雑なものだなぁ、と思った商店街の午後であった。

距離感ということでいえば春先に近所の公園でファンだという方に声をかけられた。そして「大槻さん、〇〇です」と名乗ってくださったのだが、ちょっとわからない。

「え? 〇〇さん」

「メールをいつも送っている〇〇です」

僕はSNSのnoteをやっている。そちらのほうにどういうシステムかわからないのだけど、よく読者の方々からメールが届くのである。だから恐らくその内のお一方なのだろうと思ったのだけど、皆さん仮名だし、声をかけてくれた方もさらにマスクをしていた。

「〇〇ですよ、大槻さん」

「え? あ、はぁ」

「大槻さん」

「はい」

「LINE交換しませんか」

え、その距離感なんだ、と若干たじろいだものである。なるほど毎日メールを送っていたりしたら、よほど近しい仲になっていてると思う場合もあるのかもしれないなぁ。

「大槻さん、さっき喫茶店にいる写真をnoteに上げてこれから散歩するって書いてたでしょ。それなら近くのこの公園だと思って来たんですよ。LINE交換しませんか」

いや~ちょっとそれはあの~、とモゴモゴ言って僕は去って行った。すいません。

つい先日も駅で声をかけられた。僕と同世代であろうか。落ち着いた感じの女性が微笑みながら「大槻さんですよね。今日『バンやろフェス』に行きます。とても楽しみにしています」と言って頭を下げた。

被っていた帽子に90年代バンドブーム頃のバンドのバッチが付いていた。

『バンやろフェス』とは、その日の夜に羽田で行われたロックライブのことだ。『バンドやろうぜ -ROCK FESTIVAL-』筋肉少女帯、岸谷香さん、JUN SKY WALKER(S)が出演した。90年代のバンドブームを振り返り、明日への活力をみなぎらせようという主旨のフェスだ。

「ありがとうございます。あ、その、バッチのバンドいいですね」

「えっ、あ、筋肉少女帯も好きですよ。俺にカレーを食わせろの歌とか昔よく聞いてました」

「うれしいです。今日はよろしくです」

「はい、ワクワクしています! がんばってください」

また健気に一礼して女性は去って行った。ほどよい距離感の挨拶だなと感じた。

しかし……あれ、今の人? え? もしや……

今から37年前。筋肉少女帯がデビューする2年前。二十歳だった僕はちょっと変わったお店へ連れて行かれたことがあった。当時若者だった僕にいろんな“業界の大人”の人たちが声をかけてくれて、メシを食わせてくれたり、野望みたいな話を説明してくれたり、いろいろありがたくも怪しかったのだけれど、中に「大槻くん、いい店連れてってあげるよ。経験も必要だろ」と言って、夜の歌舞伎町だかの明らかに怪しい店に誘う人があったのだ。

連れていかれたお店は当時でもさびれた雑居ビルの低層階にあった。髪の薄くなった従業員のおじさんが僕みたいな若造にいきなり「お世話になっております」と深々と頭を下げた。初めて入った店なのに。

「お世話になっております。当店は『夢のお客様お気に入り御指名コース』が可能となっております。これより数人もの見日麗しい女のコたちが一人ひとり御挨拶に参ります。その中よりお客様の最もお気に召しました女のコとお遊びいただけるという夢極楽のシステムなのでございます。さっ、どうぞ。さっ、こちらへ」

廊下をはさんで右と左に部屋があった。業界の人は左の部屋へ、僕は右の部屋に誘導された。どんな部屋だったかは覚えていないが、ひとりがけのソファに座って『どうなるんだこれ』と怯えていると、やがてひとりの女性が無言で入ってきた。今や何と表してもルッキズムということになってしまうと思うが、大柄でとても痩せていて、70年代の戦争映画でゲリラで出てきてすぐに撃たれる人のような……といった雰囲気を僕は感じた。

その方が、ソファに座っていた僕の上にドカッと跨ってきたので本当にビックリした。距離感などまるでない。

いきなり跨ってきて彼女は無言であった。なんの感情も読みとれない顔付きで、僕の左上方40度を向いて、無言でいた。

途方にくれていると一分くらいして彼女はまた無言で立ち上がり、部屋を出て行った。入れ違いでさっきの従業員のおじさんがはいってきて「いかがですか」と、うやうやしく尋ねてくる。

「え、いや、あの」

言葉に詰まっているとおじさんはくしゃぁっと顔をゆがめて残念そうな表情となった。でもすぐに笑顔に戻って「じゃあ次のコを」と言って消えた。

また入れ違いに、今度は僕と同じ歳くらいの、長い黒髪の女のコが入ってきた。ミニスカートを穿いていたのに、どかっと跨ってきた。そして彼女もまた無言であった。

何と表しても性搾取とわかる令和の今だけれども、まだ昭和だったその夜、僕は『これが恋の始まりだったらどうしよう』とウッカリ思ったものだ。

綺麗な、端正な顔立ちをしていた。ふっと甘いバニラの香りがした。ほぼゼロの距離感に彼女がいた。まつ毛がキラキラと長かった。そして彼女は明らかに自分の今いる環境を憎み切っているといった目をしていた。その瞳は僕の右上45度を向いて静止していた。

10秒、20秒とまったく動かぬ彼女をヒザに乗せたまま、緊張に耐えられなくなった僕は、オズオズとひと言彼女に言ったのだ。

「あの……、こんなときなにを喋ったらいいのでしょう」

すると彼女は、この世を憎み切った目付きのまま、ゆっくりと初めて僕の方を向いて、言ったのだ。

「天気がいいとかわるいとか」

吐き捨てるようにそう言った。彼女は再び右上方45度を見上げた。そしてもう二度と口を開くことはなかった。

またおじさんが来て彼女は部屋を出て行った。おじさんは「以上です。いかがでしたか?」と尋ねた。僕はもうこの時点で相当ビビっていたので「いや、ちょっと僕はもういいです」ブンブン首を振って帰りたい意思を示した。『あ、でも2番目の人が……』と言ってみようかとも一瞬思ったが、おじさんは意外にも「そうですか。わかりました」とアッサリ受け入れた。

「どのコもお気に召しませんでしたか。わかりました。ではこのビルの最上階に系列店がございます。そちらなら必ずいいコがいると思います。ご案内します」

へっ? 何? どゆこと? 戸惑っているとおじさんに結構な力で背を押された。一度店の外へ出され、エレベーターにポンッ!とひとりだけ乗せられた。背後でおじさんが大声を上げた。

「いーってらっしゃーい!」

振り返るとおじさんの勝利したかのような満面の笑顔が一瞬見えた。ドアが閉まった。すぐに最上階へ着いた。ドアが開くと僕を連れてきてくれた人が、なにやら最上階の店の従業員とエラく揉めているところだった。

「話違うだろ」

「説明したでしょがああっ」

いよいよ本格的にやばい!と思って僕はエレベーターを飛び出し、非常階段を駆け下りて、夜の街に飛び出した。そのまま当時自分の住んでいた街まで何キロも走って帰った。最初はダッシュだったが、すぐに息が切れて速度が落ち、マラソンをしているようになった。ハッ、ハッ、と呼吸は一定のリズムを取り出していた。そのリズムに乗せて僕は無意識に繰り返していた。夏の夜だった。

「天気がいいとかわるいとか、天気がいいとかわるいとか」

……それから37年の時が経った。

バンやろフェスの最後は出演バンドがみんな揃って、ジュンスカの演奏で彼らの89年の第ヒット曲「歩いていこう」を歌った。

「ウォーウォーウォー 歩いていこう ウォーウォーウォー これからもずっと」

若い頃の歌を今歌うと、昔とは違った意味がわかってくるような気がする。

「歩いていこう 前が見えるように」

これはきっと人生との距離感を歌った歌だ。つかずはなれず、テンポ正しく一日一日を歩いてさえすれば、意外に、なんとかなるものだ。そんなことをザックリ歌っているのじゃないかなぁと僕は羽田で歌いながら思った。

天気がいいとかわるいとか、生きているといろいろあるけれど、もしも、はるか昔にゼロ距離で出会った人と、今日、ほどよい距離ですれ違うような挨拶が出来て、彼女の瞳にこの世界を憎む色の微塵ももう見て取れなかったというならば、晴れの日も雨の日も、実は概ねどんな日も結構いい天気だったんだと思える今はある。

※この連載はエッセイと小説の入り混じったものであり、場合によってはほとんど作者の妄想です

プロフィール

大槻ケンヂ(おおつき けんぢ)
1966年2月6日生まれ。1982年、ロックバンド「筋肉少年少女隊」結成。その後「筋肉少女帯」に改名。インディーズで活動した後、1988年6月21日「筋肉少女帯」でメジャーデビュー。バンド活動と共に、エッセイ、小説、作詞、テレビ、ラジオ、映画等多方面で活躍中。「特撮」、「大槻ケンヂと絶望少女達」、「オケミス」他、多数のユニットや引き語りでもLIVE活動を行っている。

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