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兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第四話:1985年1月、広島。16歳の時、19歳の奥田民生を観た (後編)

月2回連載

第8回

illustration:ハロルド作石

さて。そんなふうに、高1の三学期に初めてライブを観て激ハマリして以降、READYのライブは、ウッディストリートはもちろん、学園祭とかまで追っかけた。広島女学院大学で観た記憶がある。

で、追っかけているうちに、あるいはスズヤにたむろしているうちに、店長以外のメンバーたちとも面識ができて、ライブの時に機材を運んだり、READYが制作した6曲入りデモテープのダビングや歌詞カードの封入作業を手伝ったりするようになった。

その6曲以外のオリジナル曲も、ライブを録音して、全曲の歌詞をそらで歌えるくらい、何度も何度も聴いた。1曲自分のバンドでコピーしたことまである。「Please」というタイトルの、女性の一人称の歌詞の曲だった。その時やっていたバンドのボーカルが女の子だったので、その曲を選んだのではないかと思う。

そうやって、僕が熱心に活動を追っていくのと並行して、READYのレパートリーからは、EARTHSHAKERと子供ばんどの曲が減り、代わりにオリジナル曲が増えていった。

しかし、全曲オリジナルになってちょっと経ったあたりで、READYは解散することになってしまった。

QUEENも、THE POLICEも、RCサクセションも、もちろんEARTHSHAKERと子供ばんども、まだ普通に活動していた頃である。つまり、自分にとって初めての「好きなバンドが解散する」という経験が、READYだったのだ、僕の場合。

なんで解散したのかは、いまだに知らない。面識があるとは言え、きける雰囲気ではなかった、4人のうちの誰にも。

その頃奥田民生は、専門学校を卒業できないことが決まったかなんかで、中退した。そして、朝から夕方まではスズヤ、深夜はスズヤに来る連中が通っていた、ハロー白島という喫茶店でアルバイトを始めた。

と同時期に、同じタイミングで解散しようとしていた、親しいバンドのベーシストと、新しいバンドを作ろうとしていた。なので、ユニコーンを結成すべくメンバーを探していた、川西幸一とテッシー(手島いさむ)の誘いは、一度断っている。

しかし、そのベーシストのバンドがなかなか解散しなかったので、READYの解散ライブの日にもう一度口説きに来たテッシーに、奥田民生はOKを出し、加入することになったのだった。

なお、そのベーシストは、後にREPLICAというバンドに参加し、ユニコーンより少し遅れてメジャーデビューした。

そのREADYの解散ライブの日付だが、テッシーの記憶と僕の記憶は、食い違っている。テッシー曰く1986年2月26日だそうだが、僕の記憶では、1986年2月22日なのだ。テッシー、日付や数字に関する記憶力が異常にいいそうなので、たぶんテッシーが合っているんだと思います。

とにかく、悲しい気持ちいっぱいで、READYの解散ライブを観た。いつもは対バンだったが、その日はワンマンだった。その時持っていたオリジナル曲をすべてやった、と記憶している。「あ、あの曲はやらなかったな」というのがなかったので。

それだけでなく、この日のためだけに作った、最後の新曲も、1曲披露された。その曲は、後に、歌詞を書き換えた形で、ユニコーンのファーストアルバムに収録されることになる。

「Sadness」という曲である。「一瞬のシャングリラのように 過ぎてゆく 時は止められない あの夜も 肩にもたれて お前はもう 錆びてくプロローグ見てた」という歌い出しは、元は「一瞬の出来事のように 過ぎてゆく時を止められない 昨日まで過ごした日々は 今日からは何も役に立ちはしない」だった。サビの「思い出せば少しは忘れられるSADNESS」は、「そばにいれば少しは忘れられるSADNESS」だった。

普段は記憶力ポンコツなのに、こういうことだけは、40年経っても憶えてるもんですね。たぶん、デビュー前のユニコーンのライブでもこの曲をやっていて、その時は歌詞を書き換える前だったから、憶えているんじゃないかと思う。READYの解散ライブの音源は持っていないし、その時生で一回聴いただけで、歌詞を憶えているわけがないので。

よく知られているように、ユニコーンは奥田民生の加入直後にデビューが決まり、東京に行って大成功を収めるが、いろいろあった末、1993年に解散した。その16年後の2009年に、まさかの再始動を果たして、現在に至っているわけだが。

で、解散を発表する前だったが、ラストアルバム『SPRINGMAN』の先行シングル、つまり最後のシングルとしてリリースされた「すばらしい日々」は──曲を書いた時点で、もう解散が決まっていたのかどうかは知らないが──あきらかに、別れの歌であり、何かが終わる時の歌である。

そういえばREADYの時も、最後に「Sadness」を書いたなあ。民生さんて、そういうソングライターなのかな。と、ユニコーンの解散を知った時に思った。

いつ知ったか。1993年9月21日、ニッポン放送「オールナイトニッポン」の特番「ユニコーンのオールナイトニッポン」で、生放送で、解散を発表した時です。何か発表があるらしい、というので、上司の山崎洋一郎はニッポン放送に行っていて、僕は深夜の会社で、ひとりでラジオを聴いていました。

以上の「19歳の奥田民生を観た」件、これまでに何度もあちこちで書いてきた話なんだけど、こんな連載を始めたんだから、ここでもいつか書きたいと思っていた。

そしたら、奥田民生がソロ30周年記念ライブとして、10月26日(土)「ひとり股旅スペシャル」27日(日)「GOZ LIVE AT RYOGOKU KOKUGIKAN」の両国国技館2デイズを行うことが発表になったので、そうか、じゃあ今書こうか、と、なんとなく思ったのでした。

その当時広島で観た、ユニコーンのライブとかについても、いずれ書こうと思います。

ともあれ、あれから40 年が経つ今も、自分は、奥田民生も、ユニコーンも、普通にライブを観れているのって、すごいことだと思う。

おまえ、56歳になっても、民生さんのライブ観とるぞ。と、16歳の自分に教えたい。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『昔話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(月一回)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二〜三回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。