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兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

第十一話:下北沢SHELTERのフラワーカンパニーズ、2025年2月4日と1993年9月21日(後編)

月2回連載

第22回

illustration:ハロルド作石

前回の続き、ですが、その前にひとつ。

前回は、2025年2月4日の、下北沢SHELTERのフラワーカンパニーズのライブを観てから書いた。風邪か何かでボーカル鈴木圭介の声が調子を崩していた、でもアンコールで持ち直した、と書いたが、そのテキストを入稿してから、直後の『正しい哺乳類ツアー2025』の日程の3本=2月8日(土)高松、9日(日)松山、11日(火・祝)大分の延期が、発表されたのだった。風邪ではなく、急性声帯炎だったそうです。

幸いにも長引かず、その次のライブ、2月13日(木)堺Live Bar FANDANGOは、予定どおり行われた。で、僕はそのまた次のライブ=2月19日(水)F.A.D横浜の企画でHump Backとツーマン(これはツアーとは別の、F.A.Dの対バン企画)を観て、圭介の復調ぶりを確認しました。よかった、長引かなくて。

というわけで、改めて、前回の続き。

1993年9月21日の夜。「たぶんうちでやることになる、新人のバンドが、東京でライブやるから、観に来ません?」とキューン・ソニーのYさんに誘われた僕は、下北沢SHELTERに足を運んだ。

複数のバンドが出演する日で、フラカンの出番はトップでもトリでもなかったように記憶している。で、出番の時間をきいて、そこを目指して観に行った気がする。他は誰が出ていたか、もちろん憶えていないが、えらいもんで、ロフト・プロジェクトの公式サイトに過去の公演記録が残っていて、調べることができた。

火曜日だったというその日は、「FLOWERS OF ROMANCE/ZOSETS/フラワーカンパニーズ(from名古屋)/SNAKY JOE」の4バンドだったそうだ。

ちなみに、他の日や、他の月のスケジュールを見ると、FLAMENCO-A-GO-GOや、叫ぶ詩人の会や、MTハピネスや、フィッシュマンズなどの名前があって、「うわあ」となります。

MTハピネスは、はる&トモの大木兄弟が、元グレートリッチーズのマモル&元ポテトチップス(元グレリチでもある)の森くんと組んだバンドです。9月25日土曜日で、対バンは恋愛信号。うわあ。

なお、9月15水曜日は「〈初ワンマン〉ELEPHANT LOVE」ですって。うわあ。YO-KING、元カステラ→コングラチュレーションズで、真心のバックでもベースを弾いていた福地伸幸、カステラの前身バンド夜尿症のボーカルだった宮内秀実、つまり早稲田大学の軽音サークルGECの先輩後輩の3人が組んだヒップホップ・グループ。のちにフラカンと同じアンティノス・レコードからメジャーデビューし、対バンも行うことになる。
そして、おお、9月23日(木)は、ウルフルズのワンマン! 観た気がするな、これ。ギュウギュウで酸欠寸前みたいな状態だった。

ウルフルズ、メジャーデビューしたはいいが、直後に東芝EMI内の所属レーベルが消滅してしまい(レーベルのボスが退社した、とかそういう理由だったと思う)、社内で宙ぶらりんな存在になって、次の音源が作れるかどうかも、なかなか決まらなかった。で、この日のSHELTERに、東芝内のスタッフを大量に呼んで、「ウルフルズ、俺がやる!」と手を挙げる人を募る、みたいな日じゃなかったっけ、確か。違っていたらごめんなさい。

すみません、脱線し放題脱線しました、懐かしさのあまり。

話を戻して、その日、SHELTERの階段を下りた僕は、まず、それこそ、「うわあ」と思ったのだった。

ガラッガラ。10人以上20人未満くらい。ステージから見て、この少なさがちょっとでもごまかせるように、他のお客と距離を取って立つことを心がける、くらいの按配だった。僕に声をかけたYさんもいない。いや、それはいいんだけど。「その日、僕は行けないんですが」って、事前にきいていたし。

東京でライブを始めたばかりで、まだ全然知られていない名古屋のバンド、人が入るわけない。だから当然の状況だったんだけど、その頃の僕はまだ、そういうこともよくわかっていなかったのだと思う。

というわけで、なんとなくしょんぼりした気持ちで、フラワーカンパニーズの出番を待った。

出てきた。長髪で、裸にオーバーオールを着ていて、人間と類人猿の間くらいの顔つきをしたベーシスト。小太りのドラマー。プロレスラー的な小太りではなく、もっとゆるい感じの小太りである(後に当時を振り返って「眠そうなデブだった」と言ったのは竹安堅一)。やたら高い位置、胸のあたりにギターを構えた、目つきの悪いギタリスト(当時はメガネをかけていなかった)。

その3人が音を放つ前に、ちょっとハープ(ハーモニカ)を吹いてから、アカペラで歌い始めた背のちっちゃいボーカリストは、サラサラヘアーの下の両側頭部を剃り上げた極端なツーブロックで、左右の目のまわりを赤と青に塗った、BO GUMBOSの前、ローザ・ルクセンブルグ時代のどんとのようなメイクを、顔面に施している。

「ゆ〜う〜ぐれ〜に〜あ〜おぎみ〜る〜」、あ、これ、「マイ・ブルー・ヘブン」だ、エノケン(榎本健一)の(昔のアメリカのスタンダード・ナンバーの日本語詞カバー)。コマーシャルかなんかで聴いたことがある。なんだ、イロモノ系か、このバンド。

と思った、次の瞬間。ライブハウス内の淀んだ空気を切り裂くようなギター・リフが、まさに「一閃!」という感じで響き、そこに雪崩のようにベースとドラムの音が加わり、ボーカリストがものすごい声でシャウトし、次の曲が始まった。

「マイ・ブルー・ヘブン」から「紅色の雲」へ。この2年半後にリリースされたセカンド・アルバム『フラカンのマイ・ブルー・ヘブン』の1曲目〜2曲目と同じ始まり方である。

ただし、音源ではその2曲の間に、動物の声みたいなSEが入っていて、ちょっとインターバルが空くが、ライブでは間髪を入れず、竹安のギターが響いた。音源でのサビは、一部、鈴木圭介の声がかき消されていて、その部分の歌詞カードは「イキガイのふりしてさ」となっているが、実際は「キ××イのふりしてさ」と歌っていた。ちなみに、今、検索してみたところ、すべての歌詞のサイトに、フラカンのこの曲は載っていない。

という歌を、歌と叫びの中間みたいな、ものすごいボリューム、かつものすごい高さの声で、あきらかに危険なスピードで、飛んだり跳ねたり床を転げ回ったりしながら(後に「自傷行為だよね、あれ」と言ったのは竹安堅一)歌うボーカル。そのボーカルを踏んじゃいそうな勢いで、「何もそこまで」と言いたくなるほど激しく暴れながら演奏するベーシスト。
両腕以外は微動だにしない状態で、ただ表情だけが人殺しみたいになりながら、ギターを弾くギタリスト。唯一楽しそうに、のんきさも漂わせながら叩く小デブ(ドラム)。

あ、ボーカルの口の両端が赤くなっている。血だ。ハープを吹く時に強く押しつけすぎるからだ。

「ここにいるのは今の毎日 夢も希望もない方々 どうぞまわりをご覧なれ 魚目のバカヅラだ」

アコースティック・ギター+ボトルネックの独奏で始まった長い曲(夢の列車)の中盤で、ボーカルはこう歌った。

さっきも書いたように、お客はガラガラ、しかも盛り上がるどころか引いている。が、ステージから片時も目を離せなくなっている自分に気がついた。

すごい。何このバンド。いいかも。見つけちゃったかも、もしかしたら。

いや、「見つけちゃった」ってあんた、Yさんに誘われて来たんだから、もう誰かが見つけたあとじゃん、全然。と、今になると思うが、そんな気持ちでドキドキワナワナしている間に、あっという間にライブは終わってしまった。

転換を経て、次のバンドを観終わって(ただし興奮しきっているので何も憶えていない)、会場を出てちょっと歩いたあたりに、ワゴンが停まっていた。

中を見ると、さっきのバンドのメンバーたちが乗っている! 楽屋が狭い、他のバンドになじめない、路駐しているクルマが心配、というような理由で、終演後の片付けの時間まで、車内で時間をつぶしていたのだと思われる。

気がついたら窓をノックしていた。で、自己紹介して、ライブがすごくよかったこと、もっと早く知るべきだったと思ったこと、また観に来ることを伝えた。そんなことをしたの、初めてだった。

そこから、都内のフラカンのほぼすべてのライブを、追いかけ回す生活が始まった。

次回に続く。なんで。2025年9月20日土曜日の10年ぶり二度目の日本武道館に向けて、この連載でも勝手に「フラカン強化月間」的なことをやりたいからです。

10年前の日本武道館はもちろんだけど、それ以外にも自分的に「これはなんか書いておきたい」と思うフラカンのライブ、この32年の間で、何本もあるし。

プロフィール

兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(月一回)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二〜三回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。