大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」
長い長いツアー
隔週連載
第22回
illustration:せきやよい
本連載が好評ということで、『ぴあ』さんにトークイベントを開催させてもらった。
「のほほん学校」と題して3月1日に渋谷のduoで行われた。
ゲストは漫画家のみうらじゅんさんとPOLYSICSのハヤシヒロユキさん。みうらさんとハヤシ君だもの、それはもちろんゲラゲラ爆笑大会になったに決まっている。
みうらさんは安齋肇さんと一緒に鳴門のうず潮を見に行った時、観光船に乗り合わせた修学旅行生の一団に「ビートルズさんですよね?」と言って囲まれたという話を聞かせてくれた。長髪髭の両氏を後期ビートルズさんの一体誰と間違えたものかは不明だが、みうら&安齋両氏は「若者の夢を壊してはいけない」ので、「イエス」と答え、サインにまで応じた。そして引率の先生が「ちょっとビートルズさん忙しいからみんなもう散ってぇ」と命じるまでビートルズさんに成り切ったのだそうだ。
ハヤシ君はトレードマークの黒ブチ眼鏡が実はダテであることをカムアウトしてくれた。数年前にレーシックの手術を受けてよく目が見えるようになったものの、“ポリのハヤシ”と言えば“眼鏡をかけたギタリスト”のイメージが強いからと、以降ダテ眼鏡をかけているのだそうだ。
これにはいささかショックを受けた。なんだか今までハヤシ君に眼鏡ひとつですべて騙されてきたかの気持ちになった。
「なんだよ~ハヤシ君仲本工事かよ!」と思わず声を荒げてしまった。
大橋巨泉かよ~、ガチ眼鏡じゃないのかよ! 君、ケント・デリカットちゃうんかい!?
ちゃうだろうけれども、僕のみならずハヤシ君の眼鏡カムアウトには「騙された!」感を抱いた人は多いらしい。
ある日のライブ前、ハヤシ君がBRAHMANのTOSHI-LOWさんと御飯を食べている時に、ふとレーシックの話をしたところ、やおらTOSHI-LOW氏がバンッとテーブルに箸を置き、「おい、それ、マジか……」と絶句したうえに、ライブでは客席に飛び込み客たちに抱え上げられた体勢で「おいみんな~ハヤシの眼鏡はダテだぜぇ!」とわざわざマイクアピールを始めたとのことである。そこまでするのもどうかとは思うがBRAHMANの気持ちもわかる。
そんな話題でトークライブは楽しく進行したわけである。まったくみうらさんハヤシさんには感謝しかない。でも意外に、このイベントまでふたりはほとんど面識がなかったそうだ。僕がふたりを紹介する形となった。
そこでみうらさんに僕とハヤシ君の出会いについて説明した。
……もう25年くらい前だろうか。バンド連中で東中野の飲み屋で飲んでいたところ、その中のひとりのギタリストが「おい大槻、この辺でお前のファンの若いやつがバイトやってんだよ。そいつもギタリストなんだ。スゲーいいギター弾くよ。連れてくるよ」と突然言い出して、本当にひとりの、黒ブチ眼鏡をかけた若者をすぐに連れてきた。
「こいつハヤシっつーんだよ」そう言ったギタリストの口調を当時の彼のままにみうらじゅんさんに向けて言うと、間の席にいたハヤシ君が「あ~、ベラちゃんね」と言ってアハハと笑った。
……ベラちゃん~ベラというのは、その時にひとっ走りしてハヤシ君を連れてきたギタリストのアダ名だ。僕とは同じ歳で、一時は一緒に電車というバンドをやっていた。晩年は戸川純さんのバンドでギターを弾いていた。
ベラは5年前の2月の末頃に突然死してこの世からいなくなってしまった。
大酒飲みの愉快な男で、亡くなる直前だったか、それこそ渋谷のduoに僕のライブを観に来て、楽屋で大酒を飲んで誰よりも楽しそうに笑っていた。
「お大槻い、今日、ニャンコもduoに来てるな。あいつ絶対来てるよ、いるよ、今ここに、うひっ」
ベロベロに酔っぱらってひとり楽しそうにしていた。周りの旧知のバンドマンたちは「あぁ、またベラが酔っぱらっているやつね」と適当に相槌を打って合わせていた。
「ニャンコ」とは、その時より数年前に急に死んでしまった僕らのバンド仲間のことであった。
「大槻、来てるぜ、ニャンコ、今日ここに、俺らに会いに、わかるだろう、うひっ」
ベラは大酒飲みで酔っぱらったままステージに登場してそれで弾けるならいいけど弾けない時もたまにある困った男だった。でもとても友達思いのいいやつなのでみんなベラが好きだった。
5年前の昼間に突然ベラの訃報を知った時、自宅にいた僕は「……そうだ車を路上に停めっぱなしだった。駐車場にいれなきゃ」と真っ先に思った。
それで車を駐車場に入れたのだが、その時に隣の車と接触したような気がした。車を降りて隣の車を見たけれど傷はなかった。でも僕は、駐車場を飛び出てちょうど近くを歩いていた二人組の警官に「すみません今駐車場で隣の車に接触したかもしれません」と叫んだのだ。
警官ふたりは顔を見合わせた。その内のひとりが「どこでですか?」と僕に尋ねた。
「あそこです」と僕は指差した。
「あそこ? あの駐車場のアレ?」
「そうです」
「……ん? なんともなってないですよね」
「傷はありませんよ」
「どちらの車にも?」
「はい」
「ん……、じゃあ、事故はなかったんじゃないですか」
「え……」
そこで僕は初めて、自分がひどく気が動転しているのだと気付いたのだ。
「そうですよね。す、すみません」
「いえ、何かあったら交番に来てください。大丈夫ですね」
「……はい、はい」
翌日だったか、ベラの通夜に行った。
お坊さんの読経が終わって葬儀の進行役の人が「では最後にお顔を見てあげていってください」と参列者たちに言った。
誰も棺になかなか近付かなかったけれど、ひとり、ふたりとやがてベラの遺体と別れのあいさつを始めた。
性の区別とかそんなんじゃないのだけれど、あの時客観的に見て、男はみんなダメだった。
ベラの眠っているような顔を見た瞬間にワーッと叫んで泣きくずれてしまうやつが多かった。もう身を震わせてしゃがみ込んでしまうのもいた。そばにいた女性がそれをガッシと支えていたりした。
僕はたまたまタイミングで、カワケンというミュージシャンの男とベラの遺体をのぞきこむ形になった。
カワケンは、ベラとハヤシ君とポンプさんと僕とでツアーに回った事もあるキーボーディストだ。とにかく明るくてにぎやかなやつで旅先でいつもベラと酒飲んでベロベロだった。
よりにもよってカワケンとオーケンで最後の別れに顔のぞきこまれているだなんて『こんなツーショットにはベラも笑っちまうだろうな』と僕は思った。でも激情型の性格のカワケンがワーッと泣き出して「ベラ、悲しいよぉっ、悲しいよぉっ」と、不意の友人の他界に対してそれ以上それ以外の表現が現世に果たしてあっただろうかという素直な思いを叫び出したので、もうとにかく、どうしたもんだかわからなくなってしまった。悲しいよぉっ、か。そうだよな。
棺のそばにはベラ愛用のギターが立てかけてあった。
ベラと初めて会ったのは何十年も昔、「中高生バンド合戦」の会場だった。
当時の筋肉少女帯のギタリストが本番になってチューニングがまるで合わなくなった。どうしようもうダメだ、とメンバー一同ステージ上で慌てふためいていた時に、突然「おい、俺のを使えよ」と言って、客席にいた、自分もマイムマイムダンサーズという出場バンドのひとりだった少年がスックと立ち上がって、自分のギターのネックを持ってバッと僕らに差し出したのだ。
ニヤッと笑って。ベラというニックネームの高校生だった。その少年はその時、今で言うところのジョジョ立ちをしていた。
「俺そんなカッコいいことしてねぇよ」
と、ベラは僕がその思い出話をする度にゲラゲラ笑って否定した。
あまり昔のことで僕も「そうかなぁ」と言ったものだけど、でも、何かあればそういうことをしてくれるやつだった。豪快で、でっかいことばかり言って、だけど、人一倍繊細で、気が小さくて、だから結果、人にやさしくなるのだ。
「あ~、ベラちゃんね。アハハ」
と先日の渋谷duoの「のほほん学校」でハヤシ君が懐かしそうに笑った時『ああ、ハヤシ君はベラのことに心の整理がもうついたのだなぁ』と思って僕はけっこうホッとした。
5年前にベラが亡くなった直後、ハヤシ君を招いてトークイベントを行ったことがあった。その時に楽屋で「ベラの話もできるね」というと、ハヤシ君は目を伏せて「それは今日はちょっと」と言って黙ってしまったのだ。
『ああそうか、ベラのことは彼の内でまだまったく整ってはいないのだな』と僕は悪いことを言ってしまった気持ちになった。
それから5年してハヤシ君のほうから「ベラちゃん」という名前が出たのだ。
5年というのは長いのか短いのか、昔のことなのか今のことなのか、わからないけれど、“ベラの置き所”が心の内に見つかってよかったなと、ゲラゲラバカ話大会の真っ最中だというのに、僕は瞬間、なんだろう、晴れやか……違うか、だからやっぱり、ホッとした気持ちになったのだ。
5年の間に僕もベラについては心の内の置き所が決まってきて『アイツは、長いツアーに出ていて最近会っていないだけだ』ということになっている。
そう思っているというか、そうなんである。
やつは長い長いツアーに出ていて、今いないだけなんである。
だからある時、ツアーから帰ってきたやつに町中や渋谷のduoの楽屋なんかでひょっこり会うことがあったりしても、僕はまったく驚かない自信がある。
腰なんか抜かさない「おっ、久しぶりじゃん」と言って、その後に言うことも決まっている。
「おっ、ベラ、久しぶりじゃん、ツアーか、おつかれ。またライブやろう。LOFTでもおさえるよ。曲、何やる?」
「そうだなぁ、なんでもいいんじゃねぇか」
「だよなぁ、なんでもいいよな。なんでもいいし、ライブ前に酒飲んでもいいぞ、全然」
「うひっ! 飲みてぇな。オーちゃんも飲むか?」
「俺は最近さっぱり飲めなくなったけど、ベラとなら飲むよ。飲んで、お前に管を巻きたいよ。死んだことはもういい。それは仕方ない。長い長いツアーに出ているだけだと思うことにしている。俺もいずれバンド連中にそう思ってもらう日が来るんだろう。だからそれはもういい。俺が管を巻くのはお前と会った最初の日のことだ。そうだあのギターの件だ。お前は『俺はそんなことしてねぇ』と言うけれど、あの時、颯爽と現れて自分のギターを差し出したのは絶対にお前だ。間違いない。お前だ。だってお前はそういう男だ。もうそういうことにしておけ。なぜかって? あのな、そういう男が仲間にいたことを俺は人生の誇りにしておきたいんだ。誇り高く今とこれからを生きていくためにあの思い出は事実だったと俺は今ここにしっかり書き留めておくからな。いいな、わかったな」
「よくわかんねぇけど、オーちゃんがそう言うんなら、別に俺はそれでいいよ」
と彼はきっと言ってくれるだろう。
そして「うひっ」といつものようにしゃくり上げるように笑うだろう。
渋谷duoの「のほほん学校」では最後にみうらさんとハヤシ君と僕で「夢の中へ」を歌った。終演。帰り際にみうらさんは「大槻くん、また会おうよ」と言った。
みうらさんと僕は毎年、高円寺で2DAYSのイベントを行っている。
1日目がみうらさん司会で2日目は僕が司会だ。だから同じイベントをやりながらお互い会う機会が滅多にない。でもいつか、もし最終回がある時は「その時は一緒にやろう」とみうらさんは前から提案してくれているのだ。
「大槻くん、最終回は、一緒にやろうね」
そう言ってみうらさんは去っていった。そんな約束もあるので、ベラ、僕はまだまだ君みたいに長い長いツアーに出るわけにはいかないんだ。
※この連載はエッセイと小説の入り混じったものであり、場合によってはほとんど作者の妄想です
※次回の公開は3月27日(水)予定です
プロフィール
大槻ケンヂ(おおつき けんぢ)
1966年2月6日生まれ。1982年、ロックバンド「筋肉少年少女隊」結成。その後「筋肉少女帯」に改名。インディーズで活動した後、1988年6月21日「筋肉少女帯」でメジャーデビュー。バンド活動と共に、エッセイ、小説、作詞、テレビ、ラジオ、映画等多方面で活躍中。「特撮」、「大槻ケンヂと絶望少女達」、「オケミス」他、多数のユニットや引き語りでもLIVE活動を行っている。