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兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第十一話:下北沢SHELTERのフラワーカンパニーズ、2025年2月4日と1993年9月21日(前編)

月2回連載

第21回

illustration:ハロルド作石

昨日、というのは2025年2月4日だが、下北沢SHELTERで、フラワーカンパニーズを観た。

1月22日にリリースになった、ニュー・アルバム『正しい哺乳類』のリリース・ツアー、全21本の3本目。かつ、2月4日はフラワーカンパニーズの上京記念日ということで、毎年なんかしらライブをやっている。上京したのは1994年なので、この日で丸31年。今年はそのライブを、リリース・ツアーの1本として組み込んだ、ということだ。

ファイナルの東京公演は、5月2日(金)SHIBUYA PLEASURE PLEASUREで、座席ありなので、オールスタンディングのSHELTERで、平日に、開演時刻を19:30にして、もう1本東京公演をやることにした、ということですね。

なお、大阪も同様で、2月13日(木)に堺ファンダンゴでスタンディング、セミファイナルの4月29日(火・祝)心斎橋BIGCATで座席あり、という2本が組まれている。

SHELTERとファンダンゴ、フラカンと縁の深いハコだが、普通にツアーの1本として考えるとキャパが小さいので、こういう形にしてスケジュールに入れた、ということでもあるのだろう。そんなに丁寧に、ブッキング担当グレートマエカワの思考を読まなくても。

そんなわけで、「ここまで入れる!?」と言いたくなるほどの超満員のSHELTERで行われたこの日のライブは、おそらくツアーの他の日とは異なり、ニュー・アルバム『正しい哺乳類』の曲と、上京当時に作った曲や、名古屋時代に作って上京当時によくライブでやっていた曲(たとえば前者が「宙ぶらりんの君と僕」で、後者が「あったかいコーヒー」)が入り交じる、あとそれら以外の時期の曲も演奏される、多彩で楽しいセットリストになっていた。

ただ、鈴木圭介、この前々日あたりから日本を襲っている大寒波のせいか、風邪をひいたらしく、久々に声が不調で、高音部がしんどそう。

一回目のMCで、お客さんに「龍角散持ってない?」と訊いたり、そしたら二回目のMCのタイミングでフロアのあちこちから「はい!」と龍角散を持った手が挙がって、「みんな持ってるんだねえ」と感心しながら、もらって口に入れたり、そしたらやや調子がよくなって、グレートマエカワが「ほんとに効くんだねえ」と驚いたり。

そんなノドのコンディションを鑑みて、アンコールは、毎年必ずこのライブでやるが、このライブでしかやらない「上京31才」(2008年のアルバム『たましいによろしく』収録の「上京14才」の2025年バージョン)の1曲で、終わり。

のはずが、圭介、演奏を終えてベースを下ろしたグレートを止め、「(声が)戻ってきた。もうちょっとやる」。で、「行ってきまーす」を追加、歌い終わるとまたメンバーを止め、さらに「孤高の英雄」も追加した。後半でオーディエンスが圭介と一緒に叫ぶ「がんばれ圭介」のところ、いつもに増して大ボリュームだった、気がした。

終演後、圭介・竹安・小西にさっと挨拶して、物販コーナーで9月20日(土)日本武道館のチケットの手売りをしているグレートマエカワを、ちょっと眺める。彼がこれをやるのは、10年前の2015年12月19日の日本武道館を控えた時期に、ツアー等で手売りして以来、10年ぶり・二度目。

武道館の座席表をお客さんに見せて「ここでいい?」と確認してから売る、という、とても手間のかかる作業を、一人ひとりに行っていた。大変そうだが、楽しそうでもあった。

で、SHELTERを出て、初めてフラワーカンパニーズのライブを観た時のことを思い出しながら、帰路についた。というか、シェルターでフラカンを観ると、必ず思い出す。

ここだったからだ、場所が。フラカンが上京して来た1994年2月4日よりも、4カ月半ほど前、1993年9月21日のことである。

って、なんでスッと日にちを書けたのかというと、2015年9月(つまり初の日本武道館の直前)に出た、フラカンの単行本『消えぞこない メンバーチェンジなし! 活動休止なし! ヒット曲なし! のバンドが結成26年で日本武道館ワンマンライブに辿り着く話』(リットーミュージック刊)の、僕の著者紹介のところに、そう書いてあるからです。

そうか、もう10年も前か。でもこの時も、日にちを暗記していたわけがないから、調べて書いたんでしょうね。

では、なんでその時、SHELTERでフラカンを観たのか。誘われたからだ。「たぶんうちでやることになる、新人のバンドが、東京でライブやるから、観に来ません?」と、キューンソニー(現キューンミュージック)のスタッフのYさんに。当時、彼は、真心ブラザーズの宣伝担当だったので、僕と仕事をする機会が多かった、だから僕に声をかけたのだと思う。

ちょっと前に、Xのポストでネタにしたが、現在の彼は、agraph牛尾憲輔のマネージャーで、2022年に放送された牛尾憲輔が劇伴のアニメ『チェンソーマン』のオープニングテーマ(米津玄師の「KICK BACK」)に出るクレジットで、「音楽 牛尾憲輔」に並んで、「音楽協力」で名前が出てくる。

『チェンソーマン』、毎回熱心に観ていたので、そのたびに「ああ、この人が最初に俺にフラカンを見せたんだよなあ」と思っていました。

その時の僕は、フラワーカンパニーズというバンドは、名前だけは知っていた、というか、名前しか知らなかった。なんで名前だけは知っていたのかというと、そこから1年半くらい前に、2分の1ページのフラカンの記事が、ロッキング・オン・ジャパン誌に載ったからだ。

当時、ソニーのSD(新人発掘・育成セクション)が、まだデビューには至らないが可能性がある新人たちの作品をリリースするために、インディヴィジュアル・レコードというインディー・レーベルを、ソニー内に立ち上げた。

そこで、フラワーカンパニーズの初CDのリリースが決まり、『聞コエマスカ』というアルバムを制作、1992年2月28日に発売される。

で、そのレーベルから「ジャパンで記事にしてほしい」とプロモーションを受けた、ロッキング・オン社のスタッフが、モノクロ1ページの広告をもらって、その2分の1ページの記事を、自分で書いた。それを読んで、知ったのだった。つまり、その段階では、僕はまったくノータッチだった、ということです。

その記事、インタビューとかはなしで、バンドの紹介記事を書く、という体裁のもので、確か「名古屋のエレカシか!?」というタイトルが付いていた。そのタイトルのおかげか、けっこう反響があった、という話を、のちにレーベルの方からきいた憶えがあります。

それから1年半経って、「たぶんうちでやることになる、新人のバンドが、東京でライブやるから、観に来ません?」というお誘いがあったのだった。

ちなみにSHELTERは、この2年ほど前に、できたばかりだった。当初は、新宿LOFTが入っているビルが取り壊しでいったん立ち退きになるから、新しいLOFTができるまでの間のつなぎとして、下北沢でライブハウスをやることになった、みたいな話だったと思う。

杮落とし公演の中で、当時UKプロジェクトの中にあったRICE RECORDSのイベントがあって、そのレーベルからリリースしたロッテンハッツが出るというので、観に行った記憶があります。

そういえば、ロッテンハッツ(後にこのバンドが解散してGREAT3とヒックスヴィルに分かれる)がメジャー・デビューしたのもキューンだった。フラカンより全然前だが。というか、フラカンは結局、キューンからデビューすることはなかったのだが。

そのあたりの事情は、『消えぞこない』で、メンバーたちが詳しく話しています。

ともあれ、そんなわけで、1993年9月21日の夜、僕はノコノコと、SHELTERに足を運んだのだ。

次回に続く。

※追記
以上の今回の連載を入稿した後の2月7日(金)に、鈴木圭介が医療機関に急性声帯炎と診断され、直近のライブ=2月8・9・11日の高松DIME・松山W studio RED・大分T.O.P.S Bitts hallの3本を開催延期することが、発表になった。
どうぞお大事に。回復、お祈りしております。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(月一回)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二〜三回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。