兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第二話:23歳になった1991年は、誕生日もクリスマスイブも、ひとりでTheピーズを観に行った(後編)

月2回連載

第4回

illustration:ハロルド作石

というわけで。「1991年は誕生日もクリスマスイブもひとりでTheピーズを観た」件の、誕生日の方=1991年9月7日、浅草常盤座の方から書きます……って、そうか、「浅草常盤座とは何ぞや?」という説明が、まず必要か。

このTheピーズのライブが行われた1991年9月いっぱいをもって、老朽化で取り壊しになった、明治時代から存在した浅草の劇場が、常盤座である。

この取り壊し直前の時期は、海外アーティストや日本のロック・バンドも、よくライブを行っていた。僕も、Theピーズの前に、ジョニー・サンダースの来日公演を、ここで観た記憶がある。そしたら、帰国した直後に亡くなってしまった。どうやらオーバードーズらしい、この来日の時に日本のレコード会社と契約して、大金が入って、そのカネで買ったドラッグで……というのは真偽不明ですが、当時の噂です。

僕がTheピーズのライブを観るのは、この日が初めてだった。半年前まで京都の学生だった頃、できたばかりの京都ミューズで花田裕之や真心ブラザーズは観れたが、それより狭い磔磔のTheピーズは、全然チケットが取れなかったのだ。すごい人気だったし、すでに。

で。初めて観たTheピーズは、3人ともサングラス・黒スーツ姿だった。ウガンダは黒ハットもかぶっていて、もうブルース・ブラザーズそのまんまである。

はるの長めのヘアスタイルとサングラスのマッチングといい、黒シャツに濃い目の赤のネクタイ姿のアビさんといい、なんとまあスタイリッシュなこと。

いかにもバンド小僧な服しか着ません、スタイリストとかまっぴらごめんです、みたいなバンドだと思っていたけど、こういう格好をする時もあるんだな。と思ったが、この衣装を着ていたの、この時期の何本かのライブだけだったようです。あれから33年が経つが、それ以降、一度も見たことがないので。

そんな姿の3人が、超満員ぎゅうぎゅうオールスタンディングのオーディエンスの前に現れ、はるの「きょ、今日のために俺は、オナニー一発がまんしてるんだぜ!」という雄叫びから、ライブがスタートする。

1曲目からいきなり、未音源化の新曲。「ふぬけた」というこの曲は、この半年後にリリースされたサードアルバム『クズんなってGO』の1曲目に収録される。というように、Theピーズは、ライブで何度も新曲を演奏してから、レコーディングするようにしていた(今のピーズもそうだ)。

というのは、何もおかしなことではないが、バンドブームだった当時は、新人は半年に1枚アルバムを出すのがセオリーで、みんな新曲を作って即レコーディングするのが精一杯、先にライブでやれるようなスケジュールではなかった。という中で、「まずライブで形にしてから」というやり方を通していた、という点でも、Theピーズは異例だったのかもしれない。

「ふぬけた」以外の新曲「君は僕を好きかい」「便所モンキー」「まったくたのしいぜ GO GO」も、後に『クズんなってGO』に収録された。

しかし、ということは、半年後に出るニューアルバムに入る曲を4曲も、先にライブビデオで出した、ということなのね。そう、この日のライブは、同年の12月に、ライブビデオ『Theピーズ Live Video 常盤座』として発売になったのだ。というか、そもそもライブビデオの発売ありきで行ったのかもしれない。

全18曲、1時間強。そうか、けっこう短かったのね。2024年現在のピーズは、ワンマンになると40曲以上やるからなあ……待てよ、でもこれ、演奏した全曲が入っているとは限らないか。カットされた曲が、ないとは言えない。映像を観ていると、そのまま全曲収めたように見えるけど。

まあいいや。その18曲(とします)の中で、僕が「ウガンダ、叩けないのでは?」と勘ぐった「Yeah」も、ちゃんと披露された。曲の入りでミスってやり直したけど。全体にドラムアレンジ、かなり簡略化されていたけど(マスヒロが、信じられないくらいの手数を詰め込んだドラムアレンジにしていたせいもある)。

その「Yeah」や、それより前に演奏された「やったなんて」などでは、当時、海外では普通だったが日本ではハードコア系のライブでしか見かけなかった、モッシュやリフトやダイブが起きた。

はる&アビさんはもちろん、確かに技術はアマチュア以下だが、8ビートの曲のキックとスネアがはるの歌&ベースのタイム感に心地よく合っているウガンダも含めて、総じて、とにかくかっこよかった。理想のロック・バンドって、こういうのを言うんじゃないか、と思うくらい。

その3ヵ月後、完成した『Theピーズ Live Video 常盤座』をビクターの宣伝マンが持って来てくれたので、会社の打ち合わせスペースで観ていたら、社長・渋谷陽一が通りかかった。そして、立ち止まってしばし画面を観て、「いいバンドだなあ」と言って、去って行ったのを憶えている。

それから何度も何度も観返した、この『Theピーズ Live Video 常盤座』は、長らく廃盤になっていたが、10年後の2001年8月に、当時のTheピーズの移籍先だったキングレコードが、権利を買い取って、DVD化された。

要は今、それを観ながら書いているので、わりと細かいことまで、記述できているわけです。

で、もう1本の方、1991年のクリスマスイブの川崎クラブチッタは、もちろん手元に映像などないし、セットリストとかも憶えていない。常盤座の3ヵ月後なので、そんなに大きく変わっていなかったのではないか、あるとしたら『クズんなってGO』の収録曲がもっと増えていたかもしれない、とは思うが、はっきりしたことはわからない。

Theピーズには、12月になると演奏するが、いまだに正式音源にはなっていない「クリスマス」という曲があるが、この日、それを演奏していたかどうかも、憶えていないし。

ただし、ひとつだけ、強烈に記憶していることがある。

「13から14」という新曲をやったことだ。

思い当たる理由もないし、なんでなのかわからないが、事務所から毎月出ている給料が、突然、13万円から14万円に上がった。なので、そういう曲を作りました──と、はるが言ってから、曲に入った、と記憶している。ミドルテンポで、かけ声みたいに「♪13から14」と繰り返す曲だった。

『マスカキザル』では、やや鳴りを潜めていた「そんなこと歌にする?」方向の曲の真骨頂だ、久々に出た、という喜びと、「自分たちの給料、人に言う? しかもチッタ満員の人数に向かって」という驚きに、包まれながら帰路につきました。

Theピーズのメンバーとは、この頃は面識すらなかった。で、『クズんなってGO』のインタビューを、渋谷陽一から担当を引き継いだ上司=山崎洋一郎が行う時、取材の助手で付いて行った時に、初めて対面した。

その後、何度かの助手を経て、アビさんがバンドを去った時、山崎から「おまえがインタビューしろ」と命じらた。自分がインタビューできるうれしさ半分、「山崎さんもうTheピーズは手放していいってことなのかなあ」という寂しさ半分だったが、山崎洋一郎、「あ、でも撮影は俺がやるから」と言い出して、赤羽のはるの自宅まで一緒に行った。

はると対峙し、喜々としてシャッターを切る彼の姿に、何を考えてるんだろうこの人は、と、思ったものです。

ちなみに、『Theピーズ Live Video 常盤座』、DVDもとうに廃盤で、現在は高いカネを払わないと手に入らない。これを書いている時点では、Amazonで「¥14,588より」です。盤にして出すのは難しいだろうが、配信かなんかで観れるようにしてくれないかなあ、誰か。今観ても、これを埋もれさせておくのは惜しい、と思うくらい、かっこいいので。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『昔話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(月一回)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二〜三回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。