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兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第七話:2024年のフラワーカンパニーズの発表と、2005年のYO-KINGの発表(後編)

月2回連載

第14回

illustration:ハロルド作石

前回の続き。

フラワーカンパニーズが、2025年9月20日土曜日に、10年ぶり二度目の日本武道館ワンマンを行うことを、2024年9月14日土曜日、京都MUSEのCAPITAL RADIO ONE25周年イベント(共演:ピーズ、怒髪天、SKY)のステージで、発表したのを観た。

で、思い出した。その19年前の2005年5月8日日曜日に、SHIBUYA-AXでYO-KINGが行った発表のことを。というのが、この後編のテーマです。

そうだ、そのYO-KINGの発表にも、グレートマエカワ、絡んでるわ。というか、その場にいたわ。

当時、僕はロッキング・オン社(以下RO社)の社員で、同社が月イチで行っていた「JAPAN CIRCUIT」というライブイベントのブッキングに、四苦八苦する日々を送っていた。同僚のTとふたりで、誇張でなく本当に、いついかなる時も「ああ、ブッキング決まらん……ああ、開催迫って来る……ああ、ヤバい」という、どんよりした気持ちを抱えながら、生活していた。

あ、Tは、そこから5年ほど前、RO社がフェスを始めるにあたって、某イベンターから転職して来た、出版社じゃなくてフェス/イベント会社としての、RO社の社員第一号である。

2015年の春に僕は会社を辞めて、その1年後に彼も退社したが、それ以降もイベント業界の別の会社で働いているので、今でも各地の現場でよく出くわします。

で。この「JAPAN CIRCUIT」、確か、フェス/イベントの部署があるのに、夏と冬のフェスしか仕事がないのは良くない、だから毎月イベントをやれ、みたいな理由で、会社から命じられて始まったものだった。数年間続いた。

赤坂BLITZやSHIBUYA-AX、後半はZEPP TOKYOでもやったかな。見事に3つとも、今はないライブハウスですね。あ、BLITZは、テレビ番組収録用のスタジオとして存続しているんだっけ、二度目に建て替えられたあとは。

まあとにかく、1400ぐらいから2500ぐらいの間のハコで、出演バンド3つか4つで、毎月行っていたので、そのキャパを埋められるだけのブッキングをしないといけないわけだ。

しかし。あなたが、バンドのマネージャーだったら、出たいですか? 出たくないですよね、どうやったって。SHIBUYA-AXのイベントに出たいのは、単体ではまだSHIBUYA-AXでワンマンできない新人バンドであって、ワンマンができる、つまり動員力があるバンドは、他に東京エリアでの自分たちのライブとかがいっぱいあるのに、わざわざそんなの出たくない。客が散るから。夏のROCK IN JAPAN FES.は出たいけど、JAPAN CIRCUITはちょっと……と、なるのは当然である。

しかも、毎月ブッキングをやっていて思い知ったが──ブッキング経験者だけでなく、よくイベントに行く人なら同意してもらえると思うが──たとえば、1700人キャパのSHIBUYA-AXを即日完売できるバンドを3つブッキングしてイベントを打ったら、1000人も入りませんでした、ということが、めずらしくないのである。

逆に、それぞれワンマンではSHIBUYA-AXを埋められなくても、音楽ジャンルやファンの趣味嗜好が近いバンドが3つ集まったら、チケットが即日完売する、というパターンもある。

前編で書いた、CAPITAL RADIO ONE25周年イベントが、ピーズ・怒髪天・フラワーカンパニーズというブッキングだったのは、そのいい例だと言えます。300キャパの京都MUSEが即完したそうだが、あれ、倍くらいのキャパでもいけたと思う。3倍でもいけたかも。

というわけで、毎回毎回いろんなバンドの事務所に、頼み込んだり、泣きついたり、それでも断られたりしながら、ブッキングをしていた。で、「ああ、やっぱり今月も入らなかった……」「来月もチケット売れてない……」と、頭を悩ませ、胃を痛めていた、そんなある日のこと。というか、2004年10月20日。

2001年12月21日の日本武道館をもって、真心ブラザーズを休止し、ソロでの活動を続けていたYO-KINGが、アルバム『音楽とユーモアの旅』をリリースした日である。

その作品は、YO-KINGが注目している若手バンドとコラボする、というのが趣旨のひとつになっていて、サンボマスター、アナログフィッシュ、RIP SLYMEのDJ FUMIYAが参加していた。そして、当時のYO-KINGのバックバンド=インディアンズは、ドラムがデューク・アイプチこと元チェンバロのPすけで、ベースはフラワーカンパニーズのグレートマエカワだった。

これじゃん! これをそのまま「JAPAN CIRCUIT」でやればいいじゃん!

と、アルバムを聴いて、閃いたのだった。「閃いた」ってほど鋭くねえよ。誰でも思いつくでしょうよ。と、当時の自分に言いたいが、YO-KINGのマネージャーにきいてみたところ、彼の側で、そのようなイベントをやる予定は、ないという。

だったらうちでやりません? YO-KINGの弾き語りで始まって、YO-KINGとサンボマスター、YO-KINGとアナログフィッシュが演奏する時間があって、最後がYO-KINGとインディアンズ。良くないですかこれ?

僕の感触だが、当時のYO-KINGに「JAPAN CIRCUITに3アクトの中のひとつとして出てください」とオファーしても、普通に断られただろうと思う。でも、これなら乗ってくれるのではないか。

あと、サンボマスターとアナログフィッシュも、スケジュール以外の理由で断るとは、まず思えない。それに何よりも「これ、自分だったら絶対観たい、間違いなくソールドアウトする」という確信があった。

で、YO-KINGサイド、しばし検討の上、OKをくれた。ただし、当時彼が定期的に行っていたライブイベント「TODAY」と「JAPAN CIRCUIT」のコラボ企画としてやりたい、と。もちろんなんの異存もありません。

サンボマスターのOKが取れた。しかし、アナログフィッシュと、インディアンズのベーシストであるグレートマエカワに問題が発生。グレートマエカワのフラワーカンパニーズとアナログフィッシュは、その日に大阪城音楽堂で行われる『SWEET LOVE SHOWER』への出演が、先に決まっていたのである。

調整の結果、どちらも大阪は出番を早めの時間にしてもらって、大急ぎで東京に戻って来てこっちにも出演する、ということになった。アナログフィッシュは、東京に移動してSHIBUYA-AXに入ってリハーサルをやれるくらい余裕があったが、グレートマエカワはリハーサルは無理、本番にはなんとか間に合う、という状態。

のぞみで品川駅に着いたら、そのまま山手線で原宿まで来てもらって、駅前にクルマで待機しているスタッフが連れて来る、という段取りにしました。

しかし。開催が決まったあとに、事態が動いた。

真心ブラザーズ、再始動することが決まった、というのだ。

その年のROCK IN JAPAN FESTIVALへの出演も決まった。なので、そのSHIBUYA-AXの日のアンコールで、桜井秀俊が登場して再始動を発表、ROCK IN JAPAN FESTIVALへの出演も発表、そしてふたりで弾き語り、という形にしたい──ということに、なったのだった。

重ねて言うが、再始動が決まったから、このJAPAN CIRCUITを組んだわけではない。JAPAN CIRCUITの企画を考えたのが先で、あとから再始動という大サプライズが降ってきたのである。

「マジか!」となりましたね。「いいんですか!?」とも思いましたね。主に編集者兼社員ライター、あと、ちょっとだけフェスやイベントの仕事をしてきた24年の会社員生活の中で、ほんのわずかな、いや、下手したら「唯一の」かもしれない、「あれやったの俺!」と誇れる仕事である。

いや、だから、再始動を読んでイベントを組んだのなら誇ってもいいけど、違うじゃん。ただラッキーだっただけじゃん。という話です。

さて、ライブの本編なのだが……ええと、アンコールで桜井秀俊が登場したら、予想以上の大騒ぎになったこと、中には泣いてるお客さんも多数だったこと、ふたりで弾き語りをする真心を、ソデでサンボマスターの3人が本当にうれしそうな顔で観ていたこと(特に山口隆)。くらいしか、パッと思い出せない。

他には……いつもだったらここで、当時、自分がなんか書いたんじゃないか、ということで、RO社のウェブを探すんだけど、この頃ってまだRO社のウェブ(現在のrockinon.com)、始まってないのよね。

ロッキング・オン・ジャパンの誌面には、毎月「JAPAN CIRCUT」のレポのページがあったから、そこにはなんか書いたんだろうけど、過去に自分が作った雑誌、ひとつも保管してないのです、私。

入社して15年くらい経ったあたりで、毎月家に溜まってあらゆるスペースを侵食していく膨大な雑誌類に「あああもう無理!」とブチ切れ、全部会社に持って行って引き取ってもらったのだった。後悔しています。特にフリーになってからは。

でも、過去の何かがインターネットの海に漂っていないか、一応探してみたら、なんと、私、書いていました。どこに。ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005の公式サイトの「FROM STAFF」というページに、です。

この頃、通常の「出演アーティスト第×弾発表」は、毎月20日に行うと決まっていたのに、真心ブラザーズだけ5月8日に発表、というイレギュラーなことになったので、その事情の説明で、書く必要があったのですね。なるほど。

こちらです。

あと、他に、この日のライブのことを、僕よりも詳細に書いているお客さんのブログも見つけた。こちら です。

では、以下、この方の文章と、僕の文章からわかったことを、箇条書きにします。

・このライブは、MUSIC-ON! TVで生中継されたそうだ。「そうだ」じゃねえよ。思い出した、M-ON! のKさんに話を持って行ったわ。M-ON! は当時、RO社の夏冬のフェスの中継番組をやっていて、付き合いが深かったのです。即「やります!」というお返事でした。

・最初にYO-KINGと私が前説をした、と、この方のブログに書いてある。そう言われても全然思い出せないが、やったんでしょうね。どうせ地獄の滑舌だったんでしょうね、私。

・最初のアクトは、YO-KINGが弾き語りで3曲。「ずっと穴を掘り続けている」「きれいな水」「マイ・バック・ページ」。
続いてサンボマスターが登場、3人で3曲やって、4曲目からYO-KINGが加わって「審美銃」「バトンが泣いている」「人間はもう終わりだ!」、一回YO-KINGがはけて3人で「そのぬくもりに用がある」、そしてYO-KINGが戻って「朝」。
「審美銃」と「バトンが泣いている」が、『音楽とユーモアの旅』でサンボが演奏した曲。YO-KINGの「人間はもう終わりだ!」をサンボが演奏したことと、サンボの「朝」をYO-KINGが歌ったことが、とてもレアですね。

・次、アナログフィッシュ。3人で4曲やってからYO-KINGが登場、「BGM」と「出来事」の2曲を一緒に演奏。
「BGM」はアナログフィッシュの曲で、下岡晃とYO-KINGのツインボーカル。「出来事」が、『音楽とユーモアの旅』でアナログフィッシュが演奏している曲である。YO-KINGが「BGM」を歌ったのか。聴きたいなあ。だから聴いたんだってば、あんた。

・トリはYO-KING&インディアンズ。3人で7曲やって、アンコールも3人で「FOREVER YOUNG」。
そしてダブル・アンコールで、YO-KINGがひとりで出て来て「スペシャルゲストを紹介します。真心ブラザーズ、桜井秀俊!」とコールする。桜井、ものすごく恥ずかしそうに登場。場内、大騒ぎになる。

・で、真心ブラザーズが再始動することが桜井の口から、この夏から活動することと、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005に出演することが、YO-KINGの口から、発表された。 そしてふたりで「荒川土手」と「どか~ん」を歌って、終了。

だったのでした。しかし、そうか、じゃあ来年(2025年)は、再始動してから20周年なんですね。

そして、真心もアナログフィッシュも、サンボマスターもグレートマエカワのフラワーカンパニーズも、今も自分は普通にライブを観ているし、そのライブのレポやインタビュー等で仕事をしている。

というのは、なかなか、感慨深いものがあります。誰もやめてない、というのが。

余談。
2019年に真心ブラザーズが、セルフカバー・アルバム『トランタン』をリリースした時、「テレビ東京の佐久間宣行プロデューサーが語る真心ブラザーズ」という記事を、リアルサウンドが企画して、そのインタビュアーの仕事を振ってくれた。
2005年の「TODAY×JAPAN CIRCUIT」のSHIBUYA-AX、仕事で行けなかった。そしたらそのアンコールで、復活が高らかに宣言された。あれねえ、予感はしたんですよ、復活すんじゃねえかなって。それでチケットを取ったんだけど、行けなくて。だから、すべての仕事をサボって、ROCK IN JAPAN FESTIVALには行きました──。

という話を、佐久間さんはそのインタビューでしている。正直、びっくりした。え、予感はしたの?  このイベントを考えた俺は、全っ然予感とかなかったのに! と。

で、うれしくて、「あのイベント組んだの僕です、僕です」と、ついアピールしてしまった。あとで記事にする時に、さすがにカットしました。我ながらサムくて。

その佐久間さんの記事は、こちらです。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(月一回)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二〜三回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。