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兵庫慎司の『昔話を始めたらおしまい』

第二話:23歳になった1991年は、誕生日もクリスマスイブも、ひとりでTheピーズを観に行った(前編)

月2回連載

第3回

illustration:ハロルド作石

初回である第一話は、株式会社ロッキング・オンに入社した1991年2月14日に観たライブのことを書いた。そのように、日付をはっきりと憶えているのは、その第一話と、今回の第二話だけである。

前回の日付を憶えているのは、自分の初出社の日だったから。そして今回は、自分の23歳の誕生日と、クリスマスイブだったからである。

1991年9月7日・浅草常盤座と、1991年12月24日・クラブチッタ川崎。観たのはどちらもTheピーズである。

23歳になった今年、誕生日も、クリスマスイブも、俺はひとりでTheピーズを観たのか。

と、チッタの帰り道に思った。で、それが現在の己の何かを象徴しているような、そして下手したらこれからの自分の何かをも暗示しているような、なんとも言えない気分になったのだった。

当時、彼女などもちろんいない上に、就職で京都から東京に来たのもあって、学生時代の友達とかも、周りに全然いなかったもんで。

Theピーズは、1987年結成。メンバーは、ボーカル&ベースのはること大木温之(※2021年以降はボーカル&ギター)、ギターのアビさんこと安孫子義一、ドラムのマスヒロこと後藤升宏の3人。バンド・ブームまっただなかの東京で人気を集め、1989年10月にビクターからシングル「バカになったのに」でデビューする。

その翌月の11月に、ファーストアルバムをリリースしたが、それは『グレイテスト・ヒッツVol.1』と『グレイテスト・ヒッツVol.2』というタイトルで、2枚同時に発売する、という、型破りな、かつまぎらわしいものだった。

そのまぎらわしさのおかげで、現在、apple musicの「Theピーズ」のページでは、この2枚は「アルバム」ではなく「ベストアルバム、その他」の枠に入れられている。

当時、音楽雑誌ロッキング・オン・ジャパンで、この新人バンドを激推しした社長兼編集長=渋谷陽一に、インタビューでその理由を聞かれたはるは、「やる気なくなる前に音を残しとこうと思って」と答えている。

余談だが、銀杏BOYZが2005年にリリースしたファースト・アルバムが、2枚同時発売だった理由のひとつは、Theピーズがそうだったからだという。峯田和伸が、インタビュー等でそういう発言をしていた。

で。その渋谷陽一の激推しっぷりが気になって、ファースト・アルバム2枚を聴いた僕は、すっかりやられてしまったのだった。

「ブリーチ ブリーチ いくぞ脱色だぁ カミの毛の色ぬいて変えちゃおー」(ブリーチ)や、「カラあげ食いたかったぜ だれだ ひとりで 2つも3つも 4つもたべたんは」(カラーゲ)といったような、こんなことが歌詞になるのかと驚くほど日常的な事柄を、いわゆる「ロックの歌詞的言語」を用いず、口語体のまま綴る、はるの詞。

それでいて、たとえば「たのしくなんかなくても たのしそーにしてるのさ/うわべだけでいい かまわない」(かまわない)というラインに顕著なように、倦怠感や疲労感や虚無感が、どの曲にもべったりと貼りついている。

そんな言葉を、聴いてパッと口ずさめるほどキャッチーなのに、ニッポン歌謡曲感が不思議なほど皆無なメロディにのっけて、一見いかにもバンド・ブーム風だけど、よく聴くと他とはあきらかに異なる、すさまじいドライブ感のギター&ベースと、確かなテクニックに裏打ちされたドラムによるバンド・サウンドと共に、ぶっ放す。

自分が好きで聴いてきた、日本のロック・バンドのどれとも違っていて、新しくて、なのにロックンロールの伝統の上にしか生まれ得ない存在。

斬新だった。と感じながら、同時に、これは自分だ、と思った。その頃の自分は京都の大学生で、今思うとBOØWYの五十番煎じみたいなバンドをやっていて、チケットノルマに苦しみながらライブハウスに出ていた。

つまり、自分のバンドの音楽よりも、Theピーズの方が、全然「自分」だったのだ。というか、「自分」に感じたのだ。

そんなふうに感じられるロック・バンドは、Theピーズが初めてだった。この直後に、THE真心ブラザーズの登場で、これとほぼ同じショックを食らうことになるのだが。

Theピーズにそんな衝撃を食らった僕は、彼らの次のアルバムで、さらに別の衝撃を食らうことになる。

バンド・ブーム期の若手の中でトップクラスのテクニックを持っていて、頭脳警察のサポートも務めていたマスヒロが、ファースト・アルバムをリリースした翌月に脱退したのだ。

デビューしたばかりなのに活動がストップしたTheピーズは、二代目ドラマーとしてウガンダ(池田崇)を加入させる。そして1990年5月にツアーを行い、9月にその3人で録ったセカンド・アルバム『マスカキザル』をリリースした。
「いいコになんかなるなよ」で始まり「バイ菌マン」で終わる、10曲・トータル28分。ファーストアルバム以上に、倦怠感や疲労感や虚無感が前面に出たこの10曲を聴いた僕は、愕然とした。

ヘタだ! ヘタすぎる、新しいドラマー!

ウガンダは、はるの大学の後輩で、バンドはやっていたがパートはベースで、スティックを握ったこともなかったのに、「おまえドラムね」と指名されたのだという。なぜはるがそういう選択をしたのか、今ならよくわかるが、その時は脳内が「?」でいっぱいになった。

どの曲もドラム、すさまじく粗くて、それにひっぱられてギターもベースもヘロヘロになっていて、ファースト・アルバムのドライブ感は、すっかり消えている。そもそも「ブリーチ」や「Yeah」や「汗まみれ」みたいな速い曲が入っていないのは、速すぎて叩けないのではないか? と、勘ぐりたくなる始末。

特にすごいのが、2曲目の「どっかにいこー」という、スローなバラード寄りの曲である。キックとスネアのテンポがフラフラ変わる、リズムキープという概念がないプレイ。フィルインが入るたびに、曲が止まりそうなくらい遅くなる。

何これ。素人なのはインタビューを読んだから知っていたけど、ここまでなの!? なんでこの人なの? 俺の方が全然うまいじゃん(ドラマーだったのです)。俺を入れてくれよ俺を。いや、だから、うまい人を望むなら、前のマスヒロのままでいいんだってば。

しかし。そんなことを思いながらも、結果、ファーストの2枚以上に何度も何度も聴き込んだ、自分にとって、とても重要なアルバムになったのだった、『マスカキザル』は。

特に前述の「どっかにいこー」は、今でもライブで演奏されるたびに(最近はアンコール等の後半でやることが多い)「うわっ」となるくらい好きである。
彼氏がいる「君」に「君はなんだって 君はなんだって あんな奴といるの こっちにかえなよ」と呼びかける歌。当時、自分はそういう経験はなかったが、いちばん親しい友人がまさにこの状態で、しかもその女の子も、スパッと断ってくれればいいのにそうでもなかったりして、彼は心を病む寸前みたいな状態になりながら、この曲を延々と聴いていた。「やめとけよそんな子」と思ったし、言ったものです。言ってもどうにもならないんだけど、そういう時って。

話を戻す。つまり、1991年の誕生日とクリスマス・イブに観たTheピーズは、そういう時期のTheピーズだったわけだ。『マスカキザル』とサード・アルバム『クズんなってGO』(1992年4月21日リリース)の間。

次回に続く。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『昔話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(月一回)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二〜三回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。