大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」
アジャスタジアジャパー
隔週連載
第19回
illustration:せきやよい
脳ドッグに行こうと思っている。
聞き間違いが最近あまりにひどいからだ。聞き間違いというより言葉の認識能力が落ちている気がするのだ。耳鼻科にも行くけれど、もう脳を調べてもらったほうがいい。
先日もトークイベントか筋肉少女帯のライブの時(記憶力も歴然と落ちている)に、誰か(思い出せない)のオススメ映画が「今なら鎌倉で観れる」とステージ上で聞いて「へぇ鎌倉で」湘南に良い名画座でもあるんだね、と思ったら「アマプラで観れる」なのであった。もちろんオススメの映画が何だったのか思い出す事はできない。
正月明けに会ったスタッフがやおら「桑名プリキュアがバブってNo.1!」と言ったのにも非常に困惑した。
桑名正博さんなら知っているが桑名プリキュアさんなる人(?)は存じ上げないし桑名正博ならバブってNo.1ではなくてセクシャルバイオレットNo.1だろう。
「え? ちょっと何言ってるのかわからない」
思わず聞き返すとスタッフが律儀にもう一回いい直してくれた。
「ちくわプリッツがバズってますね!」
ちくわにプリッツを入れて食べるとおいしいと言う話を綾小路翔さんのラジオでしたところ、聞きつけたグリコがプリッツを100箱送ってくださった。それをXでポストしたらば、この、ちくわプリッツ、が我がSNSで最大にバズったのであった。
「顔にヒビをいれた人」から「ちくわプリッツの発案者」へ。華麗なる人生アセンションを迎えた記念すべきオーケンの2024年新春なわけだが、よりによってバズり元の用語がもう聞き取れないというね。
「あ、ちくわプリッツ?」
「そうですよ。ちくわプリッツ。ところで大槻さん、今日はドレスコードの島装束で9階の会議室ですやら」
「…え? 打ち合わせにドレスコードがあるの? 島装束って、どこの島? バンドTシャツで来ちゃったんですけど。てか、で、ですやら?」
「…本日はドレスコーズの志磨遼平さんが9階の会議室に来てくれていますから」
スタッフの滑舌の悪さも多分にあるとは思うものの、もはや「ひとり空耳アワー」と呼んでもいいほどの聞き間違いが連日続いているのである。パン! 茶! 宿直!! 言わずもがな志磨さんは島装束ではなかった。
打ち合わせの行われた日の数日前、正月に、車を運転しながらタブレット純さんのラジオをタイムフリーで聞いていたらザ・テンプターズの「お母さん」が流れてきた。ショーケンが「オーママママー」と歌っている。
「オーママママー 母さんがくれた畳ふところにしまって〜」
畳? 畳?? お母さん畳を息子にくれるんだ。ふところに入るサイズに切って? 何その風習。あったんだ昔はそういうの。しかしそれ固いし重いしゴワゴワすんじゃね? 母さんも迷惑なことすんなぁ。
と思いながら、今年91歳になる母が入居しているホームに車を乗り付けた。
ホームに入り母の部屋をノックすると返事がない。ちょっと待ってから扉を開けるとベッドに寝ていた母が頭を少しだけ起こして「えー、誰が来たんだい」と言う驚いた顔をした。
僕が部屋へ入ると母は上体を起こし「あっ」と何かに気づいた顔になる。そしてややあってから「お〜賢二かい」とここでやっと不意な来訪者が息子であることに気がついて「あはは、よく来たね」と笑顔を見せるのだ。
一応行くことを伝えたと思うのだけど、母は毎回この「えー」から「よく来たね」の件を必ずやる。なんだか親子で毎回寝起きドッキリをしているようで一体どのタイミングで「ドッキリ成功」のプラカードを掲げたものか考えてしまう。もしかしたらそれが母の歓迎のリアクションなのかもしれないとも思う。大槻家で母だけは昔から陽キャであった。
「お〜よく来たね。おめでとう。お茶飲みな。冷蔵庫にあるよ」
「あぁ、うん、どう、調子?」
「元気だよ、変わんないよ」
「よかった。正月、家には戻らなかったんだね」
「帰ったって何もないからここでいいよ。もう、ここでいいんだよ」
「そう。うん……あ、そういえば、うちでやっていたアパートがあったよね。あれ、どうしてんの」
「どうしてんのって、あれは賢二への形見だからね」
何をしゃべったらいいものだかわからずなんとなく口にしたアパートという言葉から予想もせず形見と言うワードが出たので息子は戸惑った。
「私にもしものことがあったらあんたがあのアパートを引き継ぐんだよ」
ああ、それ、と僕は思った。
アパートは父が生前に建てたものだ。わが父は母曰く「石橋を叩いても渡らない」堅実な人物で、金に明るく真面目だった。たまに街中で父とバッタリ会うとそのたびに「いいか賢二、アルバムは年2枚作れ。その方が税金上いいんだ」と言うのであった。そして「いいか賢二、アパートを経営しろ、1番堅実な生き方とはアパートを経営することだ」と言って、実際自分でもアパートを経営していた。
よりにもよってパンクロックを生業とている息子に、アパート経営を薦める父親の意見というのを僕は「まるで子供をわかっちゃいない」と若い頃はガンとして耳に入れないできた。
でも、父も死に、母も老い、アパートはまだある。確かに母にもしものことがあらば、兄も死んでいるから、アパートは僕のものになるということになるのだろう。あれだけ聞かないことにしていたアパート経営者としての自分というものが、うっすらとだが見えてきたわけで、それは、鍵束を持ってアパートの火の元を見て回ったりする昭和の漫画のキャラのような、今時そんなおじさんいないよ、という古ボケたイメージでしかないのだが、どうだろう、ひとつだけわかる事は、アッという間に時は経ち時は過ぎるということだ。そして過ぎてしまうと、それだけは有り得ないだろうと思っていたような未来に、意外にアッサリと自分がアセンション〜次元上昇してしまうというリアルだ。あとどのくらいで?
「賢二、大丈夫だよ。私は百歳超えても生きますから。あはは。まだあげませんから。ほら、お茶飲みな、冷蔵庫にあるよ」
帰りにカーラジオをつけると、能登の地震と羽田の事故のことで外の世界は大混乱になっていた。ラジオを消した。鼻歌を歌ってみた。
「オーママママ〜オーママママ〜」
母さんがくれた……と歌ってそこで「あ、形見だ。畳じゃない」と空耳に気がつく。
コンビニの駐車場に車を置いて、とてもお腹が冷えていたので、あったかいお茶を買った。お金を支払う時、若い女の店員が僕に問いかけてきた。
「苦労いりますか?」
「え?」
「苦労入れますか?」
「あぁ……あぁ……とりあえず、母にはもういらないし入れることもしないでください。こんなバカ息子が迷惑ばかりかけてきたので。そして僕には……どうしようかなぁ……もらいたくはないかなぁ」
そう心でつぶやいたのに、バイトと思われる若い金髪姫カットの彼女は、たった1本の麦茶のペットボトルを、コンビニ袋に「はい」と言って入れてしまったのであった。
「袋いりますか?」を「苦労いりますか?」「苦労入れますか?」と僕が空耳したのであろう。
でも、そうか、苦労、もうちょっといるのか、だろうな、なるほど、入れられるのか、苦労、ですよね。まだまだ。
やがてでも確実に速やかに時が経ち時は過ぎ、鍵束を持って火の元を見て回るアパートの管理人さんのおじいさんとなるその日まで、そうなった後でさえ、歌を歌い、ものを書き、転んで滑って。七転び八起きの2024年も正月が早くも終わった。
来月、2月6日で僕は58歳になる。予想もしなかったアセンションにまた近づくとはいえ、きっとアレだ、まだまだ始まってもいねぇよってやつなのだ。そう思っているとバイトの娘が早口でぶっきらぼうに言った。
「アジャスタジアジャパ〜」
空耳だ。またしても聞き間違いだろう。彼女は「ありがとうございました〜」と言ったのかもしれない。「アンタの明日はどっちだ~?」と聞いたのかもしれない。でも、まぁ、どっちにしたって聞き取れなんかしないのだ。
※この連載はエッセイと小説の入り混じったものであり、場合によってはほとんど作者の妄想です
プロフィール
大槻ケンヂ(おおつき けんぢ)
1966年2月6日生まれ。1982年、ロックバンド「筋肉少年少女隊」結成。その後「筋肉少女帯」に改名。インディーズで活動した後、1988年6月21日「筋肉少女帯」でメジャーデビュー。バンド活動と共に、エッセイ、小説、作詞、テレビ、ラジオ、映画等多方面で活躍中。「特撮」、「大槻ケンヂと絶望少女達」、「オケミス」他、多数のユニットや引き語りでもLIVE活動を行っている。