兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第三話:渋谷クラブクアトロのレディオヘット、代官山UNITのエド・シーラン (後編)

月2回連載

第6回

illustration:ハロルド作石

話は、レディオヘッドの渋谷クラブクアトロから、18年後に飛ぶ。

2012年3月21日(水)の代官山UNIT。この1ヵ月半ほど前に、J-WAVEがリスナーを招待して行ったショーケース・ライブに続く、エド・シーランの二回目の来日である。

ツアーではなく一夜限りのライブで、スマッシュとタワーレコードが共催するイベント「NEXT BREAKERS」に出演する、という体裁だった。つまり、日本のレコード会社もイベンターもCDショップも、デビュー・アルバムが全英1位に輝いたこの新人アーティストを推していた、ということだ。

本編9曲でアンコール5曲の全14曲、約1時間40分、頭から最後までひとりっきりのステージ。

アコースティック・ギター1本持って出て来て、自分の歌や、ギターを弾く音や、ギターを叩く音をルーパーで録ってはリピートさせ、音を重ねていく。だから、「歌う」とか「演奏する」だけでなく、「曲をやりながらその場でその曲を作っていく」ようなパフォーマンス。

というのは、エド・シーランがそういうライブをやることを、誰でも知っている今となっては、普通に感じる。それに、ひとりで、ルーパーを使って音を重ねながらライブをやる人は、彼が初めてではなくて、既に海外にも日本にもいた。

なので、ひとりでライブをやる手法としては、そこまで驚くべきものではなかったはずだが、エド・シーランのそれは「他にやっている人もいるけど、ここまでやる人はいない」という意味で、とても新しく感じられた。至近距離で目の当たりにすると。

アコースティック・ギターの弾き語りを軸にしながら、そこにハウス/テクノやヒップホップやその他いろいろな音楽ジャンルが、手法も精神性も込みで入っているように感じる。

歌・ラップ・ギター・パーカッション等の、自身の曲をアレンジする時に必要なそれぞれの音に対して、それは一体なんなのか、なぜ必要なのか、どう鳴らすのが最善なのか、というところまで遡って相対化してから、改めて客前で積み重ねて曲を作り上げている、そんなふうにも感じる。

それから、自身のパフォーマンスにオーディエンスを巻き込む、「やる側と観る側」「音を出す側と聴く側」じゃなくて「全員やる側」「みんな当事者」みたいな状態に会場全体を導いていく、その力技にも目を見張った。会場が小さいというのもあるが、とにかく演者と客の距離が近い。物理的な意味だけじゃなくて、精神的な意味でも。

たとえば、1曲目「Give Me Love」の最後では、オーディエンスをふたつに分けて三度違いのメロディを歌わせてハモらせ、それに自分の歌をのっけてから締める。

アンコールの5曲のうちの1曲目を終えたところでは、「そっちでやるよ」とフロアのほぼ中央に移動してから、あと4曲やった。しかも、ギターはPAなしの生音、歌もマイクなしの生声で。

で、360度オーディエンスに囲まれた状態だから、一方向だけ向いて歌うのは不公平だと思ったのだろう。その4曲の間ずっと、時計回りにゆっくりと回転しながら歌い続けた、エド・シーランは。笑った。で、ああ、そういう人なんだなあ、と思った。

そして、アンコールのラストの曲の最後は、オーディエンスのシンガロングがいつまでも続く状態になった。で、その状態のまま、エド・シーランはその場から去り、ライブが終了した。その時は「え? 何、この終わり方」とびっくりしたが、今、思い返すと、なんて粋な終わり方なんだ、と、感じる。

というふうに、わりと具体的なことを書けているのは、当時、自分がロッキング・オン社のウェブサイトに書いたライブレポートが、そのまま残っているからです。

「確かレポ書いた気がする」と思って探したら、あっさり見つかった。 https://rockinon.com/live/detail/65598

とにかく。自分がこれまで観てきた、どんなアーティストの、どんなライブとも違っていた、この日観たエド・シーランは。

生来の楽曲そのものの良さや、メロディの普遍性や、奇をてらわないしよけいなことをしないアレンジの美しさはもちろん魅力的だが、それらはライブでなく音源でも堪能できる。つまり、ライブの場でそこにプラスされるもの、ライブでしか味わえないものが、それはもうすさまじい、そういうタイプのアーティストなのだ。ということが、この日、わかった。という話だ。

この3年後に、僕は会社をやめてフリーのライターになったが、それによってスケジュールを会社に縛られなくなって以降、めったやたらとライブに行くようになった。週末に何もライブに行く予定がないと、不安になるくらい。

たとえば2023年は、配信で観たものやプロレスや演劇等の音楽以外のものも含めると、168本観ている。ライブレポの仕事ありきで行くこともあるが、たぶんそれ、全体の2割か3割くらいだと思う。

生で観ないとわからない。その時のライブはその時しか観れないんだから、観ておかないと後悔する。というふたつが、そんなに観るようになった理由だと思うが、そう思うようになった原因のひとつに、このエド・シーランの代官山UNITも、あると思う。もちろん、レディオヘッドの渋谷クラブクアトロも。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『昔話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(月一回)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二〜三回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。