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兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第一話:社会人になった日にピーター・フックを観た(前編)

月2回連載

第1回

illustration:ハロルド作石

昔話を始めたらおしまい。

それは、自分が現役ではなくなったのを認めた、ということなので。何か書く時に、ツカミでちょっと昔話を入れる、とかならまだいいが、昔話を文章のメインにして書き始めたら、いよいよもう終わり。そう思って、これまで避けてきたのだが。

音楽メディア活字業界歴、33年。取材相手のミュージシャンは、あたりまえに歳下ばかりで、「うちの父親より上ですね」みたいなことも、もはや珍しくない。いよいよあと3年で、忌野清志郎の享年に並んでしまう。

という、己の現況を鑑みるに、最近、だんだん、考えが変わってきたのだった。

もういいんじゃないか、書いても。「終わり上等」というか、「終わりですが何か?」みたいな、ドラマから続編が映画に発展した宮藤官九郎のあれのごときスタンスでもって、開き直るのもありなんじゃないか。

ある日突然人生が終わって、結局書かないまんまでした。みたいなことだって、充分、起こりうるんだから。書けることは、書けるうちに、書いておいた方がいいのではないか。せっかくの自分の経験なんだから。

というわけで。この連載は、自分が音楽メディア関係の人間になってから現在までの33年の間に、観て来たライブで「これは書いておきたい」と思うものを回顧する、という趣旨です。

世の中的に、もしくはロック史的に、価値のあるライブだから、というものもあるし、個人的に重要なライブだったから、というやつもあります。そっちの方が多いか。

……あ、そうか、その33年よりも前、自分が高校生や大学生だった頃に観たライブも、入ってくる可能性もあるか。あるな。

ともあれ。というわけで、そういうことを書ける場がほしいんですが。と、相談したら、「じゃあうちで書いてもいいよ」と言ってくれた、ぴあ音楽・中尾桂子編集長に、最初に感謝の意をお伝えしておきます。

ありがとうございます。その己の33年のキャリアのうち、28〜29年ぐらいの付き合いになります、もう。いつの間にか僕らも若いつもりが年をとった。

ただし。そう決まってから気がついたが、これ、大槻ケンヂ氏の連載『今のことしか書かないで』と、まったく真逆の趣旨ですね。決してカウンターでぶつけようとしたわけではありません。たまたまです。

なお、この連載を始めるにあたり、僕がハロルド作石さんとなぜか親しいことを知っている中尾編集長に、「兵庫さんのイラスト、描いていただけたりしないですかね?」と提案され、ダメもとでお願いしてみたら「あ、いいっすよ」と描いてくださいました。だいぶ身に余る光栄です。ありがとうございます!

さて。では一回目は、その、己の33年の音楽業界キャリアの、まさにスタートの日に観たライブから、始めたい。

1991年2月14日。バブルの時代だったせいだろうが、普段はひとりかふたりしか採らない新入社員を(そもそも当時は定期採用も行っていない、社員10人ちょっとの会社だった)、その年に限って6人も採った、だから自分のようなボンクラまで潜り込めた、主に音楽雑誌を出している出版社である株式会社ロッキング・オンに、初めて出勤した日である。

なんで2月14日なんていう、中途半端な時期だったのかというとですね。その新入社員6人のうち2人が転職、自分を含む4人が新卒だったのだが、僕以外の3人は都内の大学生で、採用が決まった11月から、アルバイトという形で編集部に出入りしているし、文章も書き始めている。だから卒業まで京都から動けないおまえだけ、大幅に遅れをとっているぞ。というプレッシャーを、かけられ放題かけられていたのだった、入社したら上司になる編集長から。

だもんで、自分が通っていた立命館大学経済学部経済学科の卒業試験が終わった次の日に東京に引っ越し、その翌日から出社した。

それが2月14日だったことを、なぜ記憶しているのかというと、デスクのアルバイトのおねえさんが、その日初めて会った僕にまで、義理チョコをくれたからです。「くれた」というより「配った」んだろうけど、「え、俺にも?」と驚いたので、記憶に残っているのでした。

僕の配属は、月刊の洋楽専門誌、ロッキング・オンの編集部だった。で、初めて出社したその日、直属の上司から、「今日チッタに行くぞ」と、声をかけられた。ニュー・オーダーのベーシスト、ピーター・フックが結成した新バンド、リヴェンジの来日公演が、この日だったのだ。

当時の外タレのマスコミ招待システム、日本武道館なんかの大会場は別だけど、チッタやクアトロといったライブハウスの場合は、編集部に何枚もインビをくれて、誰が来てもいいよ、みたいな、ゆるいものだったのである。

それまで、邦楽のバンドのライブはそこそこ観ていたが、外タレを観た経験は、大阪毎日ホールでザ・ストーン・ローゼズ、京都会館第一ホールでチープ・トリック、できたばかりの東京ドームでローリング・ストーンズ初来日(バイト先のお客さんに借金して東京まで行きました)、以上の3回のみだった。

え、観れるんですか? 今から? しかもタダで? 大喜びで先輩方に付いて行った。チッタに行くには、夕刻のラッシュアワーに、山手線で渋谷から品川まで行って、そこから東海道線に乗り換えて川崎で下りる、ということを知り、そうか、遠くて大変だな、と思った。その日以降、足しげく通うことになるわけだが。

あ、今のチッタじゃなくて、2000年にいったんクローズして建て替わる前のチッタです。駅前の通りから右に入って、すぐ左側のところにありました。

なお、チッタぐらいでかいオールスタンディングのハコに行ったのも、この日が初めてである。京都ビッグバンや大阪ミューズホールくらいが、自分が知っている最大キャパだったので、それまでは。

次回に続く。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『昔話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(月一回)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二〜三回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。