兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第一話:社会人になった日にピーター・フックを観た(後編)
月2回連載
第2回
illustration:ハロルド作石
前回の続きです。
そんなわけで、株式会社ロッキング・オンに初めて出社した、1991年2月14日。川崎クラブチッタ……あ、当時(移転前)は、「クラブチッタ川崎」が正式名称だったが、そこでピーター・フックのバンド、リヴェンジの来日公演を観た僕は、驚愕した。
下手だ!
ひでえ!
俺らより下手じゃねえか! なんなんだ、このバンド!
ステージの中央には、ヒザのあたりまでベースを下げたピーター・フック。ボーカルとベースは彼なわけだが、もうひとりベーシストがいる。あとはギターとドラムとシンセ。で、本家ニュー・オーダーと同じく、打ち込みのバック・トラックが、バキバキに鳴っている。
だから音はそれなりに分厚い、はずなんだけど、その上にのっかるギターやベース等の各楽器と、ピーター・フックの歌が、もうヘタでヘタで。雑で雑で。ただただヘロヘロで。驚きを通り越して、ムカムカと腹が立ってくるレベルだったのである。
外タレといえば、なんせ前述の3バンド(ザ・ストーン・ローゼズ、チープ・トリック、ローリング・ストーンズ)しか観たことがなかったもんで、こんなに演奏がヘロヘロなプロがいる、というか当時のイギリスのバンドはむしろそういうのが普通である、という事実を、当時の僕は知らなかったのだ。
冷静に思い起こせば、その数年前のロッキング・オン誌に、ニュー・オーダーの来日ライブのレポが載っていて、「演奏はひどいもんだった、お客が困っていた」とか書かれていたが、それを忘れていたのだった。出勤初日で舞い上がっていて。
あと、今思えば、自分がそれまでライブを観ていた日本のプロのバンドが、BO GUMBOSとか、ユニコーンとか、爆風スランプとか、THE ROOSTERZが解散してソロデビューしたばかりだった花田裕之とかみたいに、演奏がしっかりしたやつばかりだったのも、関係あるだろうな。
それからもうひとつ、原因として考えられるのが、もともと自分が、「演奏はうまくなきゃいかん」と思い込んでいる奴だった、というのもある。
プロはうまいもの、うまくならなきゃプロになれない、だからうまくなろう、まずはヤマハのドラム教室に通って基礎を習おう、的な。実際、習っていました、高校の頃。そのわりにはうまくならなかったが、それは置いといて。
ロックバンドって、そういうもんじゃないでしょ。うまきゃいいっていうのは違うでしょ。ということを、その後、何度も思い知ることになるし、「そういうもんじゃないからおもしろい」ということも理解していくわけだが、当時の自分は、まだそのへんを全然わかっていなかった、という話である。
そんなわけで。出勤初日にリヴェンジを観た2月から、その時誘ってくれた直属の上司の、突然の退社に伴う各スタッフの配置換えで、ロッキング・オン・ジャパン編集部に異動する7月までの半年間、僕はチッタと渋谷クラブクアトロで(当時の外タレの新人バンドの東京公演は、ほぼそのどっちかだった)、「演奏ヘタなイギリスのバンドの来日公演」に、苦しみ続けることになるのだった。
どれがヘタでしたか? と聞かれると困る、みんなヘタだったから。逆に、演奏がちゃんとしていたのは? と訊かれた方が答えやすいくらいである。
ザ・シャーラタンズと、ワンダー・スタッフです。
それ以外は、だいたいどれも、ひどいもんだった。ザ・ラーズも、パワー・オブ・ドリームスも、ペイル・セインツも、LUSHも。
マニック・ストリート・プリーチャーズなんて、まともに演奏できているのは、ボーカル&ギターのジェームス・ディーン・ブラッドフィールドひとりだけで、ギターのリッチー・エドワーズに至っては、アンプから音、出ていなかったし。
そういう、演奏がヘロヘロなロックバンドを、「そういうもの」として純粋に楽しめるようになったのは、PAVEMENTの存在を知ってからだと思う。
イギリスじゃなくてアメリカのバンドですが。演奏的にまったく貢献せず、ステージで逆立ちしたりしていた、ギャリー・ヤングというおっさんのドラマーが、まだいた頃のPAVEMENTです。
余談
突然退社して僕の異動の原因を作った、その直属の上司は、後にマンガ原作者になり、『ラーメン発見伝』『らーめん才遊記』『らーめん再遊記』という大ヒットシリーズを生みました。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『昔話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(月一回)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二〜三回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。